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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (190)
雷壺に人々集まりて秋の夜惜しむ歌詠みけるついでに
よめる 躬恒
かく許おしと思夜をいたづらに 寝であかすらむ人さへぞうき
雷の壺(襲芳舎)に人々が集まって、秋の夜の明けるのを惜しむ歌を詠んだ、ついでに詠んだと思われる・歌……雷に備えて雷壺に人々が集まって徹夜の警護をした時に、秋のゆくのを惜しむ歌を詠んだ。そのついでに詠んだらしい・歌。 みつね
(これ程明けるのが惜しまれる風情ある秋の夜を、何事もなく無駄に、寝もせず明かすことになるだろう人、われらさえ、心憂きことよ……これ程あけるのが惜しく思われる夜を、無益に・飽き満ち足りることなく、共寝せず明かすだろう女、小枝さえも、心憂きことよ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「雷壺…雷の避難所…雷の来そうな時、天皇と妃を警護するため、女房たちと近衛府の男どもが集まった御局」。
「おし…惜しい…愛着を感じる」「夜…秋の夜…涼しき虫の音など風情ある秋の夜長…飽き満ち足りる夜」「いたづらに…無駄に…無益に…ただなんとなく…好いこともなく」「ねで…寝で…寝ずに…共寝せずに…徹夜して」「あかす…飽かす…夜明けを迎える…ものの果てを迎える…飽かず…飽き満ち足りることなく」「人…人々…女」「さへ…強調…までも…添加の意を表す…さえも…さ枝も…小枝も…おとこも」「うき…憂き…体言の省略された体言止めで余情がある・浮き浮きであるべきなのに」。
雷の為に、風情あり明けが惜しまれる秋の夜を、無駄に、徹夜して明かされる主上、女たちに我らさえ、心憂きことよ。――歌の清げな姿。
明けるのが惜しい夜を、無駄に、寝もせず明かすだろう諸君、女たち、小枝も、心憂きことよ・いつもは心浮き浮きだろうに。――心におかしきところ。
特異な視点で、「共寝せず、まもなく明かすだろう女たち、我らの小枝も、心憂きことよ・共寝して明かせば、女、おとこさえ、心浮き浮きなのになあ」は、宿直の徹夜明けを迎える人々の失笑をかいながらも和ませるだろう。此れも和歌である。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)