帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (206)待つ人にあらぬものからはつかりの

2017-04-20 20:19:37 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                             ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 206

 

はつかりをよめる            在原元方

待つ人にあらぬものからはつかりの 今朝なく声のめづらしき哉

初雁を詠んだと思われる・歌……初のかりを詠んだらしい・歌。  もとかた

(待つ人ではありはしないけれど、初雁の今朝鳴く声が、珍しくて嬉しいことよ……期待した女ではなのに、初かりの、今朝、泣く声の、新鮮で好ましいことよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「待つ…人やものの来るのを望み控えている…期待する」「人…女」「あらぬ…ありはしない…意外な…相応しくない」「ものから…ものだから…ものなのに」「はつかり…初雁…その年の秋に初めて飛来した渡り鳥…初狩り…初刈り…初めてのまぐあい」「雁…鳥…鳥の言の心は女…刈・採る、狩・獲る、めとり・まぐあい」「けさ…今朝…夜の果て方」「なく…鳴く…泣く…喜びに泣く」「めづらし…称賛すべきさま…新鮮で賞美すべきさま…好ましいさま」「哉…や…疑いを表す…かな…感動を表す」。

 

雁を擬人化して、待っていた人ではないが、この秋初めて聞く声は、新鮮で好ましいなあ。――歌の清げな姿。

少年のような発想を、そのまま言葉にしたとしか思えないが、歌の見かけの姿である。

初めてのかり、期待していなかった女が、飽き満ちた朝の浮天に泣く声、男の新鮮な感動の表出。――心におかしきところ。

 

この歌では「かり」と言う言葉の、この文脈では通用していた意味を心得るだけで、歌の多重の意味が顕れる。

男が体験したのか、夢想したのか、わからないけれど、性愛の果ての朝の、男が願望する理想的な情況に、新鮮な感動を覚えるさまを詠んだ歌のようである。

 

和歌は、一つの言葉が多様な意味を孕んでいることを、全て引き受けた上で詠まれてある。同じ文脈に在る聞き手は、多様な言葉の意味候補の中から直感的に幾つか選び、歌の多重の意味を聞き取ることができる。この文脈にかぎり通用していた言葉の意味があった。これを、貫之は「言の心」と言ったのだろう。その上に、言葉の意味は多様に戯れる。これを俊成は「浮言綺語に似た戯れ」と言った。それによって、歌の多重の意味は聞き手の心に伝わっていたのである。言葉の意味も無常である。今ではほとんど消えている。

 

古今和歌集の歌を、品に上中下があっても、優れた歌として、公任の歌論で紐解き直し、歌の「心におかしきところ」を現代語で再構成して、今の人々の心に伝えることは出来るだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)