東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




松田聖子という一世を風靡したアイドル歌手がいたのはご存知でしょうか。デビューしたのは1980年。今から29年前になるけど なんと今でもアイドル歌手みたいにして歌ってるから、最近の若い人たち(くぅ~、この言葉はおじんくさいかも)も知っているには知っていると思うんだ。でも、多分、ぼくらの世代がイメージしている松田聖子とはぜんぜん違うんだろうな。

やっぱり未だにアイドル歌手路線というのは無理があった。ちょっと前のジュリー(← 知ってるよね、往年の大スターです)みたいな路線を狙っているのかな。長山洋子やベーやんみたいに演歌歌手に転向しろとは言わないけど、もうちょっといい路線があったような気がする。たとえば越路吹雪みたいな大物っぽい歌手にはなれたと思うんだ。なんかちょっと残念だ。ま、いいが。

デビュー曲「裸足の季節」はスマッシュヒット。続く「青い珊瑚礁」が大ブレイク。この曲は若さ溢れる名曲で、今聴いてもみずみずしい。かわいかったんだよ、この頃は!  ま、いい・・。

次の1981年は大きな転機となった曲「風立ちぬ」がリリースされる。松本隆が作詞したこの曲で、それまで海のイメージだった松田聖子は高原の草原のイメージに一変してしまった。衝撃だったぜ(って、ま、いいか)。当時の松田聖子はぼくらの世代のトレンドを結構リードしていて、この時期、女の子のヘアスタイルなんか、松田聖子にそっくりの人が多かった(ウチのヨメさんなんかもそのくちです (^_^;) )。週末遊びにいくのが湘南、房総から、軽井沢、清里に変わった人も多いんじゃないかと。

多くの人が初期の松田聖子のNO.1の名曲と言い、なつかしの歌番組なんかで、松田聖子の映像を流すときは、一番使われることが多いのは「赤いスイートピー」。1982年の大ヒット。作詞作曲は呉田軽穂。そう、ユーミンです。すでに押しも押されもしないアイドル歌手としての地位を築いていた松田聖子だが、この年にリリースされた曲は、さっきの「赤いスイートピー」も含めて、自分的には興味もてなかったんだよね。なんだかね、ダメですワ。

一転、1983年は松田聖子の音楽史上、頂点を極めていた1年である(と自分は信じている)。2月にリリースされた「秘密の花園」はその中でも頂点(と自分は決めている)。ちょっと誘惑っぽい歌詞を可憐なメロディーにのせて歌う。ヘアスタイルも衣装もバッチリキマって、当時のどのアイドルの追従もまったく許さなかった。4月にリリースした「天国のキッス」は映画「プルメリアの伝説」の主題歌。ロードショーで観にいったもんな(内容はまったく覚えていないが (^_^;) )。「天国のキッス」と「秘密の花園」を含むアルバム「ユートピア」は松田聖子のNO.1アルバム(と勝手に決めている)。
そして8月1日・・・。これまでのように海でもなく、草原でもなく、まったく新しいイメージの曲がリリースされる。「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」。「ガラスの林檎」も都会的で雰囲気のある曲だけど、なんと言っても「SWEET MEMORIES」。泣ける(泣かないけどな)。「リンダ」と並び日本生まれの英語の曲の双璧と言っていいと思う。

その後、1984年「ハートのイアリング」、1985年「天使のウィンク」と秀逸な曲でスマッシュヒットを飛ばすが、83年のような充実感は感じられなくなっていく。1996年の「あなたに逢いたくて」は久々の大ヒットにはなったようだが、自分的にはまったくイケてないと感じてしまい、以降の松田聖子の曲はほとんど知らない。

自分の20代前期の日々を彩ってくれた松田聖子の名曲たちを聴くことは、今でもたまにある。曲がよかったのか、時代がよかったのか、多分両方なんだろう。今でもタイプは違うけど、自分にとっての「いい時代」は続いていると思う。でも「今の時代」を彩る歌が、あの頃みたいに多彩じゃないのがちょっと気になるかな。

YouTubeで「秘密の花園」と「白いパラソル」(← 名曲!)を聴いてたら、ブログ書きたくなっちゃって、止まらなくなってしまいました (^_^;) 。

いちばん上の写真は 1983年 松田聖子 頂点の年 の 自分 (^_^;) 。
あの頃は多摩川河川敷の球場で毎週末野球をやってました。やっぱり若かったね。ま、いいと。


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