今の若い人々は、あまり、知られていないが、
市川房枝さんという日本の婦人運動家がいた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市川房枝(いちかわ ふさえ、1893年5月15日 - 1981年2月11日)は日本の婦人運動家、
政治家、元参議院議員。愛知県中島郡明地村(後の朝日村→尾西市。現在は一宮市)
生まれ。戦前・戦後の日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した。
1981年(昭和56年)2月に尾西市(現在の一宮市)の名誉市民となる。
1981年(昭和56年)参議院永年在職議員表彰を受ける。
組織に頼らず個人的な支援者が手弁当で選挙運動を行う選挙スタイルを生涯変えず、
「理想選挙」とまで言われた。
市川は自らの選挙手法を他の候補者にも広めようとしてさまざまな選挙浄化運動に
参加した。
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1974年、参院選、管総理は
そのとき、管さんは、市川房枝さんの選挙スタッフを務めていたのである。
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(舞鶴公園)
組織に頼らず個人的な支援者が手弁当で選挙運動を行うという、選挙スタイルを生涯変え
ず、「理想選挙」を追求した市川房枝さん。
私は、その教えを起点として、政をやってもらいたいものだと考える。
市川房枝さんは、理想を追求したが、ある種の柔軟性も携えていたという。
運動の目線は、霞ヶ関からみるものではなく、
市民の、国民の生活、暮らしからの目線からスタートしたのが、
市民運動である。
それらの経験(実践)を無駄にすることなく、進んで欲しいものである。
過ぎ去った時間は、取り返すことは、出来ないが、
まだ、明日の未来を創造していく時間は、あるのだから。
(2010年6月8日:松瀬 徹)
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