遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

梅崎春生『ボロ家の春秋』を読んで

2020-01-21 20:05:05 | 読んだ本
     梅崎春生『ボロ家の春秋』             松山愼介
 梅崎春生の父は陸軍士官学校出の歩兵少佐で、昭和十三年に脳溢血により五十八歳で死亡している。長男の光生は陸軍中尉としてフィリピンへ行き、ルソン島で捕虜となり、昭和二十一年帰国した。三男の忠生は中国で戦死(後、睡眠薬自殺と判明)、春生(次男)は昭和十七年、召集を受けるが気管支カタルを肺疾患と誤診され即日帰郷、十九年、再度召集され佐世保海兵団に入隊、暗号特技兵となる。弟(四男)の栄幸は高専にいっていた。春生は内田百閒に傾倒していた。
 春生は敗戦の日から十日ほどで帰郷、母の前で正座し、両手をつき、「戦争に負けて、申し訳ありません」と頭を下げた。その後、五男の勤めていた大学の研究室から持ち出してきたエチルアルコールを飲むようになった。「山の中で無為な日々を送りながら、兄は海軍で見たり聞いたり経験したことを、静かに分留し、熟成させようとしているのではないかと思わせた。やがてバッテリーに充電させたような表情をして東京に出かけて行った」(『現代の文学』月報 梅崎栄幸)。
『ボロ家の春秋』だけを読むと、カフカ的な不条理小説のようにも、単なるユーモア小説のようにも感じられる。しかし、梅崎春生の経歴を見ると、戦争が大きな影を落としている。戦後すぐ『桜島』を書き、昭和二十二年には『日の果て』を発表、昭和四十年には『桜島』の続編とも考えられる『幻化』を書き、五十歳で亡くなっている。『ボロ家の春秋』を理解するには、最低、この三冊を読んでおいた方がいいだろう。
『桜島』は自身の体験である。この作品の舞台は坊津である。坊津は遣唐使が船出をしたところであり、鑑真和上が上陸した地でもある。江戸時代には薩摩の琉球支配の拠点であり、密貿易もおこなっていたらしい。『日の果て』はフィリピンへ送られた兄の戦場体験に仮託したのか、ルソン島が舞台になっている。私は、この作品で初めて意識的に戦線を離脱する兵士の物語を読んだ。『幻化』は精神病院から逃げ出した主人公が、かつて兵隊の体験をした鹿児島を訪れる物語である。いずれも梅崎春生の戦争体験をもとにしているが、徐々にその抽象(異化)度があがってきている。いわば戦争を茶化している。この過程にあるのが『ボロ家の春秋』と考えられる。
『ボロ家の春秋』では、家主らしい不破数馬に「僕」と野呂旅人は二重に権利を売りつけられ同居することになる。そのうえ、不破数馬に金を貸しているという陳根頑からも、代理返済を要求される。胡散臭い固定資産税の徴収員も出てくる。普通に読んでいると、不破数馬が家の権利を持っていたというのも疑問で、不破数馬が他人の家の権利を売りつけた詐欺師のようである。実際、戦後の住宅難の時代には、不動産に関する詐欺師が横行していたという話を聞いたことがある。
 最後の方でボロ家の崩壊を願っている地主が出てくるので不破数馬がこの家の権利を持っていたというのは本当だろう。不破数馬が借金の返済に困って、家の権利を、二重、三重に売った挙句の果て夜逃げしたというのが真相だと思われる。しかし、「僕」が、この不破数馬と知り合ったのは、スリに財布を盗られようとしていた不破数馬を「僕」の方から助けて、スリから財布を取り返したのである。しかし、その財布はごついだけで、ほとんどお金は入っていなかった。考えてみると、このスリも不破数馬と、ぐるだったと考えられないこともない。
 梅崎春生は『桜島』や『日の果て』のような初期の戦争小説でも、大岡昇平のような緊張感はない。読んでいて、どこか緩いのである。それは梅崎春生の戦争感なのだろう。どこかで、こんな馬鹿げた戦争は真面目にやってられないという雰囲気がある。そういう意味で後日譚になるが『幻化』は優れた戦争小説といえる。
 このような戦争感で、戦後の日常をえがいたのが『ボロ家の春秋』に収められた作品群なのだろう。日常をえがいているが、主人公にとっては「平和のうちにある戦争」だったのではないか。
 ともあれ、軍隊時代からエチルアルコールを飲み、その後も深酒をしていたというから肝硬変で亡くなったというのは納得できるが、これはある種の戦争の後遺症だったのではないか。
                          2019年4月13日

最新の画像もっと見る

コメントを投稿