『自分は桐島聡だ』と名乗り出た『内田洋』は、『ウッチー』と呼ばれ60年代70年代のROCK好きだったそうです。
ブラックサバスやジェームスブラウンも大好きだったとか、、、。
三つしか違わないから音楽の嗜好が似ているのは当然か、、、。
でも僕のサバスと彼のサバスは違う。
桐島聡は二十歳の頃爆弾事件を起こした。
私は高校二年生ぐらいで、事件の事はよく覚えている。通っていた学校にも爆弾を仕掛けたと言う電話がよくかかってきていて、最初の頃は全生徒校庭に避難して校内を点検したりしていたようだが、3、4回目ぐらいからは『爆弾を仕掛けたと電話がかかってきましたがそのまま授業を続けます』となった、、、、。
生徒も慣れたモノで、避難しないと言われても
『だろうね』としか思わなくなった。
そんな殺伐とした時代だった頃、サバスは流行っていた。ジェームスブラウンも流行っていたし、ツェッペリンやパープル、ジミヘン、フリー、ジャニス、も流行っていた。
同じ音楽を聴き、同じように大学に行ったけれど、彼と私の人生は多感な頃の出会いの違いによって大きく離れてしまったみたいだ。
彼は活動家と出会い、僕はバンドと出会う。
彼は活動にのめり込み、僕はバンドにのめり込んで行った。
真っ白過ぎる汚れの無い正義感は多感な時期の青少年にとってはうなされるぐらいの熱情そのものだ。
頭ではわかっていても心がざわついてどうにもならない、、。
ちっちゃなシミひとつが気になって仕方がないのだ。
そんな私を『もっとテキトーでいいじゃん?』となだめてくれたのはROCKだったのだけれど、桐島にとって焚き付ける道具となっていたのだとしたら悲しい。
私は音楽と書道で社会に仲間と共に向き合う。だからいつも逆風に晒されるライブハウスの灯は消さないし、書道塾の灯は消さない。いざという時立ち上がれるミュージシャンや書家を輩出し続ける『場』を継続する事が大切なのだ。
自分の頭で考え、子供達と日本の未来を守るために『とにかく反対!』と叫びながらドラムを叩き、『一揆だ!』と壁に書けるようにしておかねばならない。
※馬鹿っぽいね(^○^)
そしてそんな仲間を持続しながら増やしていかねばならない。
今は惰眠を貪っていても、いつかお役に立てる日が来るかもしれない。
そんな時がきてほしく無いけれど、来ないとは言い切れないから。
桐島と私の青年期は少しだけ環境が似ていたかもしれない。
しかしその後の50年で得たモノは大きく違う。
彼は運転免許も持てず銀行口座も作れない。
もちろん普通の就職も結婚もできない。
彼は常に人の目を気にして常に怯える生活をしてきたはず。
胃癌の原因は人の目かもしれない。
最後は本名で死にたいと報道にあった。
それを警察や公安の無能ぶりを嘲笑ったと見る向きもあるようだが、僕にはそうは思えない。
50年間の逃亡で得たものは本名で死にたいと言う当たり前の願いだったのだろうと思う。
先祖の墓に埋葬してもらえる事を願っていたとしたら、より悲劇だ。
彼は法治国家において自分の犯した罪と向き合う事をしなかった。
ただひたすら逃げた。
そこに思想は感じられない。
動物的に逃げているだけだろう。
彼は罪と向き合わず、相当な罰を受けずに、自らさらに重い減刑の見込みすらない終身刑を課してしまった。
彼は社会を脅かせてしまった罪と向き合うべきだった。
被害者に謝罪すべきだった。
人生が一人一人違うように、私のサバスは私だけのモノであり、彼のサバスとは別のモノだ。
彼は無駄な人生を送ったようだし、それは彼が選んだ人生だから仕方がない。
仕方がないのだ。
彼の人生は彼だけのモノだから。
君も人生大切にしてよね!
私も残りの人生40年ぐらい?
※どこまで生きようとしてるんじゃ〰️っ!
楽しみます!
とにかく、人生大切にして大いに楽しもうじゃないの〰️っ!