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そしてドリーム・ゲージ~超広軌~へと

2011-10-23 20:00:00 | 広軌改築論
すっかり前記事から間隔が空いてしまった.本シリーズでは,数十年から百年といった将来の鉄道のあるべき姿を考えれば,百数十年前から引きずっている世界標準「標準軌」を見直すべきであるという主張をしている.

では,これからの鉄道に何が求められていて,どのような制約があり,それらを満足させるためにはどれくらいの軌間が必要になるのか考えてみたい.まず要求としては

+ 安全性 (脱線はすれどまず転覆はしないこと)
+ 輸送力 (船舶や飛行機のコンテナを積めること)
+ スピード (あまり小細工をせずに300~400 km/h出せること)
+ 互換性 (狭軌あるいは標準軌から四線軌条を経て移行できること)

が挙げられよう.最後の「互換性」は,私が超広軌というものに思いが至るきっかけとなった要素である.また,こうした突拍子もない話の中で取り上げるのも滑稽な話ではあるが,軽い制約としては

- その気になれば在来線に新軌間の台車を履かせられること
- あまり無意味に広くても仕方がない

というものを考える.

まず最低限必要な軌間は,4番目の要求である互換性,すなわち1067 mmあるいは1435 mmと何とか四線軌条で共存させたいというところから導き出される.四線軌条にこだわるのは,車両の中心線が軌間によってずれるのを防ぎたいからである.ここで参考にすべきは,1067 mm軌間と1435 mm軌間の共存が,三線軌条では何とか成立し四線軌条では成立しないという事実である.つまり,レール間のピッチは368 mm程度必要である.これによれば,1435 mmと新軌間とを共存させることを考えると,単純計算で2171 mmは必要になる.

次に,これが限界ではないかという値は,1番目の制約から導かれる.つまり,在来線(全幅2870 mm程度)の車両に辛うじて新軌間の台車を履かせることを考えれば,2870 mmより大きくすることはどうあがいても不可能である.

結局のところ,考えられる軌間は2171 mm以上かつ2870 mm未満ということになる.ここから色々と政治的に妥協したり技術的に努力したりすると,2000 mm程度に落ち着くのではなかろうか(※).

ちなみに,現時点でもっとも大きな車両限界は,英仏海峡トンネルにおける全幅4100 mmならびに全高5600 mmである.当面ないとは思うが,ポテンシャルとしては,このサイズがユーラシア大陸を走る鉄道の標準になり得る.そして,この規格に準拠した車両を300 km/h超のスピードで無理なく走らせることを考えるならば,2000 mm程度の軌間もさほど突飛なものではない.

そう遠くない将来,化石燃料が手に入りにくくなれば,船舶や航空機に頼っている旅客や貨物は,嫌でも鉄道へとシフトせざるを得なくなる.これらの負担を一身に受け止めるであろう鉄道を,二百年近くも昔の規格に押し込めるのは酷というものである.おそらく,私が生きているうちに,ここで提唱した超広軌鉄道が実現することはないであろう.しかしながら,画期的な軌間とともに生まれ変わった鉄道が,遠い未来の世界において繁栄の中心にあることを信じて筆を置くことにする.


※ これは拙ブログのテーマである「2000」に半ば強引に合わせた.本来の趣旨であれば2200 mmくらいが妥当であろう.
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標準軌間 (1435 mm)

2011-07-26 22:22:22 | 広軌改築論
世界の鉄道は六割方この標準軌間で敷設されていると言われる.この軌間は路面電車や地下鉄から,300 km/hを超える超高速鉄道までをカバーしている.広軌(1668 mm)を採用してきたスペインですら,今や1435 mm軌間に鞍替えしている.標準軌間1435 mmは鉄道の世界におけるデファクトスタンダードなのだ.

こう言うと,「やっぱり鉄道は標準軌でなければ!」とか「日本の鉄道も狭軌から標準軌に改軌すべきだ」という声が聞こえてきそうである.実際,私も比較的最近までそう思っていた.

しかしある時,私はふと思ったのだ.この1435 mm~そもそもは4フィート8.5インチ~という中途半端な数字に,何か技術的な意味があるのだろうかと.

