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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (196)
人のもとにまかれりける夜、きりぎりすの鳴きけるを
聞きてよめる。 藤原忠房
きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜の ながきおもひは我ぞまされる
人の許に宮の内を退出して行った夜、秋の虫が鳴いたのを聞いて詠んだと思われる・歌……女の許より退出した夜、きりきりもの締めつけるような嘆き泣く声を聞いて詠んだらしい・歌。 ただふさ
(コオロギよ・胸キリキリするよ、ひどく鳴かないでくれ、秋の夜のような、長い嘆きする思いは、我の方が勝っているのだ……吾女よ・これきりにする、きりきり締めつけ、ひどく泣かないでおくれ、厭きの夜の、長溜息の思いは、我の方が増している)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「まかる…(宮中を)退出する…引く、出るの丁寧語」。
「きりぎりす…コオロギのこと…この秋の虫の鳴き声は、キリキリ、ものを締めつけ軋むように聞けば聞こえる…鳴き声や名は戯れる、胸キリキリす・此れが限りとする・キリキリとしめつける・鳴く虫の言の心は女」「いたく…ひどく…はなはだしく」「鳴き…泣き」「そ…禁止の意を表す」「秋…飽き…厭き…嫌気」「ながきおもひ…長い思い…長い溜息をする思い…嘆きする思い」「まされる…勝っている…増さっている」。
コオロギよ、胸キリギリする声で鳴かないでくれ、秋の夜の長い溜息出る嘆きは、我の方が勝っているのだ。――歌の清げな姿。
これ限リにす、吾妻よ、ひどく泣かないでおくれ、厭きの夜の長すぎる嘆きは、我の方が増している。――心におかしきところ。
女のさが(性)と異なる、厭きの夜の長きを嘆く、はかないおとこの性(さが)を言い出した歌のようである。
仮名序冒頭の和歌の本質を述べる二行目には、「よのなかにある人、こと、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言ひ出だせるなり」とある。これまで紐解いてきた歌すべて、これから解く歌のすべての、本質を言い当ててある。
「よのなか…世の中…女と男の仲…夜の中」「こと…事・事件・出来事・言葉」「わさ…報いを受けるべき善悪もろもろの行為…人の業(ごう)」。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)