この地域のお盆の行事は丁寧で、拘束力が強い。たくさんの人たちがたくさんのお盆の家を回り、先々で会食する。回る方も迎える方もたいへん。でもこれも地域の結束を固めるための知恵なのかも。そのときの語らいなどを聞いていると「いいなぁ」と思うし、ふと自分にとっての「幸せとは何か」みたいな問いが心の中に浮かんできたりする。
ぼくはかつてはこういう風習を厭う傾向があった。今でも近所づきあいとか親戚づきあいは得意じゃないけど、近頃はこういった風習にもできるだけなじむよう心がけている。だいぶ考え方が変わってきたのかも。
この「考え方」って部分は本当に大事だと思っている。どのような考え方をもって人生を歩もうと確かにその人の自由なのかもしれないけど、「考え方」によって人生の様相がまったく異なったものになる。「親戚づきあいなんて面倒くさい」という考え方では絶対に知り得なかった世界は確実にあるし、たとえば新しい仕事が入りそうなとき、「新しいことがやれる。なんだか楽しみだ。」と考えるのか、「よくわからないことにクビをつっこむのはいやだ。」と考えるかでは、その後の仕事の様相は大きく変わってしまう。「考え方」って大事だと思う。
今日は義母とヨメさんは「お盆まわり」があるので、朝から息子二人を連れて喜連川町(3月に氏家町と合併してさくら市になったと今日知った)の温泉までドライブ。朝風呂に入っていた (^^;) 。写真は喜連川の町並み。緑豊かないい町だ。午後は義兄の実家へお線香を上げに。夕食後 那須塩原駅に送ってもらって、東北新幹線で東京に復帰。
明日から東京で「ビジネスモード」に復帰する。
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それが、二人とも180°違う考え方に変わっていけたのは何故なのでしょうか?
これからも変化を恐れずに進んでいきたいものです。
それにしても朝風呂は最高ですね!
ここ北海道(現在ツーリング中)でも、道東のとある町では出かけるときに家に鍵をかけなくてもいいくらい、隣近所の結びつきは強いです。厳しい冬のある自然がそうさせるのでしょうか。
ところが札幌など大都市では、祭りの輸入(よさこい等)や冬の雪祭りなど、住民の結びつきを強めるようなイベントがより必要になるほど、都市化が進んできています。
これが顕著にわかるのは災害時ですね。都市災害の典型は神戸の震災、田舎というなら中越地震などがいい例でしょうか。考え方の問題ですから一概にどちらがよい、との結論は出しにくいですよね。
そうですね、特にまーくんは変わったよね。自分はまだまだですけどね。96年! 懐かしいね。「海辺のまちのフォトグラフ」かぁ。もうじき10年前になるんだ・・・。はやい、ホントに・・。
osamuさん、コメント どうもありがとうございます。
>拘束力と表現するあたりにthinkning of originを感じます
別に深い意味はないのです。ただ、本当にお盆の準備はどの家でもたいへんで、それは焼津の感覚とはかなり違うものなのです。だから「行かなければ」という意識がどうしても強くなるんですね。