標準軌 - Wikipedia

毎度のことながらWikipediaのお世話になっているが致し方ない.標準軌の起原を辿ると,炭鉱の中を走る鉄道の軌間が4フィート8インチ(1422 mm)だったこと,さらには馬車のトレッドに行き着くらしい.半端な0.5インチは,車輪のフランジの摩耗を減らすために付け加えられたという,何ともいい加減なエピソードまで載っている.その軌間が,対抗馬であった7フィート(2140 mm)軌間を数と政治の力で退け,やがては世界標準に成り上がったのである.

いま世界各地を走っている鉄道車両は,かつてイギリスの炭鉱で走っていたそれらとは,輸送量もスピードも異なるはずである.現在の鉄道システムにとって1435 mm軌間とは,技術的な検討の結果とはまったく無縁のレガシー的な規格である.そして私は思った.現在そして将来を見据えた鉄道システムを構築するにあたり,白紙の状態から理想的な軌間について検討すれば,おそらく1435 mmとは違った数字が出てくるのではないのか.鉄道に携わる日本の技術者たちが1067 mmの狭軌に泣かされてきたように,現在は世界の技術者たちが1435 mmの標準軌に泣かされているのではないのかと想像したのだ.

私は,日本の鉄道が狭軌から卒業するするというのであれば,改軌する先は標準軌などという成り行きの産物ではなく,真剣に技術的な検討を重ねた結果でなければならないと考えるに至った.そして,そうした検討を技術者たちにさせたならば,おそらく出てくる結果は1435 mmなどよりはるかに大きな値になるであろう.広軌にはメリットもデメリットもあるが,横方向の外乱に対する抗力は広軌ならではのメリットであり,反面,広軌によりもたらされるデメリットである曲線通過性能の低下には技術的な処方箋があるからである.
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狭軌 (1067 mm軌間)

2011-05-15 15:20:00 | 広軌改築論
新幹線や関西の私鉄を除く多くの鉄道路線は狭軌(日本標準軌, 1067 mm)で敷設されている.京王線などに用いられている馬車軌(1372 mm)も狭軌の一種であるが,ここではもっぱら1067 mm軌間を取りあげたい.

わが国の鉄道が狭軌になったのは,ひとえに日本で最初に敷設された鉄道が狭軌であったことに由来する(日本の鉄道開業).どういった経緯でそうなったのかは今もって謎であるが,イギリスから招かれた技師は既に欧米で標準となっていた1435 mmの標準軌ではなく,1067 mmの狭軌を選択したのである.これを大隈重信は「一生の不覚であった」と言っているが,その当時の日本における諸条件,すなわち輸送力ならびにスピードへの要求,地形,土木技術,資金力等々に鑑みれば,あながち間違った選択をしたわけでもないと考えられる.

実際,明治時代の客車の全幅は2200 mm程度であり,スピードについては明らかではないが,日本の鉄道史で表定速度が32.8 km/hとあるあたりから察するに,40-50 km/hというレベルであったのだろう.これくらいの「身の丈に合った」車両の寸法やスピードであれば,狭軌であっても特に問題は発生しなかったものと思われる.

しかしながら明治時代の半ばごろになって,輸送力への要求が増大するにしたがい,狭軌鉄道の限界というものが見えてきた.そうした事情に鑑み,狭軌から標準軌に改軌した上で輸送力の増強や高速化を図ろうという計画もあったが,改軌よりも路線の拡充を優先すべきとの意見に押し切られ,それは頓挫した(日本の改軌論争).

では,日本の鉄道は現在に至るまで狭軌レベルの輸送力とスピードに甘んじてきたのだろうか?そうではない.軌間の狭さはそのままに,車両の全長は20 mにまで,全幅は3000 mm程度にまで拡張されている.スピードも多くの路線で100 km/h程度,在来線特急の多くは最高時速130 km/h,北越急行ほくほく線に至っては160 km/hとなっている.車体全長は多少控えめであるが,その他の面においてはほぼ標準軌の鉄道と同じレベルのスペックを有している.

多くの人は,それを「技術の勝利だ」と評し,狭軌であることに由来する限界は技術力で打ち破ることができるのだと豪語するだろう.しかしながら,科学者や技術者の多くは,世の中には普遍的にトレードオフというものがあること,狭軌のまま輸送力やスピードを標準軌なみにするためには「相当無理をしているのだろう」と「理系の本能」で察するに違いない.実際,脱線や衝突ついでに車両が転覆する事故は少なくない.

