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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (205)
(題しらず) (よみ人しらず)
ひぐらしのなく山さとの夕暮れは 風よりほかにとふ人もなし
(詠み人知らず、女の詠んだ歌として聞く)
(ひぐらし蝉の鳴く山里の夕暮れは、秋の風よりほかに、訪う人もいない……灯暗し背身の泣く、山ばのさ門のものの果て方は、厭きの心風より、ほかに、訪う男もなし)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「ひぐらし…蝉の名…名は戯れる、日暮らし、灯暗し」「くらし…暗し…心暗い…活気なし」「なく…鳴く…泣く…涙を流す…汝身唾を流す」「山…山ば…感情の山ば」「さと…里…里の言の心は女…さ門…おんな」「夕暮れ…日の暮れ…ものの果て」「風…秋風…涼風…厭き風…心に吹く寒風」「人も…男も…男もそのものも」「も…並列を表す…同類の事柄が他にもあることを暗示する…人も(その貴身も)」。
秋の夕暮れ、山里の人影のない、寂しい風情。――歌の清げな姿。
暗し背身の汝身唾流す山ばのさ門は、厭きの心風よりほかに、訪う人も、あの貴身もなし。――心におかしきところ。
山里の秋の夕暮れの風情を「清げな姿」にして、さ門の山ばで、あき風吹かせて活気失せた貴身を、嘆く女の思いを言い出した歌のようである。
女歌三首、男歌二首挟んで、女歌三首、計八首のよみ人しらずの歌が並べられてある。歌の出所は寛平の御時に行われた歌合の歌ではないかと思われる。合わされた歌との競艶となり、より露わとなる歌のエロス(性愛・生の本能)を、歌合に出席に人々は楽しんだのだろうと想像される。
これらの歌を、国文学的解釈がそうであるように「清げな姿」だけを見れば、秋のもの寂しい風情と、それらについての人の思いを詠んだ歌群である。このような解釈は、仮名序の「和歌は、世に在る人、こと(出来事)、わざ(人の業)が頻繁に起こるものなので、その心に思うことを、見る物や聞くものに付けて、言い出したのである」と読める歌の本質論から、かけ離れた、うわのそら読みである。
清少納言枕草子20に、定子中宮の語られた「村上の御時の宣耀殿の女御」の逸話がある。歌は自然の風物などに付けて(又は寄せて)、女と男が生の本心を表出するものであるとすれば、女御が未だ姫君であった時、父の藤原師尹が申されたことは、手習いの他に琴を誰よりも上手に弾けるようになりなさい、それに「古今の歌二十巻を、みな浮かべさせ給うを、御学問にせさせ給へ」であった。和歌には、男と女の性愛の機微にも触れる生の心が表出されてあることがわかれば、歌を女の学問にし給えと言う言葉に、深い意味がある。その姫君が女御となっての夜、内裏に向かって何かを祈念する父の藤原師尹を評して「好きずきしうあはれなることなり」という意味も、わかるだろう。
「古今和歌集」の歌のほんとうの意味を享受していたに違いない、藤原師尹、定子中宮、清少納言といった人々とほぼ同じ文脈に入って、ほぼ同じように古今集の歌を聞いていると思えた時、正当な歌の解釈に辿りついたのだろう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)