東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




今思い返してみても、「奇跡的」と言ってもいいくらい、本当に幸せな
タワーマンションライフだったと思う。マンションの区分所有者という立場
になって14年間。マンションの一室というのは確かに「モノ」だけど、それは
いろいろな「コト」を運んできてくれる「モノ」で、この場所で実にたくさん
の「思い出」が生まれた。だからこそ、なごり惜しく、愛着を感じている。

2004年から2018年まで、東京でのマンションライフ。
前半は自分の東京単身赴任用の拠点であり、後半は大学生になった2人の
息子たちの生活スペース的な色合いが濃くなった。そんな2人の息子たちも
大学を卒業し、就職した関係で東京の住人ではなくなっている。
この1年は「空いている」状態が多くなっていた。

大好きな東京タイムズタワーだったけど、売却の意思を固めたのは今年の7月
の後半でした。焼津の信頼できるパートナー Yさんに、東京の不動産会社に
勤務するAさんをご紹介いただき、Aさんがまた本当に素晴らしい方で、
一貫して誠実に進めてくださいました。

これまでの生活品を撤去して、清掃会社の方々に入ってもらい、売り出し用の
チラシを作っていただき・・・、本格的な売り出しが始まったのは8月中旬頃
だと思います。購入してくださる方が見つかり、正式な契約の締結ができたのは
11月4日のことでした。

そして今日、東京池袋の某金融機関の一角に、関係者が一堂に会して、
「支払い → 入金」が確認され、司法書士の先生が同席する中で、
東京タイムズタワーの区分所有の権利が自分から新しいオーナーの方に
移ったことが確認されたのでした。



その後、自分は秋葉原の東京タイムタワーを訪ね、お世話になった
フロント・防災センターの方々にご挨拶し、



秋葉原を後にしました。同じマンションの住人として親しくしていただいた方々
には、8月 売り出しが開始された頃にご挨拶させていただいていました。

このブログで、初めて東京タイムズタワーのことを書いたのは この記事

入居前からぴょんさんとの会話が始まっていたことに改めてびっくり。
その後、ぴょんさんはマンション管理組合の理事長もつとめられ、
何度一緒に飲んだことか。懐かしいです。

入居した日の記事はこちら。今思うと若々しいですね。荷物の整理も終わらない
のに飲みにいったことを思い出しました ( ´ ▽ ` )ノ 。

リビングの利用風景

NHKのテレビ取材を受けたときの記事。当時は物議を醸したけど楽しい思い出。

家族での利用風景

若いベンチャーたちが集う会が開かれたことも

筑波大学院の皆さんの研究に協力して「IT業界人の意識調査」の会を開いたことも。

東京タイムズタワーに最後に家族全員が集結した日のことについて書いた記事。
荷物の運び出しのためだったと思う。このときにはすでに売り出すことを
決めていたのでした。家族の協力にも感謝。

もっとたくさんの思い出があって、とても語り尽くせないけど、このあたりで。

東京のマンションライフって、人間関係が希薄なのかと思っていましたが、それは
いきなり覆されました。飲み会の数は数知れず、ゴルフにも行ったし、お見合い
みたいな場をセットしたこともあったような。メイド喫茶巡りもしましたよね。
親しくしてくださった皆さまに心から感謝申し上げます。どうもありがとうございます。

それから管理会社の皆さまもどうもありがとうございます。単身赴任状態だった
自分には朝夕、明るく挨拶していただけるのがうれしかったです。感謝申し上げます。

このマンションの一室の売却について、渾身のサポートをしてくださったAさん
はじめ、不動産会社の皆さんにも感謝。東京タイムタワーの思い出を最後の最後
まで素晴らしいものにしてくださいました。どうもありがとうございます。
新オーナー様にも感謝しております。どうかこの部屋をご愛顧のほど。

それから最後に、東京に出ていき好き勝手な行動をする自分を支えてくれる
社員のみんなにも感謝しています。いつもどうもありがとう。
そしてもちろん、よき理解者 家族にも。

感謝してもし尽くせない、本当に幸せな東京でのマンションライフでした。



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