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帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。
歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。
平中物語(三十三)また、この男、みかよひにして
また、この男、みかよひにして(見通いにして……結ばれて通っていて)、人目にはよそよそしくして、内では、ものいひかわす(言葉を言い交わす……情けを交す)ことはあっても、あふべきことは(逢えることは……和合できることは)困難な、女が・いたのだった。それで、思いは離れず思い合っていたものの、他の女たち、この男の親族の男と、花摘みに行ったのだった。山に入って遊ぶうちに、この男の馬、放馬したのだった。荒らくて、どうしても捕えられなかったので、この心を通わす女が、「おそろしくも、はやりあるかな(あの馬・恐ろしいほども、勢いのあることよ……うま・大したもので、勇み立っているわ)」。
男、
春の野に荒れてとられぬ駒よりも きみが心ぞなつけわびぬる
(春の野で、荒れて捕えられない駒よりも、きみの心が、なつけられず思い悩んでしまったよ……春の野で、荒れて捕えられないこまよりも、きみの心ぞ、なれ親しんでくれず、わがこまは・弱り果ててしまったのよ)。
言の戯れと言の心
「見…見初め…結婚…媾…まぐあい」「うま…馬…旨…味が良い…立派」「おそろし…恐ろしい…驚くほどだ…たいしたものだ」「はやり…勢い…勇み立ち」。
歌「こま…駒…馬の歌言葉…股間…おとこ」「なつけ…手なづけ…懐かせる…なれ親しませる」「わび…わぶ…思い悩む…寂しく思う(共に住もうと言っても承知せず)…弱り果てる(萎えてしまう)」「ぬる…完了を表す」。
女、返し、
とる袖のなつくばかりに見えばこそ つみ野の駒もあれまさるらむ
(花採る女の、衣の袖が、なれ親しいほどのものに見えればこそ、摘野の駒も荒れ増さるのでしょう……摘みとるわが身の端が、慣れ親しいほどのものに見えれば、つみ野のこまも、荒れ優るのでしょう)。
言の戯れと言の心
「とる…採る…摘む…めとる」「草花…女」「袖…そで…端…身の端」「つみ野…摘み野…罪野…欠点の…弱点の」「野…山ばの無い…ひら野」「らむ…原因理由を推量する意を表す」。
平中といえども、男女の交わりがすべてうまくいくものではない。ここでは、馬と比べられ、わがそでになつきが足りないからよ、もっと荒れまされと言われたのである。前章の女は、君の「あき」は早過ぎる、「待て」と言ったのだった。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。
以下は、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。