





阿仁マタギが闊歩した町、旧・阿仁町。古来、山の民は町場の道とは別に、山の中の移動路を持っていたという。もちろん、車(馬車)が走れるような道ではないし、場合によっては馬ですら難しい場所もあるかもしれない。それでも我々が考えるより遥かに山の道は発達し、山脈を超えて遠方との往来も可能であった。今はそんなことをする人はいない。陸路として秋田県由利本荘市から大曲、そして角館を経由する国道105号線が開通している。それだけではない。その国道105号線に秋田内陸縦貫鉄道が並走するように通っている。これは林業、及び阿仁周辺の鉱山からの輸送を担う為に国策として敷設された旧・国鉄線であり、現在は第3セクターとして運営されている。
これにより阿仁の町は普通の町に変貌を遂げた。もう誰も猟銃を肩に背負って歩かない(最初から歩いていないと思うけど)。阿仁マタギは他の職業を持つ、兼業猟師となった。便利となった反面、マタギ文化は生活文化から観光文化または継承文化へと様相を変えた。それでも僕は、その空間が量子レベルで保有するマタギの国の記憶を追い求めて歩く。その姿をいつか捉えることができればと夢を見る。
LEICA M10 MONOCHROME / SUMMICRON M35mm ASPH
この文を読んだ時、僕は「匂い」を思いました。
もうそこにはないモノでも、そこに立ち目を閉じると、匂いはまだ残っていたりします。
また、どこに居ても、その匂い(に似た匂い)を感じた瞬間、タイムスリップして思いだすこともあります。
先の文は、それと似ているような気がしました。
他方、先日の商店の続きコメント、有難うございました。
一期一会の姿勢でコツコツと営んでいらっしゃるお店が、ひとつでも多く残り続けること。勝手に祈念するばかりです。
郷里のそれは、本町であり古町です。
具体的な匂いではなくても、何だか分からない、その場所特有の匂いがありますよね。
もしかしたら、本当は匂いがなくて、その人の記憶と場所が共鳴して呼び起こすのでは、とも考えています。いつもながら興味深いコメントありがとうございます。
追伸:商店の件では、途中でカメラの親父に対する怒りが思い出され、意味不明なコメントになっていましした。申し訳なかったです。