毎年冬もここまで来ると、そろそろ寒さにもうんざりしてきて、春が恋しくなってくる。
カラフルに咲く花を眺めたくなるのは、決まってこの時期だ。
昨年を振り返ってみると、2月の初めに地元の丸子梅園(写真)を訪れている。
やっぱりね。花がみたくなるんだよね。
ところで我が家では今日、春の到来のようにとても嬉しいことがあった。
次男がチャレンジしていた中学受験の結果が発表され、合格することができたのだ。
携帯の留守録に「お父さん、受かったよ」というとても元気な次男の声。
よかった、よかった。我が家にはひと足早く春が来た。
中学になったらスポーツ系の部活に入り、身体と根性を鍛えるんだ。
友だちはいっぱい作れ。勉強は、英・数・国。この3教科が基本だ。
英語で国際的な視野を広げ、
数学で過去を分析し、
国語で未来を語るのだ。
がんばるのは自分のためじゃない。お母さんのためだ。
いつでも、だれよりも応援しているお母さんのためにがんばれ。
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すごく良い文章というか、これは「詩」ですね。
心があたたかくなりました。
自分も子供にこういう言葉をかけられるようになりたいと思います。
今でも忘れられない母親の暖かい言葉・・・
自分は6つの大学(高校から自分のレベル2つ、レベル下2つ、レベル上2つ受けるような指導があったため)を受けた。今思えば、受験代だけですごいことだったなぁぁぁ~ありがとうっ。お父さん、お母さんですね。はい。
ぶっちゃけ、4校は合格したのに、なぜか学部学科的に狙っていた情報学部、レベル的に言えば、当時レベル上2つのうちの1つ、それからレベル下というつもりで受けた大学のうちの1つ、これは自分的には、続けたい運動部があり、なおかつその部活では全国的に有名なT大学だった・・・この2校に失敗した。結果的に、このT大学には二次合格ということで後日合格通知は受け取ったのだが・・・(^_^;)
しかも、後者のT大学は東京が大雪の日に受験に行ったところで、ある意味思い出に残る受験だったのだ。その上、合格発表にわざわざ足を運んだのはこのT大学だけ。(苦笑)
あの日も寒かったな。T大学の門をくぐり・・・掲示板の壁に貼られた一次合格者リストに近づいて、自分の受験番号を探した。何度も・・・そう、何度も探した。が、なかった・・・何度見ても自分の番号は飛んでいたのだ。(苦笑)あのときの気持ち・・・今でも忘れないっ。うっそぉぉぉ~と思った。当然受かると思っていた(この気持ちがいけなかったんだけど)し、是非とも合格して自分的にはこの大学である運動部に入りたかったのである。両親は反対だったが・・・(笑)
話は戻って、この合格発表で自分の名前がなかった時、校内にあった公衆電話(当時携帯電話は今のように普及はしてませんでしたから)から母親に電話をした・・・
H:お母さん・・・名前が・・・ないっ。(半ベソ状態)
母:気をつけてまっすぐ帰ってらっしゃい。待ってるから ね・・・
このときの、母の『待ってるから』という言葉をどれほど暖かく感じたか・・・
そういえば、去年の春、アフリカから予定よりも早く帰国した時にも成田空港から母に電話した際、『お疲れさまっ!気をつけて帰ってきなさい。待ってるから・・・』と言われて涙したんだっけ・・・いくつになってもお父さんは、一家の大黒柱、そしてお母さんはそれを支える陰の大黒柱でありとっても暖かい存在。
親の愛情を体いっぱい受けて、みんなそうやって大きくなっていくんだね・・・って、わたしの場合は、今でも!??“心配の種”・・・はははは・・・(^_^;) ごめんね。お父さん、お母さんといったところ・・・そう。今でも・・・
この先は、お父さんお母さん大事にするから・・・でも、まだまだ現役だから、まっ、体大切これからもよろしくぅぅぅぅ~ってところ!?(爆)
追伸:今日もどうでもいいコメントになっちゃいました。すみませぬ。。。m(__)m
心に響くコメント、どうもありがとー!
このブログはたぶん長男も次男も読んでるので、つい・・ね。なんか熱っぽくなりました。
でもネットが使える時代でよかった。そうでなければ自分は東京だし、家族とのコミュニケーションはどうしても希薄になるよね。家族みんなでブログやってるおかげで、そういう疎外感はないよね。
母親の有袋類のような全面的なやさしさと違って父親の場合はある程度理屈で諭すようなやさしさだから(子どもが一定の年齢に達した場合)、文章でもある程度は伝わるのかもね。
anz君は 父親としてなら少なくともぼくのレベルはラクに越えていくでしょう。いい親父になれるよ。
Mさん いいお母さんでよかったね。これからも親孝行してあげてくらはい。
そいじゃあねぇ~。