弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

二千円札を普及させるには

2008-08-24 22:13:28 | 弐千円札/論説
二千円札が普及しない原因の一つとして,金融機関がATMなどで二千円札を出金しないということが挙げられる.二千円札大使をはじめとする一握りの人間が『わざわざ』金融機関で両替する以外,二千円札が市場に流れ込む道はほとんど閉ざされているのが現状である.

では,なぜ金融機関は二千円札を出金しないのか.この段になると私にもよくわからないが,
(1) 何らかの裏事情があって金融機関が二千円札を潰そうとしている
(2) 金融機関が「二千円札は客に出してはいけない」と考えている
といったことが考えられる.このうち,(1)のケースについては私の知るところではない.問題は(2)のケースである.二千円札での出金について実際に誰か文句を言ったのかは分からないが,二千円札の登場という一つの変化に批判的な声が寄せられたことは想像に難くない.批判を伴わない変化など,この社会においてまずありえないだろう.

ここで私が指摘したいのは,おしなべて,物事に反対する者は声を上げ賛成する者は沈黙しているということである.二千円札のケースでいえば,二千円札の出金を受け入れられない人間は金融機関に文句を言うが,受け入れられる人間は何も言わないということになる.その結果,二千円札での出金に批判的な声ばかりが金融機関に寄せられることになる.

すると,二千円札での出金を金融機関に促すことも,我々のすべきこととして挙げられるのではないだろうか.日銀から押し付けられ金庫に眠っている二千円札をATMなどで出してもいいのだと,金融機関に知らせてやらなければならないのだと思う.
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猛者

2008-08-18 22:30:05 | 弐千円札/雑記
最近,友人の一人が二千円札に目覚めた.本日は,その彼が私の度肝を抜く仕事をしてくれた.

なんと,自動車税を支払うためコンビニで20枚の二千円札を出したというのだ.もちろん,彼自身が銀行で入手した二千円札をである.そのときキャッシャーにいた店員さんは否応なしに二千円札の存在を思い出したであろう.そして,今回の衝撃的な体験について,誰かに話さずにはいられなかったはずである.

彼が支払った20枚の二千円札自体は,おそらくそのまま銀行へ逆戻りであろう.だが,今日また何人かの人が二千円札の存在を再認識してくれたはずだ.まことに結構なことである.わが友人の労をたたえたい.
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二千円札に慣れていただくこと

2008-08-17 22:42:54 | 弐千円札/論説
今日は,昼から夜にかけて買い物や飲み食いをし,11枚の二千円札をばら撒いてきた.私としては上出来の部類である.

その中で約6,500円の支払いをする機会があり,私は当然のことながら4枚の二千円札を出した.キャッシャーの店員さんは,7,000円未満の支払いにおいて8,000円出されることに戸惑っていた.気の毒な話であるが,ここで二千円札の取り扱いに慣れていただくのも我々二千円札大使の仕事である.

今まで1や5のつく貨幣に慣れてきた日本人にとって,二千円札がとっつきにくい存在であることは私も理解している.それどころではなく,過去には「二千円札なんて無用の長物」と思っていたことすらある.しかしながら,いったん慣れてしまえば二千円札は便利な紙幣であることを私は知った.慣れてしまえば便利という点では,箸や自転車と同じと言っていい.

二千円札に興味を持ち,それを使いこなす人々が少しでも多くなることを願いつつ,これからも私は活動したい.
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私が二千円札を使う理由

2008-08-10 19:02:06 | 弐千円札/論説
二千円札流通促進活動に勤しむ人の多くがそうであるように,私も日々二千円札を店で使っている.

なぜ二千円札を使うのか.一人の人間が一日何枚か使ったところで,それが二千円札の流通促進に直接寄与するとは私も思ってはいない.細々と二千円札を使い続ける本当の目的は,人々に「二千円札の存在を思い出してもらう」ことにある.二千円札に目覚める前の私がそうであったように,多くの人は二千円札の存在を忘れかけているはずだ.二千円札が流通するしないの問題に思いを馳せるチャンスすらないのが現状であろう.

私が二千円札を店で使えば,少なくともそこに居合わせた店員さんは二千円札の存在を思い出してくれる.もしそれが釣り銭として使われれば,より多くの人が二千円札の存在を思い出してくれることになる.そうした人々の中から,私のように突如目覚める人が出てきてくれればいいと思っている.
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弐千円札よ永遠に

2008-08-07 22:55:23 | 弐千円札/論説
世の中には少数ながら二千円札の流通促進活動をしている人々がいるが,私もその一人である.このブログには,私が二千円札の流通促進活動をする中で行ったこと,考えたことなどを書いていきたい.

私が二千円札に目覚めたのは比較的最近で,2008年に入ってからである.どんなきっかけでそうなったのかは覚えていないが,あるとき「このまま二千円札が消え去っていくのを見過ごすことはできない」と私は思ったのだ.それ以来,せっせと銀行の両替機で二千円札を仕入れては市場にばら撒くという生活を送っている.

活動に本腰を入れ始めたのは4月に入ってからで,およそ週に1回(50枚ずつ)のペースで銀行に足を運び二千円札を仕入れている.今までに仕入れて撒いた二千円札の数は900枚程度であり,枚数的には「まだまだこれから」という段階であろう.一方,二千円札大使に志願し任命されたのは7月18日で,さらに最近のことである.

こうした活動を始めるには遅きに失した感は否めないが,くじけずにがんばって二千円札の普及に向けて活動していこうと思う.
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