もはや狭軌ではどうにもならないことは,新幹線が狭軌ではなく標準軌を採用していることからも明らかである.さらには,JR在来線と直通運転を考慮していない私鉄や地下鉄のほとんどが標準軌を採用しているところからも,多くを察することができる.
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鉄道の軌間

2011-04-16 17:30:00 | 広軌改築論
だいぶ前置きが長くなった.しかしながら,まだ本論を展開するまでには書かなければならないことが幾分残っている.このシリーズに興味を持ってくださるような奇特な方に対しては「釈迦に説法」になってしまうが,本稿では鉄道の軌間についての現状と,それに対して私が思うところについて述べる.

軌間とは,鉄道のレールの間隔である.まずはこちらを参照されたい.これは所詮ブログ記事であり論文ではないので,引用する文献もWikipediaで十分である.

さて,鉄道のネットワークには規格や標準の類が数多あるが,その中でも最も重要なものは軌間である.他にも道床の種類,許容される軸重,車両限界,電化方式,信号方式など例を挙げればきりがないが,軌間さえ一致していれば,異なるネットワーク間でも線路をつなげ,どうにかして車両を直通させることが可能である.しかしながら,軌間が異なれば,他の如何なる規格が一致していても,線路をつなげることはかなわず,したがって車両を直通させることは不可能である.

軌間はその鉄道の輸送力,速さ,安全性などに直結する.また,ある軌間で一旦鉄道を敷設してしまえば,それを変えるのは大変な困難を伴う事業となる.その厳粛さに鑑みれば,こと軌間の決定に際しては,十分過ぎるほどに技術的な検討が行われてしかるべきである.先のリンク先をご覧になった方々にはお分かりいただけるであろうが,軌間は広くても狭くても,それぞれメリットとデメリットが存在する.概して,平らで堅固な地盤を持つ土地に輸送力が大きく高速な鉄道を建設したいのであれば広い軌間を,概ねその逆の条件であれば狭い軌間を,それぞれ採用すべきだということになる.

翻って現状を見れば,技術面での検討などなきに等しい状態で,既存の路線のものに合わせたり,あるいは何となく世界標準となっているものを採用する形で軌間は決定されている.物やシステムや技術というのは概ねそうしたもので,鉄道もその例外ではないといういい例なのであるが,こと鉄道の軌間に関しては,私は到底納得できない.鉄道のシステムとは,自動車や航空機と比較して,桁外れに多くの人命を預かり運ぶキャパシティを備えているからである.安易な選択や妥協が許されていいものではない.

仮に鉄道車両が転覆すれば,何十人~百人というオーダーで死傷者がでるが,十分に軌間を広く取ることにより転覆を避けることができれば,せいぜい脱線して軽傷者何十人といったレベルになるだろう.これは鉄道に限った話ではないが,多数の人命を預かる乗り物であることを考えれば,曲線通過時の抵抗が大きくなろうが建設費が多少かさもうが,安全性を最優先に考えるのは当然のことであろう.

では,軌間の検討と決定に関して,基本的にどのような考え方で臨めばよいのであろうか?暴論なのを承知で私は断言する.
「軌間は~事情が許す限り~広くとるべきである!」
物理を知らない文系の鉄道マニアの方々,鉄道技術のことしか知らない「専門家」の方々は判で押したように
「軌間は広けりゃいいってもんじゃない」
「軌間が狭いことによるハンデは技術力でカバーできる!」
「軌間が広いと建設費がかさむ」
「軌間が広いと車軸が長くなり折れやすくなる」
などという漠然とした理屈を並べ立てて狭い軌間を正当化したがる.しかしながら,これらの意見は物理的な不見識,不合理な精神論,目先の算盤勘定に立脚しているのだと私は捉えている.まず,メカニズムが大きく異なるとはいえ,自動車などのトレッドは事情が許す限り広く設定されている.また,これは私の情報収集能力が足りないのかもしれないが,枕木一本の単価を概算でもいいから把握した上で「広軌は建設費が高くつく」という文章には出会ったことがない.さらに言えば,車軸にかかる応力は,車輪と軸受けの距離に依存し,車輪と車輪の距離には依存しないので,「長い車軸は折れやすい」などというのも素人の言い分である.

