東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




自分がパソコンショップをやりたいと思った頃、すぐに大阪の上新電機の藤原常務さん(当時)に会いに行った。上新電機のパソコンショップブランド「J&P」と言えば 店頭でのパソコン販売の歴史そのものと言っても過言ではないと思う。ヤマダでもヨドバシでもなく、ダントツで、当時の上新電機はパソコン販売では力があった。藤原さんはそのJ&Pの責任者だった。静岡から大阪入りした右も左もわからない自分のような若造の話しを聞いて下さり、さらにご自身も1時間くらい、これまでのJ&Pの取り組みと これからのパソコン販売について熱く語って下さったように記憶している。

おりしもJ&P10周年の記念イベントを大阪で行い、その基調講演者はなんとあのビル・ゲイツ氏。世界最大のパソコンショップ(当時)「テクノランド」を大阪にオープンさせる直前で、まさしく絶頂期だった。

自分たちが上新電機さんのFC(フランチャイズ)で「J&P焼津インター店」というパソコンショップを開設したのは1992年1月。オープン初日は早朝から大行列になり、大盛況。道路もずいぶん渋滞させてしまった。店舗は順調に立ち上がっていったけど、ここで痛恨の「お家騒動」が上新電機で発生してしまう。自分たちの店がオープンした直後、なんと藤原さんや素晴らしい幹部の方々が退職させられてしまう。そして後を追うようにパソコン系に精通していた人たちが次々と上新電機を去っていった。今の、上新電機をリードしている人たちはもちろん素晴らしい人たちだけど、藤原さんたちを退職に追い込んだ当時のFC部などはまったくひどい人たちで、自分が藤原さんを尊敬していると知るや、「いつまでも藤原時代と違う。FC店舗で大阪に挨拶にきていないのはオタクだけだ」とすごまれたりした。自分もFCをやめてやろうと思ったくらい頭にきていたけど、「上新電機もそんなに悪いやつばかりじゃない。留まれば必ずいいこともあるから」と諭して下さったのも藤原さんだった。

時代の流れで昨年 上新電機直営の家電店と併合する形で、J&P焼津インター店は上新電機の直営店舗になり、自分たちは小売業から撤退したが、上新電機さんとは苦楽をともにし、楽しい思い出もたくさん作らせていただいた。FCではなくなったけど、今でも藤原さんには感謝しているし、上新電機のことは好きだ。

現在カノープス社の社長をされている藤原さんから電話をいただいた。とても気さくに「東京にでてきているから会おう」とおっしゃっていただいた。印象も、お話しされるときの様子も「あの頃」のままだ。とてもうれしかった。

さらに驚いたのは「私も年金をもらえる年齢になりまして、3月で社長も降りるんです」とおっしゃられたこと。もうそんなに時が流れているんだ。気がつかなかった。ビデオ編集がお好きとのことで「これからは世界遺産を見に行って、ビデオに編集しようかな」と笑っておられた。お別れするとき 「どうぞこれからもお元気で」と言った。

J&Pはパソコン販売では最強のブランドだった。パソコン販売の歴史を切り開いてきたJ&Pと とても先進的でチャレンジ精神あふれるJ&Pの指導者 藤原さんのことはこれからもたくさんの人たちに語り継がれると思う。

どうもありがとうございました。
お会いできて、お元気そうな様子を拝見できて、とてもうれしかったです。どうぞこれからもお元気で。
どうもありがとうございました。


このきれいな夜明けの写真は「NIGHT Window ~ 東京の夜景」さんからお借りしております。こちらのサイトにはとても素晴らしい写真がたくさん掲載されています。写真利用はフリーで、特に告知もしなくて結構ですとのことなのですが、感謝を込めて、一文加えさせていただきました。

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