それは「よい材料を選び用いる」こと。だから、料理の不味い理由は
★材料を選択する際の不注意
★材料の良否の判別ができない未熟さ
★よい材料を得ても、生かして用い得ず、わざわざ本質を殺してしまっているから
鰹節や昆布の良否を、目で見て判るだろうか?何のかのと料理を語る人はあっても、これを答えられる人は稀なようだ。
味噌の種類別良否
醤油の種類別良否
酢の色、香り良否
油の良否
塩の良否
砂糖の良否
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多くの人は高級料理についてよく聞くが、その人々は、鰹節が薄くきれいに削れるカンナを持たない。持っていても削り方を知らずにやっている。
醤油、酢、油など料理に重要な役目をするものに、厳しく注意をはらわない。分量も当てずっぽうだ。
そのくせ、「からすみ」や「このわた」がどうのと生意気を言う
こんな軽薄なやからでは、料理の向上なんて叶えられません❗️
■料理とは理をはかること。つまり「ものの道理をはかる」こと。料理は国を料理するでもいい。人間を料理するでもいい。割烹店の場合は魚や野菜を料理するが当てはまる。料理は道理から離れることは許されない。のり一枚焼くにしても、道理が欠けていては満足なことはできない。つまり馬鹿には不向きだ。そのかわり一途に勉めれば利口になる。ただし馬鹿のひとつ覚えだ。
料理については色々と文句は言うけれど、道理をはかる第一着手としては、よき材料を得ることだ。味の判る人は同値でも美味しいものを選ぶ。塩鮭一切れでも、大根一本でも、質の良しあしを知る者は、同じ金で美食する。