さて,広い軌間は,横風,曲線通過時の遠心力や左右軌条の高低差などに由来する「横方向の外乱」に対する抗力をもたらす.これは,車両が転覆しにくくなることを意味する.高速化に伴って問題となってくる他の要因(蛇行動ヨーイングなど)には,確かに技術的な処方箋がある.また,横方向の外乱に対する抗力も,車両の重心を下げることによりある程度は得られる.しかしながら,車両の重心を下げる設計は容易なことではない.それは概ね車高を下げ,さらにエアコンを床下に押しやることになるが,それは床下のレイアウトの自由度と引きかえである.台車の質量をわざわざ大きくすることも一つの手だが,それは下策というものであろう.それゆえ,重心を低くするという設計は,全ての車両に適用できるものではない.あとはせいぜい軌道の公差を厳しく管理して外乱の原因(の一つ)を小さくするのが関の山である.やはり,「転覆しにくい」という特性と車両設計の自由度確保という命題を両立させるには,広い軌間を採用するしかない.

もう一つ,広い軌間でなければ享受できないメリットは,台車内における設計の自由度の高さである.三相誘導電動機が普及した現在でこそ,狭軌の台車にも200 kWクラスのモーターを容易に積むことができるようになったが,実質的に直流整流子電動機しか使えなかった時代には中空軸平行カルダン駆動方式という涙ぐましい技術を駆使しても,出力にしてせいぜい150 kW程度のモーターを積むことが関の山であった.軌間を広げれば,さほどレイアウト的な苦労をしなくても,大出力のモーターを積みつつシンプルな駆動方式を用いることが可能になる.これは,設計や保守を格段に楽なものにしうる.

一般に,システムを設計,製造,運用,そして維持する上では様々な規格や拘束条件がある.とりわけ安全性とコストは両立しにくい.それらを両立させるべく,設計,製造,運転,保守の担当者たちは血の滲むような努力をしているが,残念なことに,コスト面からの要求やプロセスの煩雑さに負けて安全性を疎かにしてしまうという事例は後を絶たない.こうした不幸なことを避けるためには,あらかじめ安全性に関して高いポテンシャルを有する規格を用いるしかない.ポテンシャルの高い規格を用いること,レイアウト的に自由度が高いこと,そして許容される誤差が大きいことは,多くの人(特に設計者)を苦悩から解放し,よりシステムを安全なものにする.このあたりは,実際に「設計」の仕事を経験したことのある方々には多くを語らずとも分かっていただけると思う.製造,運転,保守の仕事を経験された方々にも理解していただけるに違いない.「そこを何とかするのが貴方たち理系の人間の仕事でしょ!」などとのたまう文系の方々には,どうか黙っていていただきたい.

さて,鉄道の黎明期より少し後に始まって現在に至るまで,世界的には1435 mmの標準軌が,日本においては1067 mmの狭軌(日本標準軌間)が,それぞれ多用されている.次項ではそれらが標準となるに至った経緯などについて復習し,それらの問題点を指摘し,それらが現在そして未来の鉄道に於ける標準としては役者不足となりつつあるという認識を示そうと考えている.
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序章その四 (日本の規格と世界の規格)

2011-04-06 22:00:00 | 広軌改築論
私はこのシリーズで,軌間2000 mm程度の超広軌鉄道と,日本中の鉄道をその軌間に移行させることを提唱しようとしている.こうした話に辿り着くには様々な経路がある.たとえば,単純に輸送力を増したいとか,スピードを上げたいとか,安全性を向上させたいとか,軌間の統一によって車両や路線の互換性を確保し利便性の向上につなげたい,などという切り口から超広軌を提唱することが可能である.他には,「歴史的な事情によるしがらみや固定観念の打破」などと大上段に構えて話を始めることも可能である.前回は前者のアプローチをとったわけであるが,今回は後者のアプローチを試みてみたい.

人間の社会において,規格というものは欠かせないものであり,そしてごく当たり前のように存在している.身近なところを見ればSI単位系,ISO,JIS,DIN,IEEEなど枚挙に暇がない.言語も規格といっていいかもしれないし,極論すれば「常識」というものも規格の一種であろう.

規格が国や地域によってまちまちという例も枚挙に暇がない.車が右側通行か左側通行か,商用電源周波数は50 Hzか60 Hzか,他にも色々ある.言語もバラバラである.そして,鉄道に関する規格も例外ではない.

