弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

二千円札流通促進委員会が解散

2011-05-25 21:30:00 | 弐千円札/雑記
二千円紙幣の流通促進活動に取り組んできた「二千円札流通促進委員会」が2011年3月31日をもって解散していたことが分かった.
二千円札コーナー|日本銀行 那覇支店
流通のめどがついたのか,ただ単にあきらめたのか,解散の理由については記されていない.おそらく後者であろう.また,我々の身分である「二千円札大使」も本委員会から付与されたものであるゆえ,これから我々は肩書きなしでの活動を余儀なくされることとなった.

二千円札流通委員会という大きな(有名無実の)後ろ盾を失い,我々の闘いはより一層孤独なものとなった.しかしながら,フィードリーダーなどに目を通せば「二千円札」「2000円札」などといったキーワードを含むブログ記事が日々書かれており,二千円札との出会いを渇望している人々が存在することも確認できる.そうした人々に二千円札を届けるべく,私はこれからも活動を継続していく.
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狭軌 (1067 mm軌間)

2011-05-15 15:20:00 | 広軌改築論
新幹線や関西の私鉄を除く多くの鉄道路線は狭軌(日本標準軌, 1067 mm)で敷設されている.京王線などに用いられている馬車軌(1372 mm)も狭軌の一種であるが,ここではもっぱら1067 mm軌間を取りあげたい.

わが国の鉄道が狭軌になったのは,ひとえに日本で最初に敷設された鉄道が狭軌であったことに由来する(日本の鉄道開業).どういった経緯でそうなったのかは今もって謎であるが,イギリスから招かれた技師は既に欧米で標準となっていた1435 mmの標準軌ではなく,1067 mmの狭軌を選択したのである.これを大隈重信は「一生の不覚であった」と言っているが,その当時の日本における諸条件,すなわち輸送力ならびにスピードへの要求,地形,土木技術,資金力等々に鑑みれば,あながち間違った選択をしたわけでもないと考えられる.

実際,明治時代の客車の全幅は2200 mm程度であり,スピードについては明らかではないが,日本の鉄道史で表定速度が32.8 km/hとあるあたりから察するに,40-50 km/hというレベルであったのだろう.これくらいの「身の丈に合った」車両の寸法やスピードであれば,狭軌であっても特に問題は発生しなかったものと思われる.

しかしながら明治時代の半ばごろになって,輸送力への要求が増大するにしたがい,狭軌鉄道の限界というものが見えてきた.そうした事情に鑑み,狭軌から標準軌に改軌した上で輸送力の増強や高速化を図ろうという計画もあったが,改軌よりも路線の拡充を優先すべきとの意見に押し切られ,それは頓挫した(日本の改軌論争).

では,日本の鉄道は現在に至るまで狭軌レベルの輸送力とスピードに甘んじてきたのだろうか?そうではない.軌間の狭さはそのままに,車両の全長は20 mにまで,全幅は3000 mm程度にまで拡張されている.スピードも多くの路線で100 km/h程度,在来線特急の多くは最高時速130 km/h,北越急行ほくほく線に至っては160 km/hとなっている.車体全長は多少控えめであるが,その他の面においてはほぼ標準軌の鉄道と同じレベルのスペックを有している.

多くの人は,それを「技術の勝利だ」と評し,狭軌であることに由来する限界は技術力で打ち破ることができるのだと豪語するだろう.しかしながら,科学者や技術者の多くは,世の中には普遍的にトレードオフというものがあること,狭軌のまま輸送力やスピードを標準軌なみにするためには「相当無理をしているのだろう」と「理系の本能」で察するに違いない.実際,脱線や衝突ついでに車両が転覆する事故は少なくない.

もはや狭軌ではどうにもならないことは,新幹線が狭軌ではなく標準軌を採用していることからも明らかである.さらには,JR在来線と直通運転を考慮していない私鉄や地下鉄のほとんどが標準軌を採用しているところからも,多くを察することができる.
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NTT docomo ← au by KDDI

2011-05-01 20:00:00 | 買い物
本日,ここ2年近くの悲願であったdocomoへの乗り換えを果たした.2年というのは,いわゆる「誰でも割」に縛られていた期間である.

auからdocomoに乗り換えた理由のうち主なものを挙げると
+ 家族が皆docomoである
+ 何だかんだでdocomoの方がカバーしているエリアが広い
+ au端末のラインナップには私が欲しい機能を備えた機種がない
+ 電波の状態が良好な場所でも
|- 通話時に雑音が大きい
|- EZwebサーバーにつながりにくかったり通信速度がやたら遅い
+ そもそもKDDIに反感を募らせていた
といったところである.

元々,私はTu-Ka(ツーカー)のユーザーであり,さらに家の光回線は東京電力の「TEPCOひかり」であった.時期は異なるものの,いずれもKDDIに買収されている.ツーカーについては,日産自動車と第二電電の合弁会社から日産の資本が抜けて,結果としてKDDIの事業になっていたという表現をすべきかもしれない.

さて,KDDIが買収した企業や事業のユーザーに何をするかというと以下の通りである.
+ まず徹底的に店ざらしにし,新たなサービスの類は提供しない
+ その後,強引にKDDI本体側の事業に巻き取る
結果として当面の間,Tu-Kaや旧TEPCOひかりのユーザーは,auやauひかりのユーザーと比較して,より貧弱なサービスを割高な料金で利用する羽目になる.旧TEPCOひかりは回線占有型のサービスとして一定の価値はあったが,Tu-Kaに対する仕打ちは酷かった.3Gには移行しないと高らかに宣言し,基地局の増設はほぼストップし,端末は高齢者向けに特化し機能面で貧弱なものばかりとなった.

その後,
「auひかり」の導入にまつわる顛末
Linuxマシンから「auお客様サポート」ページにログインできない件
といったエピソードも加わり,私は脱KDDIを完遂することで腹を括った.おしなべてauショップよりもdocomoショップの方が店員さんによる応対が良かったことも,私の背中を押した.
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