るるの日記

なんでも書きます

自我を薄めて会話すると、、

2022-05-03 09:31:26 | 日記
自我を薄めて人と会話をするということは、相手を受容する状態です。たぶんそこには如来神通力が働いていると思いたい
だがそれを意識しては語れない
意識することなく
普通の世間話の中に
自分さえそれと気づかぬよう
自分の口を借りて
如来が語っているようだった


足が不自由な人に
何気に自分に言い聞かせるように
「お互いのんびり、生きましょ」
といったあと
家事援助でチキンの照り焼きをつくって、味見をしたら薄かったので
「薄かったら醤油をかけてね。私は味が薄かったけど、普通の人は丁度の味付けだと思います」といったあと
「地震きたときは倒れそうなテレビなどの側から離れてね」と言って、仕事を終えた3時間後、震度3の地震が起きた

統合失調症の人の家事援助に入って部屋の仏壇を見たら、納骨されていない骨壺、二人の男性の遺影、数年はほったらかしの枯れ枯れ仏花が飾ってあった
「枯れた花は捨てますよ。また新しい花か、枯れない造花を買って来てください。ときどき仏壇に手をあわせられるの?」
と、、、話のきっかけができました
いつもは何にも私にはしゃべらない人でしたが、うちとけたかな


人はみな自分は特別だと思ってる
人はみな自分は今日明日は死なないと思っている
人はみなこの人生を意味があると思いたい

特別で意味有る人生を生きる自分は死なない、、いえ、いつかは死ぬが、今日明日は絶対死なない
と本当は思っている

それ辛くないですか?
何も無い方が楽
自分さえ確かな根本は無い
だから何にも問題なんて無い
人生は意味無い暇潰し

暇だからこそ問題意識をもったり
些細なことにこだわったりして
暇を潰す
同じ暇を潰すんなら「意味有る特別ごっこを演出し暇潰す」。暇潰しの中なら苦は苦でなく刺激

軽やかに

2022-05-03 08:43:10 | 日記
遠慮みたいな「こんな私が、、」という思いはやめよう。不必要な遠慮を「卑下慢」といって「傲慢」の1つだそうです。そうやって何もしないことで、ミスすることもないので
おバカな自分をさらけだすことを防ぐのです。

自我はやる楽しみを得られないのだけど、カッコ悪い自分をさらけだすよりマシという「こだわり、気弱さ、狭さ」を持つ。まず自分を偉くしていたい。そう保ちたいのである
よって全体を眺める俯瞰さが無い。

今動くことで今かく恥は、未来に生きてくるかもしれないというのに、今かく恥は誰も気にしていないというのに、今動くことで完成するかもしれないのに、、、
自我の思いは小さな世界にいたがる。

そもそも自我がこだわるほど
この世や自分は、そんなたいそうなものではない。この世での自分と他人との関係も「始・中・終」幻の一期一会。すぐに無常の風ふき消え、確かなものはない。
あわれ、愚かなものである。

だから、軽やかに恥をかくことも、自分をよく保つことも、他人を楽しませることも、他人のために生きることも幻の一期一会。
幻のなかを軽やかに流れていたい。
幻なのだから軽やかに流れていく。


ルルに与えられた「究極の快楽」

2022-05-03 08:10:11 | 日記
今日から3日間、日中の仕事は無い。夜は今日と明後日仕事が有る。昼の仕事は訪問介護のヘルパー、夜の仕事は宿泊施設のお皿洗いをしています。

55歳になり、やっと仕事をすることが好きになりました。それまでは仕事をすることが嫌でしょうがなかったのに、、
この変化はきっと他力本願を知ったからだと思います。自分は1つ1つ物事を終わらせていくだけ。物事を終わらせていくことに、私の自我によるはからいがなくなったからか、、

だけど訪問介護でのスケジュールは分刻みにしっかり組みます。スケジュールを組む作業は好きで、そして組んだスケジュールが1つ1つ終わっていく過程も快感で、1つ終わったら「終了!」とつぶく時もスッキリ快感を感じます

難しそうに思える作業でも、1つ1つ区切ることで単純・明解・簡素になり、その1つ1つをゆっくり丁寧に終わらせていく、、この快楽を与えられて、、この快楽を知って、、仕事が大好きになりました
そこには無駄な思いがあまり入り込みません。無駄な思いとは「自分を良く見せたい」などの思いです。入り込んできた時は、自分が不快になるからわかり、すぐ「1つ1つをゆっくり丁寧に終わらせていく」を思いだし、行いに専念さはます

私の場合は、「早く、スピーディー=自分は仕事が早くできる」という、カッコつけたがる思いからくるのです。そして焦り、雑になり、やり直すはめになり、結果遅くなるし、周囲もおちつかない

ゆっくり、余裕をもって、1つ1つを丁寧に終わらせることは、もしかしたら「早く終わらせる」ことになり、そして周囲にも安楽を与えることができるんじゃないかしら?

「結果はもう決められている」と考えるのも、焦らない秘訣かもしれない。
「私の身体は如来さまが使われている」と考えるのもいい
自我が薄まっていい
じぶんが!じぶんが!とうるさい自我が薄まると、快感がおしよせる。この快楽が法悦というのか?
この快楽がフローやゾーン状態なのか?

そうだ!私は自我を薄めることで、行いそのものになり、フローやゾーンを体験したがっている。ルルは強欲に究極の快楽を追及している。いつも、いつも、、

そして与えられて知ったのが
「1つ1つ区切る、1つ1つをゆっくり丁寧に終わらせる」
この行いで味わう快楽である

区切った1つ1つの全体的な終了のあとは、、
私一人の晩酌時間。ネットやテレビを見ながら酒を飲みぼんやり過ごし、眠りに誘われる快楽に酔う
OFF状態

そして朝起床しコーヒーを飲みながら朝刊を読むと、ルルの起動スイッチがONとなる。朝刊は訪問介護のお客様との会話の材料探しになっていく。会話を楽しんでいただきたいための情報収集は、個人で楽しむため情報収集よりも楽しい。(というか、、自我が薄まると生きることすべてが個人の楽しみと化すみたい。この矛盾も面白い)

そして今日も「1つ1つゆっくり丁寧に終わらせる」のである