聖火リレーの式典に、森喜朗の姿はなかった。
僕のいつもの早とちりだったのだろう。
そして聖火ランナーへの、東京五輪中止派による妨害もなかった。
実現しなくていいこともあるのだ。
漫画の『アキラ』の舞台は東京五輪中止になった後の世界だ。
大友克洋の斜に構えた様な作風と、等身大のキャラクターと、緻密な背景によるリアリティが魅力的です。
僕も一時は、このアキラの世界が本当になるのではないかと思ったことがあります。
しかし、今日の式典での橋本聖子の読み上げた式辞を聞いていて、改めてオリンピックの中止だけはなんとか避けられないものかと思いました。
橋本聖子の表情からは、開催が決まった時の浮かれた様子はない。
開催を中止にした方がいいという人の方が圧倒的に多い中で、それでもオリンピックの中に、生きる希望をつなげようとする人が少なからずいるということだ。
ボランティアの扱いや、税金の使い方などを問題にすることはあるだろが、過剰にウイルスの恐怖をあおり、安易な検査や必要のない自粛による膨大な損失の方が深刻だ。
オリンピック中止派は、その目標が達成された先に希望があると思っているのだろうか。
オリンピックは戦争ではない。
四年に一度のお祭りだ。
すでに日本では多くのお祭りが中止に追い込まれて、果たして今年もやれるのかどうか分からなくなってしまった。
東京五輪がやれるのであれば、どんなお祭りもイベントも中止にはならないだろう。
東京五輪はやる意味がある。