特急東海(静岡-東京間の東海道本線を走る特急)が昨日でラストランだったらしい。静岡-東京間は東海道新幹線が新富士、三島、熱海、小田原、新横浜、品川、東京と停車するから 在来線を走る東海号の役割は希薄になっていた。湘南あたりや大船から鎌倉方面に行くときとかは便利だけど、趣味的な感は否めない。新幹線で東京に出張するとき静岡駅でたまに東海号を見かけることがあったけど、さすがに利用客は少な目だった気がする。その特急東海号が3月18日のダイヤ改正でついに廃止。上の写真は最後の特急東海が東京に向けて静岡駅を出発したところ(撮影 次男)。
その静岡駅では最後の東海の入線を待って上の写真のような状況だったららしい(撮影 次男)。これを見ると鉄道ファンってますます増えていて、盛り上がっているような気がする。自分が中3と高1の間の春休み。九州からSLが消えるというので親に直訴して宮崎・鹿児島1人旅を敢行させてもらったことを思い出す。あの時もたくさんの鉄道ファンがSLを惜しんでかけつけていたけど、こんなにたくさんいなかったように記憶している。デジカメの普及が大きいのかもしれないですね。
出発前の最後の東海号(写真上 撮影次男)。こんなにたくさんのファンに見送られて幸せだよね。この日は乗客の方もいっぱいだったらしい。終着駅の東京でも暖かい出迎えを受けたのかな。
急行の時代から含めて、長い間頑張ってくれた、楽しませてくれた東海号。お疲れ様でした。どうもありがとう。
| Trackback ( )
|
|
次男には昔の自分(としたかさんの昔?)が重なって、今では頭が下がります^^
東海は今の車両より、165系(これも記憶曖昧)湘南色のほうが目に焼きついていますね。
何回か静岡まで行った記憶があります。
私も静岡駅から東京に帰るとき、時間があると東海で帰ろうかな、なんて思ったものです。
最終日のホーム風景、車両は最新型でも凄いですね。
また、リバイバルトレインなんかで走ってもらいたいものです。
では、また。
ぼくも同じで、地元にいながら知りませんでした。次男から言われて「そうだったんだ」って感じです。
そうですね、急行時代の「湘南カラー」の頃の方がぼくも懐かしい感じがします。いつごろ特急に変わったのかのかも記憶が定かではありません。
ぼくもだんだん「鉄道ファン」とも言えないなぁと思ったりしています。次男が引き継いでくれたので良しとしましょうか (^_^;) 。
湯河原へリハビリ、横浜へ仕事、大船経由で休日の鎌倉への移動などはすごぶる快適でおまけに新幹線をメインで使うより断然リーズナブル、時間もさほど影響ない使い方だったから自由席でも空いててけっこう重宝した。
こんな使い方する人は自分以外は殆どいなかったんだろうな~…
時代の流れとはいえ少し寂しい気持ちですね。
ぼくも家族で横浜に行ったときや鎌倉に行ったときに利用しました。シートはゆったりしているし、ワイドビューだし、時間的にもそれほど差がないですから よかったですよね。
>こんな使い方する人は自分以外は殆どいなかったんだろうな~…
う~ん、残念ながらそうですね。
電源完備でパソコンが使えるようにしたり、シートに座ったままで携帯をかけてOKにしたり、防音的な工夫をして会議しながら移動できるようにしたり とかいろいろな再生アイデアはあるのですが、どれもあまり現実的じゃないのかな・・・。
残念ですね。
JRは新幹線から在来線特急に乗り換えれば、在来線のそれは“半額!”になることをもっとアピールしてもよいのではないかな?と感じる次第。
実際、名古屋から長野方面へ行く際に、三河安城から一区間「こだま」乗車、名古屋で「しなの」に乗り継ぎすると、正直に名古屋から「しなの」に乗車するより驚くほどリーズナブルなことをかの長野五輪ときに発見したのが始まり。移動中に仮眠が取れるのは在来線特急ならでは。「東海」使用もそのくち。妻のお父さんからヒントをいただきました。
まあ、そうなると、新幹線特急指定券の売上が頭打ちになる可能性があるのでJR(特に東海)はあまり知られたくないのかな?とも思います。
しかし、タナボタ的新規市場の発掘が結果的にできてしまうことも否定できないのも事実かと感じます。実際これで「ひだ」は集客率アップの要因の1つになってるのは否定できないでしょう。
「合理性とスピードこそ全て」という風潮に限界が見え始めている今日この頃だから国民レベルの価値観変革でもあれば「あるいは…」なんて思ったりもして…。
けっこう静岡県民ってJR離れしそうな気が少しします。東海道本線は昼間は「ローカル線化」してしまって新幹線との料金、サービス、スピード、総てにおいて「格差社会」。しかもその新幹線にしても「のぞみ」は停まらない、「ひかり」も全てじゃない、「こだま」は本数少ない、どうも中途半端っぽいから説得力もイマイチに感じてしまうのは当方だけかな?
