帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (八十八) 皇嘉門院別当 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-31 19:36:46 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されて有り、それは、俊成の言う通り、まさに「煩悩」であった。

 

公任のいう歌の「心におかしきところ」は、言い換えればエロスである。性愛に関わる人間味あふれるもの、人を惹きつける魅力の源泉である。これが和歌の奥義である。もとより、和歌は、人麻呂、赤人の歌において、エロチシズムのある表現様式を持った文芸であった。

 


 藤原定家撰「小倉百人一首」
(八十八) 皇嘉門院別当

 

 (八十八) 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき

(難波江の葦の、刈り根の・仮寝の、一節の間なので・一夜なので、水路標識につき従ってよ・身を尽くしてよ、君を・恋い続けるに違いないわ……何はおんなの、脚の・悪しきものの、狩り寝の一夜なので、見を尽くしてもよ、君を・乞い続けるつもりよ)

 

言の戯れと言の心

「難波江…入り江の名…名は戯れる。何は江、あの江」「江…言の心は女・おんな」「葦…あし…肢…脚…悪し」「かりね…刈り根…仮寝…狩り寝」「狩り…猟…め獲り…まぐあい」「ひとよ…一節…節と節の間…短い…人世…一夜」「みをつくし…水路標識…身を尽くし…見を尽くし」「み…身…見…媾…まぐあい」「つくす…つき従う…尽くす…最後までし終える」「て…接続助詞」「や…疑問の意を表す…感動をもって断定する意を表す」「こひ…恋…乞い…求め」「わたる…続く…つづける」「べき…べし…確信ある推量を表す…に違いない…意志・決意を表す…きっとするつもり」。

 

歌の清げな姿は、一夜の契りでも、人の世のこと・一寸先は闇、身を尽くして恋つづけるかもしれないわ。

心におかしきところは、何のあれの脚の間の、悪しきものゆえ、見尽くしても、なお乞いしつづけるつもりよ。

 

千載和歌集 恋三 「摂政、右大臣の時の家の歌合に、旅宿逢恋、といへる心をよめる」。(藤原兼実・皇嘉門院の弟が、右大臣の時に主催された歌合の為に詠んだ歌、題は、旅宿で逢う恋の心)。


 皇嘉門院別当は、崇徳天皇譲位の後に、皇后は「皇嘉門院」と称されたが、その女房たちを代表する人。


 

上のように歌の言葉は、俊成の教えに従って、「浮言綺語の戯れ」と捉えるべきである。近代人は、言葉の戯れを己の理性と論理に従って、把握したくなるらしい。歌言葉の戯れを分類して「序詞」「掛詞」「縁語」などと名付ければ、歌言葉を牛耳ったと思いたくなるが、掴み損ねたのである。言葉はそれほど単純な代物ではないのである。それは、平安時代の歌詠む人は誰でも知っていたが、はっきり言葉にしたのは清少納言である。「同じ言葉でも聞き耳によって(意味の)異なるもの・それが、我々の用いる言葉(法師の言葉、男の言葉、女の言葉)である」。

清少納言の言語観は決して哲学的ではないが、その戯れぶりを、はっきり言葉にした最初の人だろう。その戯れを利した言動によって、周囲の人々の心をおかしがらせた。その記録が枕草子にある。

清少納言より二百年ばかり後の皇嘉門院別当が、上のような、「心におかしきところ」のある歌を、言葉の戯れを用いて詠んでも、すこしも不思議ではない。