6/3 右(利き)手を傷めて 間も無く2ヶ月、、、
包帯は外せます 好きな運転中 カーブでハンドルを切る時
自然と右手が切る動作に参加しています 手首の角度が変わると 痛みが生じていたのが 痛みが減っています それにしても完治へは長引いてます
完治への道のりは 年代と私の治癒機能も関わります
自身の60 歳と 75歳を比べます
そのまえに 50歳頃も対比します
50歳頃には 自然治癒の能力が まだまだあった感じ
60歳になると 自然治癒が難しくなり始める感じ
後期高齢者と言われるようになると 治癒時間は長くかかり❗ 危惧される事はひとつの事例から引き金にさせない事、、、
知人の65歳の男性
脚立に上り 剪定中に転落 骨折 その後に 認知症が出始めたらしい
散歩中につまづいて転倒 寝たきり
70歳の男性も転倒骨折 ~手術 認知症、、、
過去の話ではありますが 転倒(骨折)が 回り回って認知症への引き金になったと感じます
年代に関しては 健康度合いは
人さたざまで 自身で振り返れば 納得します
気持ちは青春時代と変わらないように自分を解釈していますが 各部品は劣化や退化に向かっております
継続されてる農業とか仕事のある方は 退化の速度が遅らせられたり もの凄く長続きされたりします
継続の重要性と
植物の生育する姿に元気を貰えたり 収穫の喜び 達成感、、、
活力剤にもなります
趣味の活躍の行動、、、
使命感なんかも 細胞に勢いが得られるに違いない
目標と使命感は とても大事
継続できる健康とか 出来る環境も重要
介護に関しても 年代順の幅は狭まるのは 自身も退化している現実があります
60台の寄り添いの頃は 午前中に4時間パートしてました
夜中(12 時から 3時迄の)トイレ誘導、、、その間は時代遅れの 韓国 冬のソナタ なぜかしら没頭
数本の作品を見た後
チャングムの誓いに出会います
数奇な運命の後に 女官(料理)と女医(医師)の2つを達成
王様の口から 我が命はチャングムぞ知る❗
物語にしてますが 実在の人物として 治療に関して王様から 褒美を下賜された記録もあります
ひとつの事を全うするのも 甘いことでとはありません
しかしチャングムは2つを成し遂げる筋書きに 自分を投影するように頑張れたモノでした
(6月から介護は始まり 暑い最中も夜の睡眠は3時間位 パートに行き 隙間時間で昼寝2時間位)
当時(15年くらい前の話です)振り返ると 今の歳 気力・体力なら とうじの介護生活は出来ないと思われます💦
今は家内に夜中のトイレ用に待機しますが 朝寝 昼寝 夕方寝 夕飯後に寝る~相当寝ています
60歳台と今は比較になりません
若い頃に無理をさせた家内だから 出来る限りは自宅で看る お礼を果たしたい気持ちではありますが 老々介護では私の将来も保証される訳もありませんが 意識だけは持っていねば です
現在ご家族の介護にご苦労されてる方も多かろうと感じます
ご自身の健康(体力・精神面)にはお気をつけ下さい
下の世話をするようになり 認知症が加われば それに鬱が伴うと言葉は悪いが地獄のような心境になる事も、、、
認知症の対応は こちらがおかしくなったような気持ちになります
感情が上手くキャッチボール出来てる間は 介護も大した事はないと思っていました 臭い汚物も顔を背けながら 子供の頃には しーばーも大概世話かけていたからと 作り笑顔でも接しられました
鬱が出始めると 言葉は全部暗い 数日はなだめるように対応しますが 介護とは距離が近くなり 見えるモノが暗い表情と言葉の繰り返しは こちらの平衡感覚が崩れます
難儀した母だから 殺そうとは思わなかったが 死ねば楽になるだろうとは思いました、、、
やがて年末には 私が過労 主に精神的な影響が強かったかも 私の入院から 施設を受け入れるように、、、向かいました
もともとは親子や夫婦の関係が崩れる 鬱症状もタイケン
親が子を 子が親を手にかけるような 悲しい悲惨な心境が解るような
タイケンしたから 介護の悲壮な日々には(地域の社会福祉協議会のケアマネさんに相談される事も大事)気持ちを吐露出来る人が居れば 大いに救われます
介護の理想は 患者一人に 3人以上と言われます 3交代で介護者が自分の生活も出来る事は 肉体面で疲れたり 精神面で疲弊せずに自分を失わないからと言われます
しかし核家族 少子化の現代 それだけ(3人態勢)の 人員に恵まれてる人を探すのは困難
少ない兄妹で 互いに老齢化していたら気持ちは有っても 個々が介助を受けようとする状況では 助っ人どころではありません
つまり単独の老々介護、、、
私の場合は 男性だから料理や オムツ換えの介護等々は大変でしょうと 一歩突っ込んでくれていた感じがします
釣