丸山真男「日本の思想」(岩波新書)をKindleで読んでみた。1961年発刊の古い本だ。丸山真男といえば戦後の進歩的文化人の代表とも言える存在であり、いまだに年配者を中心に支持者が多いようなので、一度読んでみようと思った。
この本を1回読んだだけで理解することなど無理だが、学生のように本書ばかりを何回も読み返すわけにもいかないので、無理を承知で著者の主張を章を追って順に見ていき、それらについての私の感じたことをコメントとして書いてみたい
Ⅰ日本の思想
- 著者が本書を書いた問題意識は、あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった、というものだ(p10)
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著者はあとがきで、本書は、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとかいった類いの批判は誤解であると述べているが、そうとも思えない。一例をあげれば、まえがきで、各時代のインテリジェンスのあり方や世界像の歴史的変遷を辿るような研究が第二次大戦後に西欧やアメリカでは盛んになってきた、このようなアプローチはヨーロッパの思想史学では必ずしもめずらしいものではなく、History of western ideasとかGeistesgeschichte(独語「知的歴史」の意)とかいったいろいろの形で行われてきたものである、と述べており、日本にはそれがないとしている(p8)、これなどは日本は遅れており、西欧が優れていると言っているのと同じではないか
- 一方、著者は、およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、そこから出てくるさまざまの思想的問題の構造連関をできるだけ明らかにすることにある、とも述べている(p189)
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本書の中で著者がどのようにその構造連関を明らかにしたのかわからなかった
- そして、本書はこうしてわれわれの現在に直接に接続する日本帝国の思想史的な構造をできるだけ全体的にとらえて、現にわれわれの当面しているいろいろな問題(知識人と大衆・世代・思想の平和的共存など)がその中で発酵し軌道づけられてゆくプロセスなり、それらの問題の「伝統的」な配置関係を示そうという一つの試図に過ぎない、としている(p191)
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著者には、自分を知識人として大衆と区別する優越意識があるのがここだけではなく本書の他の部分でも出ているのは残念だ
- 著者は開国の意味するところを、維新を境にして国民的精神状況においても個人の思想行動を取ってみても、その前後で景観が著しく異なって見えるとしている(p16)。そして、伝統思想が維新後いよいよ断片的性格を強め、諸々の新しい思想を内部から整序し、あるいは異質的な思想と断固として対決するような原理として機能しなかったこと、まさに、そこに個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取は外見的対決の仕方において「前近代」と「近代」とがかえって連続する結果が生まれた、としている(p16)
- この結果、新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利は驚くほど早い、過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍に追いやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるの、という(p18)。
- しかし、ヨーロッパ哲学や思想がしばしば歴史的構造性を解体され部品としてドシドシ取入れられる結果、高度な抽象を経た理論があんがい私達の旧い習俗に根ざした生活感情にアピールしたり、「常識」的な発想と合致する事態がしばしばおこる、これを精神的雑居性と言った、この雑居性の原理的否認を要請したのがキリスト教とマルクス主義だ(p21)
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維新後の状況についての著者の指摘はその通りであろう、今に続いていると言える。マルキシズム、戦勝国史観、新自由主義などに感化されてしまう浅はかさ、丸山氏はそうではなかったと言えるか
- 維新後の日本には二つの思考様式の対立がある、一方は「制度」、もう一方は「自然状態」だ、日本の近代化が進行するにしたがって官僚思考様式(制度)と庶民的思考様式(精神)とのほとんど橋渡しし得ない対立となってあらわれるが、それは一人間の中に共存し、使い分けられることもある、これは日本における社会科学の「伝統的」思考形態と、文学におけるそれ以上に伝統的な「実感」信仰の相交わらぬ平行線も同じ根源に帰着する(p60)
- 戦後にわが国で社会科学的思考を代表し文学的「実感」の抵抗を伝統的に触発してきたのはマルクス主義であり、そうなったのは必然性がある、例えば、日本の知識社会はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連付けて総合的に考察する方法を学んだが、それが悲劇の因をなした(p63)
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その素晴らしいマルクス主義も今では西欧思想史として学ぶことはあっても、革命を起こそうなどと考えている人はごく少数になったでしょう
- マルクス主義はいかなる科学的研究も完全に無前提では有り得ないこと、科学者は一定の価値の選択のうえにたって知的操作を進めて行くものであることをあきらかにした、そしてマルクス主義は「党派制」というドラスティックな形態ですべての科学者に突きつけた、そして、世界を変革することを自己の必然的な任務としていた、おおよそデカルト、ベーコン以来近代的知性に当然内在しているはずの論理は、わが国ではマルクス主義によって初めて大規模に呼び覚まされたと行っても過言ではない(p64)
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以上のような記述を読むと丸山氏はマルキシズムを評価していたと言えるのではないか、そして変革、すなわち革命思想を信奉していたのではないか、このような思想の流入と戦わず持ち上げていたことは先に述べた維新後の状況の指摘と矛盾してないか
(続く)
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