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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって紐解けば、人の生々しい心根として蘇える。
公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。和歌は、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。「心におかしきところ」とは、性愛・生の本能ともいうべきもの、俊成は「煩悩即菩提」と言った。
藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (六十八) 三条院
(六十八) 心にもあらず憂き世にながらえば 恋しかるべき夜半の月かな
(心ならずも、うっとうしい世に長らえていれば、恋しくなって当然の、明るい・夜半の月だなあ……心、ここになくて、浮き夜に長らえていれば、乞いしがって当然の、夜半の、元気な・月人おとこかなあ・許せよ)
言の戯れと言の心
「心にもあらで…心ならずも…心ここに無く…無情に」「うき…憂き…つらい…うっとうしい…浮き…心浮き浮き」「よ…世…夜」「こひ…恋…乞い…求め」「べき…べし…推量を表す…当然・適当を表す」「夜半…夜深いとき…夜のものの半ば」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…つきよみをとこ(万葉集の歌語)…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名と万葉集の坂上郎女の歌に左注がある)…月の言の心は男・おとこ」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」。
歌の清げな姿は、世の中のことを思いながら月を眺める、御姿。
心におかしきところは、御体調ゆえか、おとこのさがか、ものの半ばで衰えゆく、気付き・詠嘆・女御への御心遣い。
後拾遺和歌集 雑一、詞書「れいならずおはしまして、くらゐなどさらんと、おぼしめしけるころ、月のあかかりけるをごらんじて」、三条院御製。
「れいならず…(体調など)平常では無く…(気分など)普通では無く(藤原道長に我が娘腹の皇子への譲位を迫られていたという)」「くらゐ…位…暗い」「さらん…去らむ…払拭しょう」「月のあかかり…月の明るい…つき人おとこの元気な」「赤…元気色」。
三条天皇は、御目もご不自由になられていたというが、「大鏡」の語るところによれば、御目のことは「空言のやうにぞおはしましける」という。この頃、少し離れたところに居られた内親王の「挿し櫛」の挿し方の間違いをご注意され直させられたことがあったという。
ほんとうは、月も、可愛い内親王も、世の中も、女御も、よくお見えになられていたのだろう。「恋しかるべき、闇よを明るく照らす、月人壮士かな」には、藤原道長のくらい世を憂うる「深い心」もあるだろう。