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帯とけの小町集
小野小町の歌は、清げに包まれてあるけれども、紀貫之のいう歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、藤原公任のいう「心におかしきところ」として、今の人々の心に直接伝わるだろう。言の心を紐解いてゆけば、歌は自ずと解けるのである。
小町集 8
あやしきこといひける人に
結びきといひけるものを結び松 いかでか君にとけて見ゆべき
あやしき(奇異な…聞き苦しい)ことを言った男に
(結んだと言ったのに、結び松、どうして君に、解けて見えるのでしょうか……すでに或る人と・結ばれたと言ったのに、既婚の女、どうして、君にうち解けて、見ることができますか)。
言の戯れと言の心
「結び…約束…結婚」「松…待つ…女」「とけて…結びめがほどけて…うちとけて…隔てなく親しんで」「見…目で見ること…思うこと…覯…媾…まぐあい」「ベき…べし…推量の意を表す…可能の意を表す」。
「松」と「見る」の言の心を心得れば、男は何を言って来たかがわかり、どのような気持ちでこの歌を詠んだか、小町の生の心も伝わる。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
「松」が女などとは、非論理的であるとして、あたまから認めないのが学問的思考である。しかし、言葉の孕む意味にいちいち根拠など無い。「言の心」を心得よと言った紀貫之は『土佐日記』で、それとはなしに松の「言の心」を教示している。土佐国に赴任早々女児を病で亡くした。四年ほど経て帰京して、我が家の庭の小松を見て、共に帰れなかった少女を思い、親の詠んだ歌がある(土佐日記一月十六日)。「松…女」であると心得て、その歌を聞くべきである。又は、この歌によって松の「言の心」を心得るべきである。
生まれしも帰らぬものをわが宿に 小松のあるをみるがかなしさ
「小松…少女」「松…待つ…女」「見る…思う」「かなし…いとほしい…悲しい…哀しい」「さ…接尾語…形容詞などについて名詞をつくる…感動・感嘆の意を表す」。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。