RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

栗握り飯を河畔で食う女

2006-10-18 21:22:01 | おすすめ


栗が好きだ、かなり本気で栗が好きだ
だけどだけど枕元に栗をかごいっぱい置いて寝るとか、栗で箪笥の
引き出しがいっぱいです。とかはありませんが
それより昨日の夕飯の4合の栗ご飯の為に27個の栗をむくのに
2時間近くもかかっちまうなんて、なんてなんて・・・なんて
渋皮な野郎たちめ
おかげで今日は娘の弁当も、旦那の昼ごはんもくりっとまるっと
ぜ~んぶおみとうしだ~で栗ご飯です、しかも栗ご飯のおむすびを
2個つくり、たくあんも4切れ、サランラップで包み~のして
お出かけカバンに放り込み、るるはママチャリで家を出て、郵便局と
なんじゃらかんじゃらの仕事を済ませ、那珂川の辺の緑地帯にて
栗握り飯を食べたのだった、どーよ栗握り飯を河畔で一人食べる女って
しかし人間のこの第1の食欲はとてもとても深い醜い欲にもなります。

昨日の新聞の記事、北朝鮮に対する「ぜいたく品」の提供や販売を禁止した
国連安保制裁決議により、金日成総書記の豪奢な生活を締め上げることになる
とある。
国民の窮乏をよそに金総書記の贅沢三昧振り、フランス産ワインやコニャック
を好み、約1万本を備蓄、日本すし職人やイタリア人シェフを招聘し各国料理
を堪能し、好物の日本産魚介類、イラン産キャビア、デンマーク産豚肉、など
現地から調達し、ベンツ約500台、持ち、欧州産の高額な馬で乗馬を楽しむと
いう生活、もうあきれてお休み中の富士山も噴火するに違いない。
人間の欲の最も醜い標本だね。

話は変わるが、最後にはまたもどるという話なんだけど
香取俊介、鈴木正信共著「北京の檻」(文芸春秋刊)幽閉五年二ヶ月を読んだ。
日中国交回復前の混乱期にスパイ容疑で逮捕・監禁された日本人商社マンの実話
である。
鈴木氏は大陸生まれ、少年時代をハルピンで育ち、16歳で敗戦、翌1946年中国
共産党軍に徴用され、軍医助手として各地を転戦、国共内戦や朝鮮戦争を体験し、
1953年に日本へ戻るのだが、商社マンとなった鈴木氏は1968年2月商用中の北京の
ホテルで解放軍の軍服の人間たちにいきなり逮捕され、身に覚えのないスパイ容疑
で5年2ヶ月もの間、北京監獄に幽閉されることとなる。

「戦争」と「中国」と「革命」この3つのキーワードが一人の平凡で温厚で柔和な
男を過酷な運命に巻き込んでいく、彼の生い立ちや中国時代の行動からすれば、
軍医助手として、中国に貢献してきた人間でありながら、毛沢東の文化大革命と
いう時代背景に人生が翻弄されていく様子が書かれている。

5年間の幽閉生活での取調官とのやり取りは、まさに闘いといってもいい、何が何
でも身に覚えのない彼への容疑を自白させようとする取調官、認めるわけにはいか
ない鈴木氏、このバトルは5年2ヶ月も続くのだ、普通の人なら自暴自棄になって言
いなりに嘘の自供に追い込まれるだろう、彼が何故闘い続けられたのか、本の内容
は日本を祖国に持ち中国を母国?に持つ(あとがきでは在日日僑というのがしっく
りくると書かれていた)一人の人間の寂寥感を伴う屈折した回想録となっていてと
あとがきにもありますが、とても興味深く読めた。

一番興味を引かれたのは軍医助手として各地を転戦する青年時代の心の変遷である
18~9歳の純粋なスポンジのような頭に毛沢東思想が染み込んで、本気で日本へ
帰って革命をやるんだと思っていた彼が、あることがきっかけで変化していく、そ
のくだりが書かれた第六章、ここで書くと読む人に悪いから書かないけれどね、で
もちょっとだけ。

「中国人は着る物には無頓着な人が多いが、食事は特に重視する「メシで差をつけ
る」のである。戦闘部隊でも真っ先に走っていくのは、大きな鍋をかついだ炊事班
である。このあたりで戦闘があると前もって隊長から命令がくだる。すると、しか
るべきところにまず飯炊き場を設営する。」~略~とにかく熱い飯をつくって食べ
させる。それは中国の慣習なんです。冷えたもんなんか食えるかと。熱い飯で士気
を鼓舞するわけです。」というくだりがあって、最新鋭のアメリカ製武器をもち、
トラックで移動していた国民党軍が、はるかに装備の劣る人民解放軍に負けたの
は、食糧が米軍の携行食糧だったからだとの説もあると書かれてあった。

そして毛沢東の革命というものに疑問を抱いていく出来事につながるのですが。
中国と日本の違いを知ることのできるおススメの1冊です、栗握り飯を持って
どこか気持ちのいい場所で読みましょう。

人間の欲が世界中で争いごとを巻き起こしてく、特に権力欲はほかの欲を総括して
しまうから、最もやっかいな人間の業なんだろうね。

「・・・なんでも自分のものにして、もって帰ろうとすると、
むずかしいものなんだよ。ぼくは見るだけにしているんだ。
そして、たちさるときには、それを頭の中にしまっておくのさ。
ぼくはそれで、かばんをもち歩くより、ずっとたのしいね。」
(緑色のレインコートのスナフキン)

写真は朝鮮あさがお」