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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (213)
雁の鳴きけるを聞きてよめる 躬恒
うきことを思つらねてかりがねの なきこそわたれ秋の夜なよな
雁が鳴いたのを聞いて詠んだと思われる・歌……かりする女が泣いたのを聞いて詠んだらしい・歌。 みつね(古今集撰者の一人)
(世の中の・憂きことを思い連ねて、雁の声が、鳴きつづくよ、秋の夜毎に……浮きことを思い連ねて、かりする女の声が、泣きつづくよ、飽き満ち足りる夜な夜な……憂きことを思い連ねて、肢下の根が、おとこ泣きし続ける、厭きの夜毎に)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「うきこと…憂きこと…つらいこと…浮きこと…浮かれたこと」「かりがね…雁が音…雁の声…鳥の言の心は女…女の声」「ね…音…声…根…おとこ」「なき…鳴き…泣き」「こそ…(前の語を)強く指示する」「わたれ…わたる…(山などを越えて)渡る…広がり満たす…(その情態が)続く」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…あきあき」「よなよな…夜な夜な…夜毎夜毎に…世なよな」。
世の中の・辛い事を思い連ねて、雁の声が、鳴きながら、渡ってゆく、秋の世なよな。――歌の清げな姿。
浮きことを思い連ねて、かりする女の声が・喜びの泣き声が、満ち、続く、飽きの夜な夜な……辛い思いを連ねて、かりする肢下の根が、汝身唾を流しおとこ泣きつつ、厭きの夜毎に。――心におかしきところ。
飽き満ちる夜な夜な、かりする妻女の、浮天に漂う喜びの声を詠むとともに、その厭きの、おとこの辛い思いを詠んだ歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)