3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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弾丸旅行 第6弾 京都3 源光庵とラーメン編

2024-02-29 20:41:00 | 
0240224

弾丸京都の最終日記です。

前回の最後に記したように、この京都の旅で最終目的地にするのは、俺らが15年前に訪れてどの寺社よりも魅かれた場所。

京都駅からちょっと遠い。一時間くらいかかる。
以前訪れたときも人は少なかった、というか貸し切り状態であった。伏見稲荷大社のように人気があるお寺ではないのだろう。ひっそりとしている。しかしその閑散とした雰囲気もまた魅力的であった。

JRの稲荷駅から京都駅へ。そして地下鉄烏丸線で北大路駅へ。ここからバスで向かう。北大路駅の地下にはバスターミナルがあった。15年前に来たときは地上で途中からバスに乗ったのでこのターミナルを使うのは初めて。ここから20分ほどバスに揺られる。金閣寺よりも洛北の北。余りここまでは観光客も来ないのであろうか。人は少なかった。

鷹峯源光庵前で下車。

そう、最後の目的地は源光庵である。

15年前、ほぼ貸し切り状態の雰囲気、血天井の不気味な雰囲気、そして悟りの窓と迷いの窓の神聖な感じ。この寺の空気感に完全にやられた。

バス停を降りるとまた記憶がよみがえる。そうそうこんな道だったな。

入り口で撮影。












俺は15年前にここに来たのは、悟りの窓をどうしても見たかったのである。だいぶ前の漫画だが『BOY』という漫画があって、その最後のほうの話で源光庵の悟りの窓の話が出てきて、それを知った。実際に見たときの感想を今でも覚えている。

小さなお寺だが、悟りの窓に座り込み、ひたすら眺める。

俺は悟りを開いてはいないのだが、15年間それなりに生きて、またこの窓を眺めていること自体が感謝すべきことなのかもしれない。そんなことを想う。

2人で15年前に来た京都からまたこうして源光庵で2人して窓を眺めることができた。15年は色々あったがこうして今無事に窓を眺めていることがとても幸福なことなのかもしれないな。窓をひたすら眺めながらそんな事を考える。これが悟りなのかも。




ここは血天井も見逃せない。
伏見城の自害、想像を絶する。

短い時間だったがここは本当に不思議と落ち着いて過ごせる場所なんだよな。何なんだろう、この場所の魅力は。やっぱり今のところ京都で一番好きな場所。
御朱印も頂くことができた。ずっと欲しかった。

バスで一気に京都駅に戻る。1時間くらいかかったが、幸運にも座ることができ、座って窓を眺めていたらついた。もう既に5時半を回っており、京都にいられるのはあと1時間。

時間的にも拝観時間は終わっており、京都での締めはこれしかない。



俺が京都に来たら毎回必ず食べているラーメン。
新福菜館。これ好きなんだよね。
スープの色から味が濃いとかギトギト系かと思われがちだが、本当にあっさりしていて食べやすい。全然濃くない。するっと行ける。焼き飯もめっちゃ美味いから頼めば良かったかな…

ご馳走様でした!また来る。

さよなら、京都。6時45分の新幹線で東京へ帰った。

弾丸で京都滞在時間は9時間程だったが、充分に15年前の景色を見直すエモさを堪能することができた。

そして今回で京都にどハマりしてしまい、また3月に京都に来る事を決めた。

なんて魅力的な場所なんだ、京都…



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