しかしながら,決められた規格はなくとも,事実上の標準(デファクトスタンダード)が存在する分野も多い.車はどちらかというと右側通行が,商用電源周波数は50 Hzが,言語は英語が,それぞれ世界のデファクトスタンダードであると言ってよいだろう.そして,鉄道の分野には標準軌間(1435 mm)というものがある.

また,それら世界のデファクトスタンダードと日本国内のデファクトスタンダードが異なっている場合も多い.例えば自動車は左側通行であるし,商用電源周波数はそもそも東日本と西日本で異なり,日本語と言語学的に類似した言語はない(しいて言えばハングルが近いが).そして,鉄道の軌間は標準軌間よりも狭い狭軌(1067 mm)が主流である.

日本の規格や標準は世界のそれよりも高水準であったり厳しかったりする分野もあるが,概して鉄道や道路など交通の分野では,残念ながら世界水準に劣るものが多いと思わざるをえない.道路の法定速度しかり,自動車の全幅などがいい例であろう.そして,鉄道路線の多くが狭軌であることは,まさに本シリーズでやり玉に挙げようとしているテーマである.

日本の道路は欧米のそれと比較して狭く,そこをサイズ,排気量ともに小さい車両が低速で走っている.都内の住宅地には全幅1700 mm以下の車でないと不便な道路が多い.また,自動車の全幅が2500 mm以下に抑えられていることは,海外ではメジャーな40フィート海上コンテナを貨物自動車で陸送するにあたり,安全面でのリスクを大きくしている.また,一般道の法定速度は60 km/hであり,高速道路のそれは100 km/hに抑えられている.島国根性に染まった日本人は,「日本は島国だからいいんだ」,「日本は狭いんだから道路が狭いのは当たり前」,「こんなパワーのある車なんか日本には要らない」,「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」などと言う.

私は,そうした「島国根性」に,ここで異を唱える.日本の他にも島国はいくらでもあるし,日本より狭い国も枚挙に暇がない.日本が小国であった大昔ならいざ知らず,今はGDPで世界第3位,ついこの間までは世界第2位であった経済大国である.土木技術もこの百数十年で大きく進歩した.日本がわざわざ世界標準よりも劣る規格に甘んじなければならない理由などもはやないのだ.

だからと言って,ただ日本のデファクトスタンダードを捨てて世界のデファクトスタンダードに合わせるというのも能のない話である.どのみち現在の規格や標準を捨てなければならないのであれば,世界標準を凌駕するものを打ち立て,それを世界に向けて提案するくらいの意気込みが必要なのではないか.それくらいのマインドが,現在の日本に蔓延している閉塞感を打破するために必要なのではないかと私は思う.
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序章その三 (日本の鉄道網が抱える問題点について)

2011-03-31 20:00:00 | 広軌改築論
前記事では,とりわけ貨物輸送のモーダルシフトを阻害する要因として,わが国の鉄道網に関する問題点について触れた.今回は,その問題点についてもう少し考えてみようと思う.

まず一つ目は,新幹線とりわけ東海道新幹線の輸送力が逼迫しており,とても貨物列車などを走らせる余裕がないことであった.

その対策の一つとして,リニア中央新幹線といった計画がある.しかしながら,これが開通するのは早くても2027年,そして開通しても当面は東京(品川)と名古屋を結ぶに過ぎない.さらにこれが輸送するのは旅客のみであり,貨物を輸送する計画はないようである.また,磁気浮上しなければ走れないという性格上,輸送力面でのポテンシャルは未知数である(おそらく小さいだろう).したがって,リニア中央新幹線は旅客輸送に関しては多少のモーダルシフトを促進するかもしれないが,貨物輸送に関してはまったく寄与しないであろう.

二つ目は,新幹線の規格が在来線のそれと根本から異なり,見た目は同じような鉄道に見えても互換性がまったくと言っていいほどないことであった.一部の例外を除き,新幹線のネットワークは在来線のそれとはまったく別個に存在している.そのため,直通運転は基本的にはできない.山形新幹線ならびに秋田新幹線(厳密には在来線の奥羽本線ならびに田沢湖線)のようにミニ新幹線という手もあるが,長期間の運休を伴う改軌工事を他の路線にも適用することは難しいだろう.

三つ目は,本題からは外れてしまうが,高速鉄道のネットワークが在来線と新幹線ともに東京で分断されていることにある.

