偉大な記録も毎日の積み重ねだと、よく聞きます。
自分のことを振り返ると所々で怠けてるし、辞めようと思ったことや、これ以上続けるのは無理だと思ったこともあります。
しかし気づけば何十年もの年月が経っていた。
目指したわけではない。
やる気があっても仕事が来なければ終わってしまうだろう。
仕事が来てくれたという運もあった。
「あいつにちょっとやらせてみようか」という人がどこかにいたということだ。
その人に向かって仕事をしていたわけでもない。
生活がかかっていたのは間違いない。
仕事の無い人生など考えられない。
ここまで来たら、行ける所まで行きたい。
日本人の長い歴史を思えば、自分の人生は一瞬だけど、一瞬一瞬の繋がりが歴史ともいえる。
しかも、物すごい数の人がいるわけだから、波のように繰り返すんだ。
要するに人がいなければ続いていかないんだよ。
邪魔な因習などは排除されながら続いていく。
障害物なら避けていくだろう。
カルトが人の人生を破壊するのは、因習や障害に固執するからではないか?
コロナ風邪に執着して恐怖を煽る奴らもそうだろう。
統一協会とずぶずぶの八木秀次などのシナ男系主義者もそうだ。
安倍マンセー教はみんなそうだろう。
櫻井よしこや小川栄太郎の顔もあったな。
多くの集金奴隷を作りながら生き残ってきたカルト団体とその仲間たち。
そんなものは仕事とは呼べないだろう。
犯罪やで犯罪。