鉄道に関しては利用者もJR側も「合理性とスピードこそ全て」という考え方にたってしまうと「旅情」みたいなものが消滅してしまいますね。この喪失は大き過ぎるのでなんとか「国民レベルの価値観の変革」があればいいなぁってぼくも思っています。JR側もそのあたりに配慮した施策を打ち出してほしいと思っています。
静岡県内の東海道本線に関して言うとボックスシートの車両が大幅に減り、ロングシートの車両ばかりになった気がします。通勤電車的な色合いを強める一方で日中は3両編成で朝の通勤電車並みに混んでいたりします。これで「旅の足」としての風情は大幅に減少してしまいました。
利用者である自分たちも普段はビジネス色が強すぎて、車窓を楽しむゆとりもなくしているような気がします。電車に乗るとすぐに本を広げていたり、携帯でメールチェックしていたり、さらにはデッキに移動して通話していたり。便利だと思う反面「移動時間も効率的に」って感覚が強くなり過ぎたなぁってときどき感じたりしています。
今はいろいろなところで価値観の変革が求められていますね。
先週の経済産業省の情報処理技術者試験が終わってほっとしているところです。
自分自身、「東海」という在来線特急に関心を持ったり、マニアックな利用の仕方をしたりして、「オレって鉄オタなんかな?」とマニアの若者に尋ねたら、「一般人ですよ」と鼻で笑われてしまいました(笑)
まず彼らの多くはJR東海の373系車両の存在を肯定しない傾向にある。お手軽な特急車両373系に好意を持つ自分は「所詮、一般人」と。
自分は「快適性」「実用性」は無視できないし、それを抜きにしての関心事項は殆どない感じですが、それを度外視した観点を養えなければならないそうです。
唖然としたのが、会合の移動で名古屋駅から武豊線方面の区間快速を利用する際に、車両の「形式番号(キハ75など)」でなく、その後の「製造番号」の数字を携帯カメラで撮影していた。理由を聞いたら、「この車両はかつて急行「かすが」と「熊野花火~~」に使用されたことのある由緒正しき形式なので」とのこと。。。
Q「ほかの車両とどこが違うの?」
A「経歴」
Q「それ以外は?」
A「特に」
Q「じゃあその経歴ってそんなにすごいことなの?」
・
(以後30分にわたり独自の理論の語りにお付き合いしました・苦笑・ある意味感心)
・
人の価値観の多種多様性を実感させられたことに何だか不思議な安心感を感じました。
僕はこの若者、けっこう好きですね。
>車両の「形式番号(キハ75など)」でなく、その後
>の「製造番号」の数字を携帯カメラで撮影していた。
↑ ウチの次男だったりして・・・ (^ ^;) 。
彼もそのような写真を撮るために、18きっぷで広範囲に出かけていました。
家で「何がおもしろいのか」説明してもらうのですが、ぼくらには理解不能な世界があるようです。でも、自分もそういうの、好きですね。
自分自身はやはり「快適性」「実用性」は重視したいです。それからやっぱり「旅情」ですね。自分は車両の系統や構造にはあまり関心がなくて、印象的な風景を見たり、写真に撮ったりすることが好きみたいです。
ぼくも一般人からは鉄オタと呼ばれますが、鉄オタの中に入ったら一般人と呼ばれると思います (^ ^;) 。そんなに詳しくないですから。
それから自分的には在来線特急も好きですが、在来線急行を復活させてほしいと、これはかなり強く思っています。
僕が感じるところの"旅情"についてなんですが、「移動」というものは単調でスピード感に欠けたり、それが長時間だと案外しんどさを覚えてしまいます。しかし、「何か」が違うとそれが「充実したひと時」に変わる、それが"旅情"かな?って思います。
例えば、(自分の場合ですが、)旧国鉄型113系鈍行で静岡県を横断を余儀なくされたときは随分長時間に感じました。それが「ホームラーナー浜松」の371系(あさぎり型)を利用したら驚くほど快適で「(所要時間の劇的な短縮はないのに)もう少しこのまま乗っててもいっかな?」って感じさせるほどの感覚、これもある種の旅情かな?って…。
贅沢を言えば、スピードや時間をあまり重視せず「移動」そのものを楽しむことができる、その地方の独自の自然、風情、人情味、気候などに、その車両と運用形態が絶妙に溶け込んでいる「移動手段」そのものを楽しめる、定量的でない定性的なものなのかな?って思います。
自分が幼少の頃に、高山本線をキハ58系列とキハ40系列などが混成で一区間の長い鈍行での移動を大変贅沢に感じましたね。
としたかさんは「急行」衰退をどのように捉えていらっしゃいますか?