在来線については既に湘南新宿ラインという形で東北本線-東海道本線の直通が事実上実現し,さらに2013年には上野-東京ルートでも直通運転が開始される見込みである.しかしながら,新幹線においてはJR東日本が管轄する東北・上越・長野の各新幹線と,JR東海が管轄する東海道新幹線が分断されたままになっている.東北新幹線と東海道新幹線の直通運転が可能になれば,両社とも東京駅がターミナルとして過負荷な状態にある事態を抜本的に解決できるし,そもそも東海道新幹線に品川駅を設ける必要などもなかったのである.非常に愚かなことだと思うが,これはJR東日本とJR東海の確執を含む政治的な問題であり,今後も解決されることはないだろう.

序章があといくつ続くかは分からないが,本稿で一番目と二番目に挙げた問題点を解決するスキームとして,本シリーズでは超広軌鉄道を提唱することになろう.
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序章その二 (長距離大量輸送の現実)

2011-03-29 20:00:00 | 広軌改築論
前記事では,主に乗用車,バスやトラックのドライバー達を過酷な仕事から解放したいとの思いから,旅客や貨物の輸送をバスやトラックから鉄道にシフトすべきであるとの考えに至った.

こうした私の考えとは別に,そしてはるかに昔の1991年から,国土交通省(当時運輸省)やJR貨物がモーダルシフトとして同じような取り組みを進めている.しかしながら,その進捗状況は順調とはお世辞にも言えない.

モーダルシフトが進まない原因は,安直にWikipediaで調べただけでも山のように出てくる.主に貨物についての問題は,主に以下の二点に集約できそうである.
鉄道による貨物輸送がトラック輸送と比較して
+ トータルで高コストになること
+ トータルで所要時間がかかること

それらのさらなる原因について私がここで詳述しても,やはりWikipediaやJR貨物や国土交通省のサイトなどに書いてあることの受け売りになってしまう.したがって,ここでは旅客や貨物の輸送を取り戻すために,鉄道に求められる条件について,私なりの乱暴な意見を述べる.

鉄道はどんなに逆立ちしても出発地から目的地への"door to door"のサービスを提供することはできない.出発地から駅へ,駅から目的地へのアクセスには自動車等の手段が必須である.また,鉄道を利用している間にも,乗り換えが必要になることが多い.それらは時間的にもコスト的にも不利に働く.それは鉄道が宿命的に抱えるハンディキャップである.よって,そのハンディキャップを補って余りある利点を鉄道は獲得しなければならない.

その,獲得すべきものは何か.それは今さら言うのも憚られるが,
「高速道路を走る自動車より圧倒的に速く,大量に運べ,安全なこと」
である.新幹線は生まれながらにしてこの要件を満たしており,主要な都市間の旅客輸送に関しては,自動車に対し十分な優位性を確保している.

しかしながら,新幹線の行き渡っていない地域間の旅客輸送および貨物輸送は,最高時速にして高々130 km/h,さらに多くの踏切を抱えたの在来線を走行せざるを得ず,高速道路を走る自動車に対し十分な競争力を有するには至っていない.速さで自動車に「圧勝」するためには,踏切のない路線を少なくとも最高時速にして200 km/h程度,できれば新幹線並みの300 km/hのレベルで走行することが必要となろう.

また,これはWikipediaに記述されていることを繰り返してしまうが,車両の全長が20 m級に抑えられている在来線においては,40フィート海上コンテナを効率よく輸送することが困難である.これは,船舶による貨物輸送との連携を阻害することになり,トラックに需要を奪われる一因となっているだろう.

そうなると当然,全長25 m級の車両を300 km/h程度で走行させることが可能な新幹線に着目したくなる.しかしながら,新幹線,とりわけ東海道新幹線は旅客輸送しか行っていないにもかかわらず,その輸送力は限界に達している.夜間は軌道のメンテナンスを行っていることを考えると,貨物列車などを走らせられるような状態ではまったくない.さらに,貨物線が走り貨物ターミナルが設けられている在来線の軌間は狭軌(1067 mm)であるため,標準軌(1435 mm)の新幹線とは規格的にもまったく互換性がない.

