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帯とけの小町集
小野小町の歌は、清げに包まれてあるけれども、紀貫之のいう歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心に伝わるだろう。歌は言の心を紐解けば、帯は自ずと解ける。
小町集 9
めのとのとほき所にあるを
よそにこそ峯の白雲と思ひしに ふたりが中にはや立ちにけり
(乳母が遠い所に居るので……めの門が気のりしないところにあるので)、
(遠い他所によ、峰の白雲はあると思っていたのに、二人の仲に、はやくも立ち遮ったことよ……よそよそしいのよ、山ばの頂上の色褪せた心雲と思った時に、あの人との二人の中で、はや、絶ったことよ)。
言の戯れと言の心
「めのと…乳母…乳母は一生近くに居るものだけれども、その夫が地方に赴任したりすると遠く離れることになる…めの門…女のと…おんな」「とほき…遠き…よそよそしい…気のりしない」。
歌「峰…山の頂上…山ばの頂上…京」「白…白色…白々しい…色情なし」「雲…心雲…心に煩わしくも湧き立つもの…色情」「二人…乳母と二人…男と二人」「なか…仲…中」「はや…早々に…さっさと…あゝ…感嘆・詠嘆の意を表す」「たち…立ち…断ち…絶ち」「けり…詠嘆の意を表す」。
乳母はこのようなことを遠慮なく話せる相手である。「それが男の性(さが)よ」と応えるしかないだろう。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のように記した。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。逆に言えば、歌は清げな姿、心の深さ、心におかしきところを味わうものである。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。
古今集真名序には、「小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無気力、如病婦之著花粉」――小野小町の歌は、いにしえの美女衣通姫の歌の流派である。艶っぽい、にもかかわらず無気力。病める女の目立つ花やかな化粧した如し、とある。
古今集仮名序には、「いにしへの衣通姫の流れなり。あはれなる様にて、強からず、いはば、よき女の、悩めるところあるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし」――小野小町の歌は、昔の美女衣通姫の歌体の流れである。あはれ(哀れな…情愛が深い)ようで、それを強く表現していない。いはば、美女が悩んでいる様子に似ている歌である。(情愛、色情が)強くないのは、女の歌だからだろう、とあった。