俺の目の前に、
とある
水色の塗料で塗られてて、
妙にだみ声の音声を発する、
猫だか狸だかよく分からない、
機械仕掛けの動く人形が、
何か夢がかなう秘密の道具を出してくれるとしたら、
俺は一体何を貰うだろうか。
必殺の寺山修司調に切り出してみる。
内容は余りに暇人が書くそれだが。
よく24にもなってそんな悲しいことが考えられるよなと
思う人もいるだろうが、
もしだよ、もし。
ドコにでも扉一つ隔てて行けるような
凄いドアを貰おうか。
某少女の風呂はよく覗かれてたけども、
アレは現実の世界でやったら
度を越えた犯罪である。
レベルが高い。
覗きというかもう既に侵入しちゃってるからね。
田代を超えるよ。
頭に付けて高速で回転し、
宙を舞う事の出来る機械を貰おうか。
確かに気持ちいいかも知れないが、
アレ、
使ってる姿を下から見られるとかなり間抜けだ。
自分の机のなかを、
時間を自由に行き来できる乗り物に乗れる場所にしてもらおうか。
過去に行きたいか、
未来に行きたいか。
皆さんはどちらに行きたいでしょうか。
どうでもいいでしょうか。
どうでもいいですね。
未来に行く事は理論上は可能である。
だが、主観を通して自分が未来に来たと感じる事はできない。
光速で動く物質における時間の流れは速くなる。
そもそも物体が高速で移動したら
時間が早くなるってのんきな事を言ってる暇もなく、
チリとなるだろうが。
なぜ主観で感じることが出来無いのかというと
自分だけ、時間が進んでることに気付かないからである。
つまりは高速で移動して、
仮にまさしとしよう。
まさしが高速で移動して移動してない、
仮にてつやとしよう。
まさしとてつやの時間の進むスピードは変わらないくせに
てつやが10秒と感じてる時に、
まさしの時間は8秒しか経っていない。
つまりはまさしはてつやの2秒後に行ったことになる。
てつやからしたらまさしは確かに2秒未来に行ったことになる。
だがまさしはもちろん自分の時間の流れ方が
短くなったとは感じない。
つまり、てつやの2秒未来にいるって結果だけであって、
まさしが俺の周りに流れてる時間は速いとは感じない。
まさしにとっては10秒なのだ。
周りの人からしたらそれが速いんだ。
浦島太郎は亀が途方も無いほど光速で移動してたら
自分だけジジイになる事もあるかも。
しかし過去には絶対行けない。
理論上行けない。
当然だ。
その理論てのは因果論なんだが。
原因があって結果があるのは周知の事実だが、
結果があって原因が起こるという現象がありえないということだ。
俺のおかんが俺を産んだという原因で
今の俺がいるという結果があるわけで、
俺が今いるという結果があって
俺のおかんが俺を産んだという原因がある。
意味不明だ。
もちろん因果関係というのは不可逆なものであるという事。
俺の今がある原因で
おかんが俺を産んだという結果がある。
俺は何者だ。
単純な話だ。
原因と結果は不可逆。
そして、原因は結果より前に起こることなどありえないのだ。
全カリでとった宇宙の科学の知識と
ミネミネ大先生の受け売りだがね。
しかし俺はラッドウィンプス的に考えて
やはり過去に行きたい。
どっちかというと。
生まれてから死ぬまで
つまり赤ん坊から始まってジジイになって人生終えるまで。
これを一生と呼ぶんだろうけど、
人がそもそも生まれたって過去から
死ぬって言う未来に向けて動いてくものである。
未来に向かって、
過去というもの、
まあ、簡単に言ってしまえば、思い出とか、記憶とか。
それらを見続けて未来に行くわけだ。
俺らが見ることが出来るのは過去だけだ。
それが全く逆だとしたら。
ジジイになって死ぬという未来から始まって
人生の記憶をもった状態から始まって、
どんどん年を減らしていき、
未来(普通で言う過去)の記憶も減っていき、
赤ん坊で終わる人生。
まあ、やったこと無いからわからんけど、
俺は過去を見れるほうがいいなあ。
絶対に。
だから過去に行きたい。
まだ未来を見なくて済むからだ。
