弐千円札よ永遠に

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二千円紙幣発行記念の日にあたり~民主主義国家の国民として~

2014-07-19 18:00:00 | 弐千円札/論説
本日は二千円札の14回目の誕生日らしい.「らしい」というのは私が記念日に興味をもたないためである.また,私が二千円紙幣流通促進活動を始めて約7年が経過した.そしてその結果については皆さんご存知のとおりである.

私は二千円札を普及させようと試みる中で様々な理屈をこねくり回してきた.曰く
- 慣れれば便利である
- 海外では2のつく貨幣は当たり前である
- 慣れるまでの過程で頭脳が刺激される
- デザイン的に美しい
- 日本国の紙幣としては最高峰の偽造防止技術が投入されている
- 日銀の倉庫内に7億枚もの在庫が死蔵されている
と.しかし最大の理由はこれらではない.

最大の理由は
「日本国の中央銀行が発行した紙幣だから」
「二千円紙幣にも日本銀行法により強制通用力が付与されているから」

である.悪く言えば「御上の言うことに歯向かうんじゃない」ということにもなる.そしてそう言えば「政府の犬め!」「日銀の手先め!」「国家権力に対する批判精神を忘れた物は云々」といった罵声が飛んできそうである.実際「二千円札なんてなくても困らないじゃないか」「税金の無駄」「政府や日銀はバカ」という者は多い.二千円札の受け取りを拒否する者も後を絶たない.また,そうして己がいかにも「空気の読める人間」「権力に対する批判精神を忘れない気骨のある人間」「きっぱりと断れるかっこいい人」と思っている節が見受けられることも多い.極めて浅薄で愚かな発想であると思う.

紙幣そのものは単なる紙切れに過ぎない.それらが社会の中で価値をやりとりするための担体となっていることは自明なことでは全くない.これを発行している日銀と政府が対内的にも体外的にも圧倒的な信用を得ていなければ到底不可能なことである.そして,これは日本国政府と日本銀行のたゆまぬ努力の賜物である.日銀法や強制通用力だけでどうなるものではないのだ.二千円札の存在に意義を唱え,さらには勝手に流通を妨げる人は,部分的にではあるが政府・日銀の努力に水を差すようなことをしているわけである.

日本国は民主主義国家であり,そこに国民として暮らす我々一人一人は日本国の共同主権者である.つまり,国民は被支配者であると同時に支配者でもある.民と君主と言い換えてもいいだろう.そして,私は「日本国が民主主義国家として成熟していくためには,全国民に『自分は民であるだけでなく君主でもある』という自覚が必要である」と考えている.身勝手に自国の貨幣の流通を妨げている人々は,自分が支配者でもあることをどれほど自覚しているのだろうか.
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