吉田満『戦艦大和ノ最期』 松山愼介
この『戦艦大和ノ最期』は、何年か前に読んで、素直に感動した覚えがある。おそらく、ドキュメントとしての迫力にうたれたのだろう。三千三百三十二人が乗艦し、生存者は二百七十六人である。この大和の沖縄特攻作戦全体、十隻の艦船の死者の合計は三千七百二十一人と推定されている。おそらく大和の生存者でこのような記録を表したのは吉田満一人であろう。偶然かも知れないが艦橋にいて、大和全体の様子がわかる位置にいたためである。彼は本来副電探師であった。
『海軍めしたき物語』(高橋孟 新潮社 一九七九)というミッドウェー海戦をえがいた作品も面白かったが、彼は駆逐艦か何かの炊事兵で、甲板から日本の空母がアメリカ軍の航空機の猛攻にさらされているのを見て、それを記録したのである。このときは、攻撃が空母に集中されたので高野の乗っていた艦は無事であったが、吉田満のように重要な部署ではなかったので見聞記にとどまっている。
このミッドウェー海戦でも大和は出撃したが、ミッドウェーのはるか後方五百キロの位置にいた。大和の建造費は、現在製造すれば四兆円くらいかかると推定されているが、結局、大和は戦う場所を与えれず昭和二十年の四月を迎えたのである。海軍上層部では、敗戦はすでに覚悟していたものの、海軍のシンボルともいえる大和を戦わずして敗北することはできず、沖縄特攻作戦となったのである。当時の軍上層部の貧困な発想である。そもそも、大和は昭和十六年に完成していたが、その時点ですでに時代遅れの戦艦だったのである。よくいわれるように、第一次世界大戦をほぼ経験しなかった日本は、第二次世界大戦を日露戦争の発想で戦っていたのである。大和は日本海海戦の再来を想定した巨艦だったのである。
陸軍の主要兵器、三八式歩兵銃は明治三十八年制であるから、一九〇五年式ということになる。それでも、この銃は英語に訳すると「ライフル銃」となるらしい。重くて銃身が長いので日本兵はジャングルでは取り回しに苦労したらしい。
それでも、私の少年時代は戦艦大和は憧れの的だった。昭和三十二、三年頃は月刊少年雑誌が全盛であって、巻頭グラビアを戦艦大和やゼロ戦がかざった。その後、週刊少年マガジンが発売されたが、ここでも戦記物『紫電改のタカ』が人気だった。これは性能的にはゼロ戦の上をいくとされていた。戦後も十年を過ぎると、第二次世界大戦における日本の大敗北はもう昔の記憶となり、大和やゼロ戦が復活していく。この先が松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』となる。
この吉田満『戦艦大和ノ最期』だが、アメリカ占領軍の検閲のために八種類のバージョンがある。
A 文語 一九四五年九月 吉田の故郷に疎開していた吉川英治にすすめられて書いたもので、大学ノートに鉛筆で書かれた。「文字が迸るように流れ出た。第一行から、自然に文語調を形作って、すでに頭の中に組み立てられていたかのように滑らかに筆がすすんだ」ということで、ほとんど半日で書かれた。三十八枚。
B 文語 Aを肉付けしたものでペンで書かれた。これを複数の人がペンで筆写し、その内の一部が小林秀雄の手に渡った。八十五枚。
C 文語 機関誌「創元」創刊号に載せるために原稿用紙に書き写されたがアメリカ軍の検閲のために掲載されなかった。この没になった原稿用紙百三枚分のゲラ刷りを江藤淳がアメリカで発掘する。
D 口語『戦艦大和』 「新潮」昭和二十二年10月号の掲載(原稿用紙三十四枚分)。文語体が軍国主義の延長ということで口語体で、検閲を試した。「敵」という語はすべて「米軍」とされた。
E 口語『小説戦艦大和』 カストリ雑誌「サロン」昭和二十四年六月号に掲載。百枚。
F 口語 銀座出版社 Eに少し手を加えたもの。百三十九枚。
G 文語 『戦艦大和の最期』昭和二十七年八月 創元社 二百二十六枚。
H 文語 『戦艦大和ノ最期』昭和四十九年八月 北洋社 二百三十五枚。この版において、連合艦隊司令長官からの作戦中止命令、感状が加えられた。
『戦艦大和ノ最期』だが、後半で救命艇にすがった兵たちの手を切り落としたという描写について、事実に反するという抗議が寄せられ、吉田もそれを伝聞と認めたが訂正しないまま世を去った。この救助艇は初稿では「朝霧」になっているが決定稿では「初霜」となっている。全体としては初稿(江藤淳『落葉の掃き寄せ』掲載)の方が、大和の戦いが忠実にえがかれている。
決定稿の方は、臼淵大尉との論争や、後年の吉田の考え(日本軍に対する批判)や、のちに判明した事実(アメリカ軍の攻撃の詳細、八波による航空機攻撃、魚雷を左舷に集中したこと)が入っていて、それが迫力を薄めているのではないか。
2019年8月10日
吉田満『戦艦大和ノ最期』については、「文学表現と思想の会」の同人誌「異土」18号で江藤淳にからめて詳しく論じました。
『戦艦大和の神話ー吉田満『戦艦大和ノ最期』と江藤淳 「文学表現と思想の会」のホームページもご覧下さい。