とある
水色の塗料で塗られてて、
妙にだみ声の音声を発する、
猫だか狸だかよく分からない、
機械仕掛けの動く人形が、
何か夢がかなう秘密の道具を出してくれるとしたら、
俺は一体何を貰うだろうか。
必殺の寺山修司調に切り出してみる。
内容は余りに暇人が書くそれだが。
よく24にもなってそんな悲しいことが考えられるよなと
思う人もいるだろうが、
もしだよ、もし。
ドコにでも扉一つ隔てて行けるような
凄いドアを貰おうか。
某少女の風呂はよく覗かれてたけども、
アレは現実の世界でやったら
度を越えた犯罪である。
レベルが高い。
覗きというかもう既に侵入しちゃってるからね。
田代を超えるよ。
頭に付けて高速で回転し、
宙を舞う事の出来る機械を貰おうか。
確かに気持ちいいかも知れないが、
アレ、
使ってる姿を下から見られるとかなり間抜けだ。
自分の机のなかを、
時間を自由に行き来できる乗り物に乗れる場所にしてもらおうか。
過去に行きたいか、
未来に行きたいか。
皆さんはどちらに行きたいでしょうか。
どうでもいいでしょうか。
どうでもいいですね。
未来に行く事は理論上は可能である。
だが、主観を通して自分が未来に来たと感じる事はできない。
光速で動く物質における時間の流れは速くなる。
そもそも物体が高速で移動したら
時間が早くなるってのんきな事を言ってる暇もなく、
チリとなるだろうが。
なぜ主観で感じることが出来無いのかというと
自分だけ、時間が進んでることに気付かないからである。
つまりは高速で移動して、
仮にまさしとしよう。
まさしが高速で移動して移動してない、
仮にてつやとしよう。
まさしとてつやの時間の進むスピードは変わらないくせに
てつやが10秒と感じてる時に、
まさしの時間は8秒しか経っていない。
つまりはまさしはてつやの2秒後に行ったことになる。
てつやからしたらまさしは確かに2秒未来に行ったことになる。
だがまさしはもちろん自分の時間の流れ方が
短くなったとは感じない。
つまり、てつやの2秒未来にいるって結果だけであって、
まさしが俺の周りに流れてる時間は速いとは感じない。
まさしにとっては10秒なのだ。
周りの人からしたらそれが速いんだ。
浦島太郎は亀が途方も無いほど光速で移動してたら
自分だけジジイになる事もあるかも。
しかし過去には絶対行けない。
理論上行けない。
当然だ。
その理論てのは因果論なんだが。
原因があって結果があるのは周知の事実だが、
結果があって原因が起こるという現象がありえないということだ。
俺のおかんが俺を産んだという原因で
今の俺がいるという結果があるわけで、
俺が今いるという結果があって
俺のおかんが俺を産んだという原因がある。
意味不明だ。
もちろん因果関係というのは不可逆なものであるという事。
俺の今がある原因で
おかんが俺を産んだという結果がある。
俺は何者だ。
単純な話だ。
原因と結果は不可逆。
そして、原因は結果より前に起こることなどありえないのだ。
全カリでとった宇宙の科学の知識と
ミネミネ大先生の受け売りだがね。
しかし俺はラッドウィンプス的に考えて
やはり過去に行きたい。
どっちかというと。
生まれてから死ぬまで
つまり赤ん坊から始まってジジイになって人生終えるまで。
これを一生と呼ぶんだろうけど、
人がそもそも生まれたって過去から
死ぬって言う未来に向けて動いてくものである。
未来に向かって、
過去というもの、
まあ、簡単に言ってしまえば、思い出とか、記憶とか。
それらを見続けて未来に行くわけだ。
俺らが見ることが出来るのは過去だけだ。
それが全く逆だとしたら。
ジジイになって死ぬという未来から始まって
人生の記憶をもった状態から始まって、
どんどん年を減らしていき、
未来(普通で言う過去)の記憶も減っていき、
赤ん坊で終わる人生。
まあ、やったこと無いからわからんけど、
俺は過去を見れるほうがいいなあ。
絶対に。
だから過去に行きたい。
まだ未来を見なくて済むからだ。