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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
和歌を解くために原点に帰る。最初の勅撰集の古今和歌集仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業であるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十三) 権中納言匡房(大江まさふさ)
(七十三) 高砂のをのへの桜さきにけり と山の霞たたずもあらなむ
(高砂の尾根の上の桜が咲いたことよ・眺めよう、外山の・周辺の山の、霞立たないでほしい……高くはかないおの山ばの、おとこ花咲いてしまったよ、との山ばの、か済み・か澄み、もう起たないでほしい)
言の戯れと言の心
「高砂の…地名又は山の名…名は戯れる。高い砂の(山)、高くもろい(山)」「山…ものの山ば」「をのへ…尾根の上…峰…頂上…絶頂」「桜…木の花…男花…(はかなく咲き散る)おとこ花」「と山…外山…他山…おとこ山ばではなお女の山ば」「と…戸・門…言の心は女」「霞…かすみ…か済み…ことの済み…か澄み…心の澄み」「か…接頭語…あれ…あの」「たたず…立たず…起たず」「も…強調」「あらなむ…有って欲しい…(そのままで)在って欲しい…相手への希望を表す」
歌の清げな姿は、はるかなる山に咲いた桜を眺望するために、周辺の山の霞への願い事。
心におかしきところは、男のはかないさがゆえに、一度の和合で尽きたおとこの懇願。
後拾遺和歌集 春上 詞書「内大臣の家にて、人々酒たうべて歌詠み侍けるに、はるかに山桜をのぞむといふ心をよめる」とある。(遥かに山桜を眺望するという心を詠んだ……ひさしき山ばのおとこ花を望むという心を詠んだ)ということである。山桜の遠景の写生ではない。この時代の歌は風景描写があったとしても、「心を」表現するための、「清げな姿」である。
大江匡房朝臣は、和漢の学と有識故実にも通じた人。和歌は、後拾遺集、詞花集など勅撰集に多数入集。
匡房より六十年以上昔の人ながら、「いづみしきぶ」の歌が、同じ春上にあるので聞きましょう。
春霞たつや遅きと山川の 岩間をくぐるおと聞ゆなり
(清げな姿は略す……春の情、済み・澄んで、絶ったかな遅いなあと、山ば流れた側が、わが・岩間を潜る、音・おとこの声、聞こえている)
「岩・間…ことの心は女・おんな」「音…おと…声」「お…おとこ」
(申し遅れましたが、歌と題の原文は、『新編 国歌大観』による。ただし、ひらがなと漢字表記は、原本と必ずしも同じではない。又、当方のミスで誤写があるかもしてないので、正当な原文は原本をご覧ください)