現在の新幹線にかかっている負荷と,新幹線と在来線の軌間の相違を鑑みるに,「高速道路を走る自動車より圧倒的に速く,大量に運べ,安全なこと」を鉄道貨物に求めるのは現状では無理な話である.
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序章その一 (感情論)

2011-03-23 20:20:20 | 広軌改築論
私は,自動車と,自動車を運転することが大好きである.ドライブを始めて数分もすれば,どんな嫌なことも吹き飛び,後ろ向きな考えや感情は影を潜め,快活な気持ちになれる.目的や目的地のあるなしに関わらず,自動車を運転すること自体が,私に理屈抜きの喜びをもたらしてくれる.

無論,市街地や住宅街の類では色々な物や人に気を遣いながら運転しなければならないが,そんな中でも,ステアリングから前輪の接地感を,シート越しに後輪の接地感を,それぞれ味わい楽しむことが可能だ.そして,ひとたび山岳地のワインディングロードや空いた高速道路に出れば興奮は最高潮に達する.タイヤが路面をグリップする様子を感じながらコーナーを駆け抜けるとき,ちょっと人には言えないようなスピードで高速道路を走るときなどは,まさに至福のひとときである.

しかしながら,残念なことに,そのようなみずみずしい感情を抱きながら自動車を運転している人間は,この世の中においては少数派である.大半は生活の一部として何となく,あるいは仕事と割り切って仕方なく,それぞれ自動車を運転しているであろう.そうした人々にとって,自動車の運転は何らの悦びをもたらすものではない.特に,高速道路におけるロングドライブなどは苦痛すらもたらすであろう.

つまり,世の中の大多数の人々による,楽しくないドライブや苦痛なドライブのために道路が占有され,限りある化石燃料が消費され,大気中に大量の二酸化炭素が放出されていることになる.生活や仕事のためとなれば,天候や心身のコンディションが良くないときに無理に運転することもあるだろう.その結果として交通事故が発生し,心ならずも命を落としたり他人を殺めてしまうこともある.これは,自動車好きにとっては大変に心の痛むことである.

これらの諸問題すなわちドライバーたちの苦痛,無用な道路の混雑,余計な化石燃料の消費と二酸化炭素の放出,交通事故を軽減するにはどうしたらよいのか?

一つの解としては「自動車の自動運転」というものがあり,交通事故に対する予防安全の観点から実際に研究もされている.しかしながら,これは化石燃料と二酸化炭素の問題に対する答えにはほとんどなっていない(電気自動車とセットであれば話は少し変わってくるが).何より,ドライブ好きにとって自動運転などもっての他である.自動車は,自分で運転するから楽しいのである.

そうなるとまた別な解を探ることになる.それは必ずしも一つとは限らないが,「鉄道を有効活用する」というのは有力な解の一つであろうと思う.貨物や旅客をを運搬するために高速道路を延々とドライブするのに比べ,鉄道車両は一度乗ってしまえば何もしなくても目的地まで到達することができる.自己責任によるものも含め,事故はほとんど起こらない.こうした観点から,数のまとまった旅客や貨物の長距離輸送はバスやトラックから鉄道にシフトすべきであろうと,私は考える.

こうしたシフトが仮に実現した場合,現在の鉄道網はそうした需要を受け止めるだけの輸送力,速達性,安全性を兼ね備えているのであろうか?その答えは否であると私は思う.だからこそ,夜行バスやトラック輸送が隆盛を極め,バスやトラックの運転手が必要な休憩時間すら与えられずに運転することを余儀なくされ,多くの交通事故が発生しているのである.

今回は,私自身の自動車に対する思い入れといった感情論から,旅客輸送ならびに貨物輸送の鉄道シフトが必要であるという考えに至った.次回以降はまた別な切り口から鉄道シフトへの必要性について論ずることになる.そして,本論では,こうした大量かつ長距離の輸送を担える鉄道のあり方について考え,やがて2000 mm程度の軌間を有する超広軌鉄道を将来の鉄道のスタンダードとして提案しようと思う.
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広軌改築論: カテゴリーの新設にあたり

2011-03-18 20:00:00 | 広軌改築論
このたび拙ブログに「広軌改築論」なるカテゴリーを追加することにした.

まだ記事はほとんどないが,このところ私が思っていることを徐々に書き連ね,色々と理屈をこね,最終的には日本の鉄道を軌間を2000 mm程度の超広軌鉄道に改築することを提唱しようと思っている.

