帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (六十二) 清少納言 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-03 19:27:01 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観に依れば蘇える。

公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。品に上中下はあっても、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(六十二) 清少納言

 
  (六十二)
 夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ

(夜をつめて・夜の果てまで、鶏の似せ声で関門を開けさせようと謀ろうとも、夜に・決して、逢坂の関は開門許さないわ――心賢い関守侍り……夜、お、込めて、女の、うわのそら声を図ろうとも、決して、合う坂山ばの身の門は緩めないわ――わたしは暁までおを逃がさない)

 

言の戯れと言の心

「よを…夜を…竹の節を…ふしおを…おとこを」「よ…夜…竹の節…竹の言の心は男・君・貴身」「を…対象を示す…お…おとこ」「こめて…込めて…詰めて…夜中じゅう」「鳥…鶏…鳥の言の心は女…かけ・きぎす・うぐひす・ほととぎす、すずめ、など言の心は女」「そらね…そら声…似せ声…うわのそら声」「よに…決して…夜に…朝にならない限り」「逢坂の関…関所の名…名は戯れる。合う坂の山ばの難関…合う山ばの身の門」「門…と…言の心はおんな」「ゆるさじ…許さない…緩めない」「じ…打消しの意志を表す」。

 

上にような言の戯れの意味と「言の心」を心得て、「笑い話」と思って、枕草子(一二九段)を読むと、ほぼ次のような掛け合いである。

 

頭弁(藤原行成)が、識の御曹司(内裏のすぐ外にある)に来て、四方山話などして「夜も更けた、今夜は御物忌なので内裏で詰めなければ」と言って自ら去って行ったのに、翌朝、「心残りな気がする。徹夜で話していたかったのに、庭鳥(女)の朝だ朝だ帰れという声に追い出されたのでなあ」と、走り書きが届いた。「夜深いのに、声立てた鶏(女)は、孟嘗君の偽の声ではないの」と返事すると、「否、これは、逢坂の関門を開いて、去れと言われたのよ」とあったので、使者を待たせてすぐ歌で応えた、それが上の歌である。行成の返歌は、

 あふさかは人越えやすき関なれば とり鳴かずにも開けて待つとか

(……あなたの・合う坂の関門は、鶏が鳴かずとも・昼も夜も開けて、待つとか)

「返事がないので、あなたの立場は・まずいことになってしまったよ、これらの歌は、皆に知られてしまったからね・門開いて昼夜おとこを待つ女になってしまつたよ、どうしよう」とあった。

(次は話の落ちであるが、枕草子には書かれていない)。行成殿、返事は最初の歌にありますぞ、(……今度・合ったら、偽の鶏が鳴こうが、締めあげて、門緩めず、逃がさないから、決して、君を許さないからね)。(男ども大笑いしただろう)。


 清少納言は、そんなことは気にする様子も見せず。君の歌や文は、欲しいという人が多くてね、達筆だからねえ、人にあげてしまったわ。わたしのこと言いふらしてもいいのよ、おあいこだから、と言って、またも行成を驚かせたのである。「怒らへんのか~い」。

 


 和歌も枕草子も、ほぼ上のような文脈にある。清水の舞台からと飛び下りるほどの勇気が要るけれども、この文脈に飛び込んで「言の心」など心得て読めば「心におかしきところ」が顕われる。