東京日記
静岡県焼津市、藤枝市、北海道の札幌市にあるIT企業グループの経営者 松田敏孝の日記です。




前述のとおり、母親と横須賀に行っていた。母親が「横須賀には戦艦三笠があるっていうじゃん。せっかくだから見ていくだかね?」と言う。実は自分は横須賀に三笠が保存されていることは知らなかった。急に横須賀に行くことになったのでほとんど下調べは0なのだ。でも三笠が日露戦争の日本海海戦のときの日本連合艦隊の旗艦であることはもちろん知っている。これまで読んだ小説の中でも日露戦争を描いた「坂の上の雲」には強く感動をおぼえた。明治の人たちの志の高さに敬服したのだった。

写真はその三笠の参謀室。「ここで、額に汗しながら、懸命に、あの作戦を考えていたのか・・・」と思うととても感慨無量になる。

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ロシア帝国の威信をかけたバルチック艦隊が日本海に現れる。国の命運を背負って立ち向かう日本連合艦隊。その先頭にたったのが旗艦三笠だ。
「 敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス  本日天気晴朗ナレドモ波高シ 」  日本海の荒波をけって、しぶきを立てて進む連合艦隊を想像すると、当時の人たちの勇気と使命感が胸を打つ。

「戦艦は沈まない。とくにスワロフ以下五隻の新鋭戦艦の装甲はいかなる砲弾にも耐える」とロシアの幕僚たちは信じていたし、当然の常識だった。

「皇国の荒廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ。」有名な東郷平八郎司令長官の信号文がすぐさま肉声にかわり、伝声管を通じて全員に伝わる。マストにはZ旗が掲げられる。そして日本連合艦隊は運命を決した「丁字作戦」にでる。
縦に隊列を組んで進んでくる敵艦隊に対して、当時の海戦の常識を覆して、これを遮る形で、あたかも「丁の字」になるように連合艦隊の各艦は回頭するのだ。

「日本人は何を為そうとしているのか」 「東郷は狂したか」 連合艦隊が回頭運動をしている間、バルチック艦隊の主砲、副砲から砲弾が降り注ぐ。三笠は応射しない。敵将が言うところ「びっくりするほど鮮やかな手際の陣形運動をしずかにおこなっているのみで、応射はしなかった」。というよりこの回頭運動のさなかでは応射しようにもできないのだ。

敵艦隊の砲撃のほとんどを先頭をゆく三笠が背負い込むことになる。東郷司令長官は最初からそのつもりだった。被害はすさまじいものがある。回頭運動が完了するまでの15分間は一方的に砲撃されることになる。艦橋で双眼鏡をかざしたままの東郷司令長官は水中への落下弾のしぶきに濡れ、胸もとわずか15、6センチのところを砲弾がかすめていたという。砲弾の飛翔音は間断なく鳴り続ける。

ついに三笠から砲撃命令が下る。目標は敵の旗艦スワロフ。三笠に続き直進航路に入った戦艦敷島も砲撃を開始する。富士、朝日、春日、日進もこれに続く。連合艦隊のスワロフへの集中砲火ぶりはものすごいものがあった。戦闘中、スワロフに命中した日本砲弾は数百発以上にのぼった。火と煙の嵐が旗艦スワロフに殺到した。

ロシア戦艦スラービアは下甲板は浸水、上甲板は猛炎につつまれ戦闘能力を失った。やがて沈没し、海面にただよう兵を駆逐艦が救いあげる。そして日本連合艦隊のどの艦もこれら駆逐艦に対して一弾も送らなかった。

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久しぶりに「坂の上の雲」を本棚からだしてきて思わず読みだしてしまった。上記文章は「坂の上の雲」からの抜粋、修正して組み合わせたもの。

そのようなことを思い浮かべながら、母親と三笠の中で「かっこいいねー」とか言いながらはしゃいでいた。


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