会社でいつも言っている「成長」とは何か、ということについて考えてみた。
わかりやすいのは 売上、各種利益、資産、従業員数等の数値の向上。
これらの数字が大きくなることを「成長」と呼ぶことは多い。もちろんそれは否定しない。とても大事なことだと思っているから。でもそれだけではないと考えている。
最近よく言われるのは ホワイト企業、女性活躍、社会貢献、ダイバーシティ等。
これらのことを実践していると公的に認証されると「成長」または「進化」した企業と呼ばれたりする。最近は、利益等の数値目標よりもこちらの項目の方が優先されたりする。就活的な観点からすると、こういうことをちゃんとやっていないと若い人たちから評価されない。もちろんこれらの取り組みも否定はしない。とても大事なことだと思っているから。ただ、自分はこれらの項目について「数値目標的なものを定めて努力した」という経験はない。というか、こういう項目に数値目標を定めるのは不自然なことだと思っている。これらはあくまでも「結果」であって「気がついたら実践されていた」という項目のような気がする。産休・育休制度作りとか、最近ではテレワーク対応の就業制度作りとか、もちろんきちんと取り組んだけど、時代の流れを考えれば当然のことをやっただけで、「数値目標」や「努力目標」ではなかった。「女性管理職は50%」だけど、意識して女子社員を抜擢したことはない。こういう数値をもって「成長」したとは思っていない。
では、自分が日頃、会社で使っている「成長」という言葉は、具体的にどういう意味なのか、そのことについて考えてみた。ひと言で言うと「考え方」。これが向上するというか、進化するというか、そういうことを称して「成長」という言葉を使っているんだなぁ、と思った。さらに具体的に言うと
自分だけがよければいいと考えるんじゃなくて、自分も、パートナーも、お客様も、みんないい、みんな納得しているし、喜んでいる。こういう状態を目指して努力する「考え方」の習得。折り合いをつけるというか、統合するというか、決して簡単なことではないと思うし、100%完璧ということはないことだと思う。でも、そういう「考え方」が自然にできるように実践を積み重ね、習慣化していくこと。これは自分の考える「成長」の1つ。
成果に対して自分がやったことだと考えるんじゃなくて、多くの人たちの協力やありがたい環境等に気づき、感謝する。もちろん自分の努力が大きかったのは、それは当然のことだけど、それだけでは成果は成し遂げられなかったはず。他の人たちの協力、恵まれた環境に気づき、感謝する気持ちがもてるようになることはとても大事だと思う。同時にチャレンジしている仲間にはできる限り応援する。自分も協力してもらったのだから当たり前のことで、「協力してやっただろう」と見返りを求めるようなものではないのだ。こういう「考え方」の習得。そういう気持ちで、日々仕事に取り組んで、仕事の、「考え方」のレベルをあげていくこと。これも自分の考える「成長」の1つ。
こういう「考え方」を習得、習慣化しながら、最初に掲げた売上、利益、従業員数等の数値を向上させるために、仕事に必要な技術や、品質へのこだわりを高め、修練を継続すること。これが「成長」、と思った。
なぜこのようなことを考え、このようなことを書いたのかはまた明日 ( ´ ▽ ` )ノ 。