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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。
古今和歌集 巻第四 秋歌上 (195)
月をよめる 在原元方
秋の夜の月のひかりしあかければ くらふの山もこえぬべら也
月を詠んだと思われる・歌……つき人をとこを詠んだらしい・歌。 もとかた(巻頭の一首の作者・在原業平の孫)
(秋の夜の月の光が、これほど・明るければ、くらぶの山も・暗ふの山も、越えてしまいそうだ……飽きの夜の、月人壮士の照り輝き赤ければ・突き人おとこ元気ならば、親しみあるあの山ばも、越えてしまいそうだ)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「秋…飽き…厭き」「月…月人壮士…男」「ひかり…光…月光…男の栄光・威光…魅力ある男の輝き…おとこのほてり」「あか…明…赤…元気色・血色の良い」「くらふ…山の名…暗ふ…暗い状態が続いている…比ぶ…親しい(土佐日記に、この意味で用いられてある)」「ふ…接尾語…そのような状態が継続していることを示す」「山…山ば…感情の山ば」「こえぬ…越えてしまう…山ば越え(女を有頂天に送り届ける)「ぬ…完了した意を表す…してしまう…(自然に)そうなってしまう」「べらなり…しそうだ…の様子だ」。
秋の夜の月の光が、明るければ、暗いと伝承されている山も、越えてしまうだろう。――歌の清げな姿。
歌を一瞥するだけならば、巻頭の一首と同じように、凡庸な発想のくだらない歌のように見える。しかしこれらは、歌の隠れ蓑である。歌を、あえて凡庸な衣に包んである。
飽きの夜のつき人をとこの照りが、赤く元気ならば、あの親しき山ばを、越えてしまうだろう・もろともに有頂天に達するだろうよ。――心におかしきところ。
清少納言は、枕草子(95・五月の御精進のほど)、郭公(ほととぎす・カツコウ・女の且つ乞う)の声を聞きに賀茂の奥まで行ったのに、歌を詠んで来なかったので、定子中宮に、今からでもいいから、詠みなさいと責め立てられて、とうとう拗ねてしまった事がある。その後の清少納言の弁。
つつむ事、さぶらはずは、千の歌なりと、これよりなん、出でまうでこまし、と啓しつ。
「慎むこと・包むこと、いらないのならば、わたくし・一千の歌でも、いまよりですね、言い出せるでしょう」と、定子中宮に・申し上げた。
ここに、清少納言の歌の表現方法の認識が示されてある。「包むこと」は、仮名序の「見る物、聞くものに付けて言い出せるなり」や、公任のいう「清げな姿」に通じる、歌の表現方法の正当な認識である。歌は全て人の生々しい心を清げな衣に包んで表現するものである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)