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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって解釈すれば蘇える。
公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。歌は、品に上中下はあっても、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式で詠まれてあった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (六十三) 左京大夫道雅
(六十三) いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
(今は、ただひたすら、あなたへのわが・思い絶えてしまうのがいいのだとだけでも、人を介して伝えるのでなく、直に・言う手立てがあればいいのになあ……井間は、多々、貴女の・思火、絶えてしまってほしいとだけなのだが、人を介さず、直に・言う手立てがあればなあ)
言の戯れと言の心
「いま…今…現状…井間…おんな」「ただ…普通…世の常…ひたすらに…せつに…直…直接…多々…多情」「思ひ…思火…情念の炎」「絶え…絶ゆ(の連用形)…絶ゆ(の未然形)」「なむ…きっと(絶えて)しまうだろう(推量を表す)…(絶えて)しまうのがよい(適当を表す)…(絶えて)しまいたい(自らの意志を表す)…(絶えて)ほしい(相手に希望する意を表す)」「ばかり…程度を表す…限定をあらわす」「を…なのだが…なので…詠嘆を表す」「よしもがな…方法があればいいのになあ…手立てが欲しいなあ」。
歌の清げな姿は、おほやけの仰せごとであれば、貴女への思い絶えてしまいたいと、御目にかかって伝えたい。
心におかしきところは、あのただならぬ、御身とお心も絶えてほしいと思うばかりなのだがなあ、他人には言えない。
後拾遺和歌集 恋三、詞書「伊勢の斎宮わたりより上りて侍りける人に、忍びて通ひけることを、おほやけもきこしめして、守りめなどつけさせたまひて、忍びにも通はずなりにければよみ侍りける」。
三条天皇の御時の斎宮で、天皇の退位と共に斎宮を退いて帰京した内親王に、吾妻にと思って、道雅はひそかに通っていた。歌にも顕れている通り内親王も道雅を深く思慕されていたのだろう。お付きの女房どもに任せておけなので、三条院は守り女を夜毎につけて娘を守らせられた。道雅の父藤原伊周は、後に許されて儀同三司(准大臣)として復帰したとはいえ、流罪を被った元罪人であったからである。
道雅の童子のころの様子が枕草子に見える。太政大臣藤原道隆の可愛い孫で「松君」と呼ばれ、まさに目に入れても痛くない存在であったのに、時移りこのようなことになろうとは。内親王はその後、自ら髪を切り尼に成られたという。道雅は泣き寝入りするしかないだろう。