なお,私は理工系の人間であるが,鉄道や交通工学の専門家ではない.ただ,鉄道と自動車と日本が大好きな一介の素人である.そのような人間の目から,
- 現在のトラック主体の物流システムの問題点
- 日本の鉄道網が抱える問題点について
- 狭軌(1067 mm軌間)と標準軌(1435 mm軌間)
を見て,やがては
- 鉄道と自動車の理想的な相互補完関係について
- 国家の基幹インフラたる鉄道の姿
について考えてみようと思う.

私がこれから書くであろう文章は,いわゆる論文ではない.したがって,信頼性の高い文献を引用して厳密な論理を展開することにはならないであろう.また,2000 mmという数字が示すとおり,私の提案は多くの人にとって,とりわけ鉄道の専門家にとっては荒唐無稽なものになるであろう.

しかしながら,その道の専門家ではない者による一見荒唐無稽な論理が,その道の専門家に一種のひらめきを与え世の中を大きく変えるきっかけにならないとも限らない.私はそれを期待して本論を展開することにしようと思う.
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広軌改築論

2009-12-06 19:15:20 | 広軌改築論
鉄道に興味を持つ多くの方々がご存知の通り,わが国における鉄道の大半は狭軌すなわち1067 mmゲージで建設されている.現在のわが国における多くの路線において,この軌間は技術的に大きな足かせとなっているのも周知の事実である.小型の車両を低速で運行していた明治時代ならともかく,大型の車両を高速かつ安全に走行させる必要がある現在においては,もっと広い軌間が必要である.いささか乱暴な話ではあるが,2005年にJR福知山線で発生した事故などは狭軌のまま無理を重ねた結果起きた悲劇であると考えることもできる.

わが国にもかつては広軌改築計画なるもの(狭軌を標準軌に敷設し直す計画)があったが,いくつかの理由によりそれは中止となってしまった.さまざまな困難を伴う改軌を行うより先に,狭軌のまま鉄道路線の拡充を行うべきであるとの意見が優勢であったからと聞く.いったん狭軌で敷設されてしまった鉄道を標準軌すなわち1435 mmゲージに改築することは,大変な困難を伴うものなのである.

この改軌に伴う困難は,突き詰めれば,1067 mmゲージから1435 mmゲージへの移行を円滑に行うことが事実上不可能であるという点に由来すると言っていい.旧軌間から新軌間への移行には,その路線を相当な期間にわたって運休させた上で,大規模な工事を軌道と車両の両方に施す必要がある.さらに,改軌は一部の路線だけを対象に行うわけにもいかない.軌間が異なれば車両が直通できなくなってしまい,路線網が寸断され,車両等の運用に大変な支障をきたすからである.改軌を断行するということは,あるエリア内にある鉄道路線の大半を相当な期間にわたり運休させ,途方もない資金と人員を投じて工事や改造を行うことに他ならない.これはもう鉄道会社や地方自治体の手に負える話では到底ない.まさしく国家の一大事である.

もし仮に,同一軌道上に狭軌と標準軌を併存させることができるならば,話は途端に簡単になる.しかしながら,同一軌道上に1067 mmゲージと1435 mmゲージを併存させることは技術的にほぼ不可能である.青函トンネル,箱根登山鉄道,鉄道メーカーの工場内など,三線軌条を用いて異なる軌間の共存を図っている例はあるが,これは車両の中心線をずらしてしまうため,一般の路線に応用することは困難である.ならば四線軌条とすればよいのではないかという話になるが,こんどは分岐器(ポイント)などの対応が難しくなる.

このように,368 mm異なる二つの軌間を共存させることは事実上不可能である.しかしながら,レールの中心間距離が184 mmでは分岐器を作れず368 mmあれば作れるという事実は,我々に大切なことを教えてくれている.

つまり,標準軌の1435 mmに改軌しようなどという固定観念にとらわれず,定義どおりの広軌にまで改軌してしまえばよいのである.このさい,インドと同じ1676 mmにしてしまっても,かつてイギリスのグレート・ウェスタン鉄道が採用していた2140 mmにしてしまってもよいのである.後者であれば,現在標準軌で敷設されている新幹線や私鉄路線までも一緒に改軌させて新軌間に統一してしまうことが可能である.もちろん,キリのよい2000 mmにしてしまうのもよい.

日本は幸いにして島国であるゆえ,1435 mmのアジアや1520 mmのロシアとの直通は考えなくてよい.このことを逆手に取って,日本の鉄道を広軌にしてしまうことを提唱したい.
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