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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって紐解けば、人の生々しい心根としてが蘇える。
公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。和歌は、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。「心におかしきところ」とは、性愛・生の本能ともいうべきもの、俊成は「煩悩即菩提」と言った。
藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (六十七) 諏訪内侍
(六十七) 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
(春の夜の夢ほどの、かりそめの君の・手枕に、甲斐なく立つでしょう浮き名こそ、愛しくてたちきえるのが惜しくなることよ……春の張るものの夜の夢ほどの手枕に、かいなく立つでしょう汝の身こそ、愛しくて離したくなくなってしまうわよ)
言の戯れと言の心
「春…季節の春…春情…張る」「夜の夢…覚めれば消えるもの…はかないもの…むなしいもの」「よ…夜…節…竹の節…おとこ」「ばかり…程度を表わす…限度・限界を表す」「に…によって…のために」「かひ…甲斐…効果…価値…ねうち…貝…をんな」「な…名…噂…浮き名…汝…親しきものをこう呼ぶ…汝身…貴身…吾身」「をし…惜し…いとしい…愛着を感じる…失いたくない」「けれ…けり…気付き・詠嘆の意を表す」「れ…り…完了を表す」。
歌の清げな姿は、かりそめの手枕のために、立つ浮名でも、たち消えるのが惜しくなりそう、あゝ。
心におかしきところは、そんなことなさっては、張るの節くれ、貝なく立つでしょう、汝に愛着して離したくなくなるわよ。
千載和歌集(藤原俊成撰)雑歌上、詞書「二月(春)ばかり、月のあかき夜、二条院にて人々あまた居明かして、物がたりなどしけるに、内侍諏訪、(御簾のもとに)寄り臥して、枕をがな(枕があればなあ)と忍びやかに言ふを聞きて、大納言忠家(藤原俊成の祖父)、これを枕にとて、かひな(腕)を御簾の下よりさし入れて侍りければ、よみ侍りける」。
千載集にある、忠家の返歌を聞きましょう、
契りありて春の夜深き手枕を いかがかひなき夢になすべき
(夫婦の約束を交わして春の夜深きときの、わが・手枕を、どうして、ねうちのない、はかない夢になさるのだろう・貴女は……男女のちぎり交わした春の夜深きときに、我が・い抱きしめを、どうして・井かが、貝のない、夢中の交わりになさるのですか・マジなのに)
「契り…誓い…言い交わし…夫婦の約束…男女の交わり」「たまくら…手枕…手巻くら…手をからませる…手で抱きしめる」「いかが…如何…どうして…井か?が…おんなかが」「かひ…甲斐…効果…価値…ねうち…かひ(峡・貝)の言の心はをんな」「べき…べし…推量、適当、意志などを表す」。