この『戦艦大和ノ最期』は、何年か前に読んで、素直に感動した覚えがある。おそらく、ドキュメントとしての迫力にうたれたのだろう。三千三百三十二人が乗艦し、生存者は二百七十六人である。この大和の沖縄特攻作戦全体、十隻の艦船の死者の合計は三千七百二十一人と推定されている。おそらく大和の生存者でこのような記録を表したのは吉田満一人であろう。偶然かも知れないが艦橋にいて、大和全体の様子がわかる位置にいたためである。彼は本来副電探師であった。
『海軍めしたき物語』(高橋孟 新潮社 一九七九)というミッドウェー海戦をえがいた作品も面白かったが、彼は駆逐艦か何かの炊事兵で、甲板から日本の空母がアメリカ軍の航空機の猛攻にさらされているのを見て、それを記録したのである。このときは、攻撃が空母に集中されたので高野の乗っていた艦は無事であったが、吉田満のように重要な部署ではなかったので見聞記にとどまっている。
このミッドウェー海戦でも大和は出撃したが、ミッドウェーのはるか後方五百キロの位置にいた。大和の建造費は、現在製造すれば四兆円くらいかかると推定されているが、結局、大和は戦う場所を与えれず昭和二十年の四月を迎えたのである。海軍上層部では、敗戦はすでに覚悟していたものの、海軍のシンボルともいえる大和を戦わずして敗北することはできず、沖縄特攻作戦となったのである。当時の軍上層部の貧困な発想である。そもそも、大和は昭和十六年に完成していたが、その時点ですでに時代遅れの戦艦だったのである。よくいわれるように、第一次世界大戦をほぼ経験しなかった日本は、第二次世界大戦を日露戦争の発想で戦っていたのである。大和は日本海海戦の再来を想定した巨艦だったのである。
陸軍の主要兵器、三八式歩兵銃は明治三十八年制であるから、一九〇五年式ということになる。それでも、この銃は英語に訳すると「ライフル銃」となるらしい。重くて銃身が長いので日本兵はジャングルでは取り回しに苦労したらしい。
それでも、私の少年時代は戦艦大和は憧れの的だった。昭和三十二、三年頃は月刊少年雑誌が全盛であって、巻頭グラビアを戦艦大和やゼロ戦がかざった。その後、週刊少年マガジンが発売されたが、ここでも戦記物『紫電改のタカ』が人気だった。これは性能的にはゼロ戦の上をいくとされていた。戦後も十年を過ぎると、第二次世界大戦における日本の大敗北はもう昔の記憶となり、大和やゼロ戦が復活していく。この先が松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』となる。
この吉田満『戦艦大和ノ最期』だが、アメリカ占領軍の検閲のために八種類のバージョンがある。
A 文語 一九四五年九月 吉田の故郷に疎開していた吉川英治にすすめられて書いたもので、大学ノートに鉛筆で書かれた。「文字が迸るように流れ出た。第一行から、自然に文語調を形作って、すでに頭の中に組み立てられていたかのように滑らかに筆がすすんだ」ということで、ほとんど半日で書かれた。三十八枚。
B 文語 Aを肉付けしたものでペンで書かれた。これを複数の人がペンで筆写し、その内の一部が小林秀雄の手に渡った。八十五枚。
C 文語 機関誌「創元」創刊号に載せるために原稿用紙に書き写されたがアメリカ軍の検閲のために掲載されなかった。この没になった原稿用紙百三枚分のゲラ刷りを江藤淳がアメリカで発掘する。
D 口語『戦艦大和』 「新潮」昭和二十二年10月号の掲載(原稿用紙三十四枚分)。文語体が軍国主義の延長ということで口語体で、検閲を試した。「敵」という語はすべて「米軍」とされた。
E 口語『小説戦艦大和』 カストリ雑誌「サロン」昭和二十四年六月号に掲載。百枚。
F 口語 銀座出版社 Eに少し手を加えたもの。百三十九枚。
G 文語 『戦艦大和の最期』昭和二十七年八月 創元社 二百二十六枚。
H 文語 『戦艦大和ノ最期』昭和四十九年八月 北洋社 二百三十五枚。この版において、連合艦隊司令長官からの作戦中止命令、感状が加えられた。
『戦艦大和ノ最期』だが、後半で救命艇にすがった兵たちの手を切り落としたという描写について、事実に反するという抗議が寄せられ、吉田もそれを伝聞と認めたが訂正しないまま世を去った。この救助艇は初稿では「朝霧」になっているが決定稿では「初霜」となっている。全体としては初稿(江藤淳『落葉の掃き寄せ』掲載)の方が、大和の戦いが忠実にえがかれている。
決定稿の方は、臼淵大尉との論争や、後年の吉田の考え(日本軍に対する批判)や、のちに判明した事実(アメリカ軍の攻撃の詳細、八波による航空機攻撃、魚雷を左舷に集中したこと)が入っていて、それが迫力を薄めているのではないか。
2019年8月10日
吉田満『戦艦大和ノ最期』については、「文学表現と思想の会」の同人誌「異土」18号で江藤淳にからめて詳しく論じました。
『戦艦大和の神話ー吉田満『戦艦大和ノ最期』と江藤淳 「文学表現と思想の会」のホームページもご覧下さい。
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