それはさておき、現役の急行の生き残りをざっと見てみると、「特急に格上げするには中途半端、リピーター(固定需要)がいるようなので廃止にもできない暫定現状維持」って状況なのでしょうか…?…。
民鉄の急行はJRでの「快速」的な存在。では旧国鉄以来の急行は?「急行料金」が発生する。この、なんとも中途半端な優等列車料金と車両もこれまた中途半端なのが現代社会に受け入れられないのかな?デジタル時代はビットの 0 or 1 で二極分化、どうせ優等列車料金を払うなら速くて車両グレードのよい特急を使いたい、って一般人が殆どなんでしょうね。「特急」「急行」並立ってのはある種アナログ時代の象徴?(しかしアナログの美点はデジタルでは決して表現できないのも事実…)
幼少の頃感じたことは、普通列車と急行列車は車両の格差があまりない(165系電車がよく普通列車に使われていたイメージ、しかもよく利用した記憶)が特急車両はゴージャス。けど、急行料金にもう少し上乗せするだけで一気に特急までグレードアップできる、そんな印象だったかな?
今後「急行」を復活させるなら、「急行ならではの美点」をより多くの一般人に説得力のある形で表現できて、しかもそれが「ビジネス」になる(少しでいいから利益を生む)というものへ、昭和時代の「急行」とは別物として存在するものであれば復活も十分可能かと思います。
「急行=快速の上 And 特急の下」でなく、急行独自の存在意義、急行ならではのステイタスなどがわかりやすい形であればあるいは?って感じます。(逆に言えばそれが希薄なのが現在の急行?)
例えば多客期の季節列車として、運用はそこそこ長距離特別快速的で、新幹線利用の乗り換えと混雑の煩わしさを対極に捉え、長時間移動を快適にし、料金をリーズナブルかつ利用しやすいものとし、「こういう時期には急行という選択肢もありますよ!」と消費者に「提案型」として示すことから始めるのも1つの方法かとも思います。
>タイトル:"鉄ちゃん"恐るべし でお願いします。
了解しました と言いたいところなのですが、gooブログはコメントの修正ができないみたいです。ごめんなさい。かわりにぼくのコメントのタイトルを「"鉄ちゃん"恐るべし」にしてみました (^_^;) 。
車両の居住性は大切ですよね。113系だったらボックスシートもあると思うのですが、いかんせん狭いですよね。窓のところにペットボトルなんかも置けないし、第一置いている人がいないし、あんまり旅情を誘わないですかね。今のロングシートよりはいいですが。
高山本線の各駅停車はよさそうですね。高山本線はぼくは特急と急行の経験しかないのです。でもそのときも自分的には「急行の方がいい」ってハッキリ思ったのを覚えています。
ぼくの中の急行列車のイメージでいちばんピッタリくるのは中央線を走っていた昔のアルプス。165系なのでしょうか。オレンジとグリーンの。かつての急行東海もそうでしたが、あれです。
当時の特急と急行の違いは窓があくこと。急行は窓が開くので ライブ感が高まるし、写真がキレイに撮れるし、駅弁なんかも買えるし、旅情が盛り上がりますよね。
それからミーハーな自分は「駅を通過する快感」も好きでした。もちろん各駅停車の旅も好きなのですが、あの通過しているときの気分は悪くなかったです。
それから、自分の中では特急は大人たちの乗るもの、急行は若い自分たちがちょっとがんばって乗るものってイメージがありました。ぼくが鉄ちゃんだった頃はずいぶん前で、中学~高校の頃ですが、その頃は急行でも十分に満足感が得られたのです。
今、急行を復活させるとしたら、さとしさんがおっしゃる通り、「長距離特別快速的・乗換煩雑なし・居住性良好・お菓子やペットボトルなども置ける」電車。
このコンセプトだと思います。乗ってみたい気がします。