RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

北風と太陽と波と岩と

2006-10-08 14:43:23 | ふ~ん

(石の庭の紅葉)

今日の新聞第5面にあった記事である。

米ペンシルバニア州で2日
キリスト教の1派アーミッシュ運営の学校が一人の男に襲撃された事件で
殺害されたマリアン・フィッシャーさん13歳が年下の子供たちを逃がそうと
「自分を先に撃って下さい」と申し出ていたと、生存者の証言で分かったとある
暴力を否定するアーミッシュの教えに沿った人々の行動を、米メディアは驚きをもって伝えていると
住民らの話ではマリアンさんの妹バービーさん11歳も、次に自分を撃つように男に訴えた
バービーさんは撃たれ肩など負傷、男の親戚によると犠牲者の遺族らは
事件後に男の家族を許すと伝え、食べ物を与え、男の妻や3人の子供たちが
アーミッシュの人々に抱擁される場面もあり、その妻と親戚は葬儀にも招かれたという。

この報道はひどく深く命について考えさせられる報道だ、誰でもが銃を持てる
社会の怖さが作り出す不幸は際限がない、暴力を暴力で、銃を銃で、武力を武力で、
兵器を兵器で抑制し、世界中に緊張を持たせる平和は、やっぱり本当の平和じゃない。

人間の狂気はなくならないにしても、犯罪者の狂気、独裁者の狂気の分厚いコートは
北風では脱がせられないに違いない。
太陽になったとしても狂気が相手では、よい結果が得られるとは限らないのだが
でも、不幸が不幸を呼んでいくということを少しでも避けられるかもしれない
堂々巡りの穴に入り込まない為の知恵を人は何からもらえばいいのだろう。

打ち寄せる波が固い岩を削る、形のない海水にけずりとられて岩は
時間と共に形を変え、ある部分は静かなゆるい光のただよう洞窟になり、
ある部分はふつふつと水の湧き出るボウルとなって、小さな貝の住みかができる、
カタチのない水が、千に万に形を変えて、不動強固の岩を食べつづける
波は風におどらされ、日の光に化粧されて、輝きながら動かぬ岩に挑み続ける、
一番偉いのは波か風か太陽か岩か?

昨日NHKドラマ「クライマーズ・ハイ」の後編を見た、その中で、山男に
「何故君は山に登るのか?」と聞く場面がある、山男は「降りるためだよ、
降りる為に登るんだ。」と答える。

昨日、白馬岳に登った7人が吹雪で遭難し幾人か命を落としたと報道されているが
ベテランのガイドがついていても、山はそれほどに危険なものなのだろう
プロの登山家とアマチュアの違いは「プロは頂上が目の前にあっても、
状況判断して降りることができる、アマチュアは無理をして頂上を目指す。」と
いう台詞もあったが、その判断をするということに気づく為には、多くの経験も必要
山登りにもいい教師、すぐれた先輩が必要ということか。

どんなことを克服するのにも時間がかかる、結果を求めすぎて家庭をいや間違い
過程をないがしろにしすぎているかなあ、今は。

今日も子守唄

坊やはよい子だ ねんねしな
この子のかわいさ 限りなさ
天にのぼれば 星の数
七里ガ浜では 砂の数
山では木の数 かやの数
沼津へくだれば 千本松
千本松原 小松原
松葉の数より まだかわい
ねんねんころりよ おころりよ