帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (七十六) 法性寺入道前関白太政大臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-18 19:29:10 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義


 
 和歌を解くために原点に帰る。最初の勅撰集の古今和歌集仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業であるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十六) 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通・出家してこう呼ばれたのは六十五歳以降。院政のもと、二十五歳で関白となり失脚・復活を経験して六十二歳で引退した)


  (七十六)
 わたの原こぎいでて見れば久方の 雲ゐにまがふ沖つ白浪

(大海原、漕ぎ出でて見れば、久方の雲居にまちがえそうな、沖の白浪……綿の腹・をうな腹、こき出でて見れば、久しき方の雲井に、いりみだれる奥つ白汝身)

 

言の戯れと言の心

「わたの原…わたつみ…海原…大海原…それぞれが戯れの意味を孕む。わたるうみ、産み腹、をうなはら・女腹、綿のように柔らかい腹」「海…産み…言の心は女」「原…腹」「こぎ…漕ぎ…扱ぎ…こき…体外に出し」「見…目で見る…めとり…覯…媾…まぐあい」「久方の…枕詞…久しき方…女」「雲ゐ…雲居…天…有頂天…雲井…女の情欲の頂点」「雲…心に煩わしくもわき立つもの…情欲・色情など…煩悩」「井…言の心は女」「まがふ…紛れる…間違う…入り乱れる」「沖つ…奥の」「白浪…白汝身…白妙の身…白絶えの身」「白…おとこのものの色…白つゆ」「なみ…浪…波…汝身…親しきもの…身の一つのもの…おとこ・おんな」

 

歌の清げな姿は、海上の遠くに見える白雲と白波の景色。

心におかしきところは、久しき性愛の果て心雲残る井の奥のありさま。

 

詞花和歌集 雑下、詞書「新院位におはしましし時、『海上遠望』といふことをよませ給けるによめる」。(新しく院になられた崇徳上皇が天皇の位に在られたときの題詠の歌)。保元の乱の二十一年前ののどかだった内裏歌合の歌。


 

古今集仮名序の貫之の主張「今の世の中、色好みに堕した歌となった。人麻呂、赤人の歌に帰れ」に、百年ぶりに倣った歌のようである。


 人麻呂の歌、
ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく船をしぞ思ふ

(清げな姿は海上遠望)……ほのぼのと夜を明かしの、心の浅切りに、肢間隠れ、逝く夫根を惜しいと思う……(心におかしきところは、ものの果てのありさま)。

「うら…浦…心…裏…陰」「あさ…朝…浅」「きり…霧…限…切り…限度」「しま…島…肢間…おんな」「ふね…船…夫根…おとこ」。

 

赤人の歌、田子の浦ゆうちいでて見れば 白妙の富士の高嶺にゆきはふりつつ

 (清げな姿は海上遠望)……多情のをんなごの裏にうち出でて見れば、白絶えの不二の高嶺に、白ゆきふり筒……(心におかしきところは、ものの果てのありさま)。

 「たご…所の名…名は戯れる。田子、多子、女子」「田…言の心は女…多…多情」「見…覯…媾…まぐあい」「白妙…白絶え」「富士…不二…二つとない…二度とない」「ゆき…白ゆき…おとこの情念…白つゆ」「つつ…継続を表す…筒…中空…むなしい」。