東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




1982年の夏、自分とヨメさん(もちろん当時はまだヨメではないが)は信州
ツーリングに出かけている。東京から甲州街道(国道20号線)を西進し、山梨県
を経由して、白樺湖・ビーナスライン 〜 松本 〜 美しが原 〜 別所温泉
〜 野辺山・清里・小淵沢 をまわる、バイクツアーだ。

当時は今と違ってタンデムでの高速乗り入れは禁止されていたから、かなりの
強行軍だけど、当時はまったくそんな風に感じていなかった。



昨日、小淵沢カントリーでゴルフして、そのままロッジに宿泊。
今日は身延山 久遠寺にお参りし、満開だというしだれ桜を見て静岡に帰ることに
した。日程的には、あの頃に比べるとずいぶん無理のない行程を組むようになった
ものだ。それにバイクじゃないし。



時間的に余裕があるので、ここは中央高速を使わないで、あえて国道20号線を
走ってみることにした。これが、本当に懐かしい。考えてみれば、今でも時々
小淵沢や信州に足を踏み入れているが、すべて中央高速を走行しているはず。

20号線を走ったのはいつ以来だろう。すぐには思い出せなかった。

で、今日、20号線 韮崎あたりを走っているときに思い出したことがある。

1982年、32年前の夏にヨメさんと信州ツーリングをしたときに、竜王町、
今の甲斐市にある「ポプリ」というカフェで休憩したのだ。「ポプリ」は20
号線に面していたから、間もなくその前を通過することになる。

「もしポプリがまだ営業していたら、そこでお茶してから久遠寺に行こう」

ということで、ヨメと二人で目を皿のようにして、20号線を走っていた。
「このあたりだったよね」とか、「アピタの(巨大な)ショッピングセンターが
できてる! この中にはスタバとかいかにも入ってそうだなぁ」とか、そんな感じ
で20号線を東へ走行。ポプリは見つからなかった。

「もう一度 戻って走ってみよう。それで見つからなかったあきらめよう」

ということで、Uターンし、今度は20号線を西へ。

「このあたりだったよね・・・」。「えっ、ひょっとしてあれ!?」

「えっ?」 「どこ?」 通り過ぎた直後に電気が走った。「あれは!」

確かに面影がある。すぐ先のラーメン店(?)の駐車場(開店前)に車を停めて、
歩いて戻ると、そこに。「これ、確かにポプリだよね」。「うん、確かに・・」

写真は掲載しないけど、間違いなくポプリだった。
残念ながら、営業していなかった。

「もう、30年以上前の話しだし、無理もないよね」
「あの頃は、ああいうカフェが流行っていたんだよね。感じよかったけどなぁ」

時代が流れ、街も、人も、変わっていく。1982年といえば、自分は新入社員
の年だ。今思えば、当時は何ももっていなくて、いろいろなものを手に入れたくて
懸命に働き、遊び、本当にいろいろやってきた。おかげで多くのものと思い出を
手に入れたけど、同時に、それと同じくらい、失っていると痛感した。



32年前の夏。「ポプリ」にて。いいお店でした。



そのときの自分。
「成長する」ってどういうことなんだろう って思ったけど、わからない。
それでも成長を目指して、多分あしたも元気に仕事をします ( ´ ▽ ‘ )ノ 。





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