帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (十三と十四)

2012-03-26 01:06:07 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(十三と十四)


 春やとき花やおそきとききわかむ うぐひすだにもなかずもあるかな 
                                     (十三)

 (春には早すぎるのか、花が遅いのかと、聞きわけようと思う鶯だって鳴いてもいないなあ……はるのは早すぎるかな、お花遅いかと、聞きわけようと思う春告げ人さえ、泣いてもいないなあ)


 言の戯れと言の心

 「はる…春…情の春…張る…はりきる」「とき…疾き…早すぎ」「はな…花…春の初花…梅の花…木の花…おとこ花」「ききわかむ…聞いて判別するつもりの…聞いてわかるはずの」「うぐひす…鶯…春告げ鳥」「鳥…女」「なかず…鳴かず…泣かず…感極まらず」「かな…感嘆の意を表す…だなあ…であることよ」。

 


 恋ひこひてあふ夜はこよひ天の川 きりたちわたりあけずもあらなん 
                                     (十四)

 (恋しく恋しくて、逢う夜は今宵、天の川、霧立ち渡り明けないでほしい……恋しく乞いして、合う夜はこよひ、あまの川、霧中のまま、飽かずにあってほしい)。

 
 「こひ…恋…乞い」「あふ…逢う…合う…和合する」「こよひ…今宵…こ好い」「あま…天…女」「かは…河…川…女」「きりたちわたり…霧立ち渡り…五里霧中のまま…夢中のまま」「あけず…明けず…夜明けが来ない…飽けず…飽きない…いやにならない」「なん…なむ…相手に希望する意を表す…してほしい」。



 初春と七夕の景色を詠んだ清げな姿の歌。「実」は、いづれも、飽きることなき情欲、いわば飽くなき煩悩を詠んだ歌。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(十一と十二)

2012-03-25 00:38:08 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(十一と十二)


 ときはなる松のみどりも春くれば いまひとしほの色まさりけり
                                    (十一)

(常盤なる松の緑も、春来れば、いまひと染めの色彩、増したことよ……久に変わらぬ女の色も、はる繰れば、いま一しおの色情まさったことよ)


 言の戯れと言の心

 「ときはなる…常盤なる…常緑の…久に変わらぬ」「まつ…松…待つ…女」「みどり…緑…色彩の名…若々しい色…見とり」「み…見…覯…媾…まぐあい」「はる…春…春情…張る」「くれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「ひとしほ…一入…一染め…一肢お…一おとこ」「色…色彩…色艶…色情」。



 もみぢせぬときはの山は吹く風の 音にや秋をきゝわたるらむ
                                    (十二)

(紅葉しない常盤の山は、吹く風の音に、秋を聞きつづけているのだろうか……飽きの色みせない常盤の山ばは、吹く心風の音に、我が飽きをきき及んでいるのだろうか)。


 「もみぢ…秋色…飽色…も見じ…もう見ない」「見…覯…媾…まぐあい」「やま…山…山ば「風…心に吹く風…飽風…厭風」「あき…季節の秋…飽き…厭き」「ききわたる…聞き続けている…聞き及んでいる…効いている」。



 春歌の「清げな姿」は、常緑樹の松の緑の一段と鮮やかな景色。「心におかしきところ」は、常盤なる女の色情のはるくるありさま。

 対する秋歌の「清げな姿」は、紅葉せぬ山に秋風吹く風景。「心におかしきところ」は、飽きに色づかない山ばで、ゆきわずらうおとこのありさま。


 歌は「花実相兼」である。歌の生々しい情は「玄之又玄」の奥にある。古今の歌は「歌の様を知り言の心を心得た人には恋しくなる」。このように聞けば、貫之の言葉に実感がこもるでしょう。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (九と十)

2012-03-24 06:07:09 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (九と十)


 うめの花にほふ春べはくらぶ山 やみにこゆれどしるくぞありける 
                                      (九)

(梅の花匂う春べは、暗ぶ山、闇に越えても、山道はっきりわかったことよ……お木のはな、艶やかにふくらむころは、近しい山ば、闇夜に越えても、しっとり濡れたことよ)。


 言の戯れと言の心

 「うめ…梅…男木」「はな…花…木の花は男花…おとこ花…先端」「にほふ…あざやかに色づく…艶麗である…匂う…香る」「はる…春…春情…張る…ものがふくらむ」「くらぶ山…山の名、名は戯れる…暗ふ山…暗い山…比ぶ山…近しい山…親しい山」「やま…山…ものの山ば」「こゆ…峰を越える…(ものの山ばを二人して)越える」「しる…著る…はっきりしている…汁…しみでる液…じっとり濡れる」。



 いつはとはときはわかねど秋の夜ぞ もの思ふことのかぎりなりける 
                                      (十)

 (何時とは、時はわからないけれど、秋の夜よ、もの思うことの極致だった……出づとは、早くてわからないけれど、飽き満ち足りた夜よ、もの思うことの極みだったわ)。


 「いつ…何時…いづ…出る」「とき…時…疾き…早い」「あき…秋…飽き…厭き」「もの…物…いわく言い難いこと、もの」「かぎり…限り…限界…極限…極致」。

 


 貫之は、和歌教化の書『土佐日記』で、「くらぶ」という言葉を、次のように用いて、「比べる…近い…親しい」という意味もあることを示した。


 前国守一行が館より帰京の船に乗る所へ移った場面。「年頃、よくくらべつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりにとかくしつゝ、のゝしるうちに夜更けぬ(数年来、ごく親しくしていた人々とは、別れ難く思って、一日中、あれこれしつつ騒いでいるうちに夜が更けてしまった)」。


 さて歌は、二人して峰こえる艶情。対するは、飽き満ち足りた極致。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (七と八)

2012-03-23 05:58:04 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (七と八)


 とふ人もなきやどなれどくる春は 八重むぐらにもさはらざりけり
                                                     (七)

 (訪う人もない家だけれど、来る季節の春は、門の八重葎にも、さし障らなかったことよ……訪う人もない屋門だけどやはり、暮る春、果てる張るは、かどの八重むぐらにも、触れないことよ)。


 言の戯れ、貫之の言う「言の心」
 「やど…宿…女…やと」「や…屋…女」「と…門…女」「ど…けれども…だけど(やはり)」「くるはる…来る春…暮る春…晩春…春情の果て…張る物の果て」「はる…春…張る…張るもの…おとこ」「やへむぐら…八重葎…生い茂る雑草…荒廃したさま…井辺のくさむら」「さわらざりけり…差し障らないことよ…触らないことよ…触れもしないことよ」。



 をぎの葉のそよぐおとこそ秋風の 人にしらるゝはじめなりけり
                                    (八)

(荻の葉のそよぐ音こそ、秋風が、人々に知られる、初めだったなあ……お木の端の揺らぐおとこぞ、わが厭き風が、女に感知される初めだったなあ)。


 「をぎ…すすき(薄)に似た草…お木…男…薄(薄情)なもの」「そよぐ…揺れる…頼りない様になる」「おとこそ…音こそ…おとこぞ」「秋風…飽風…厭風」「風…心に吹く風」「人…人々…女」「しらるる…知られる…(季節の訪れなど)感じられる…(厭き来たかと)気付かれる」。


 
見(覯)捨て去るおとこを嘆息する女の艶情、対するは、密かにものの厭きを迎え嘆息する男の艶情。この煩悩ゆえの嘆息に、時には、人間の奥深い心が顕れる。

 これらこそ、「人の心の種」が言葉になったものに違いないでしょう。「やまと歌は、人の心を種としてよろづの言の葉と成れりける」という古今集仮名序冒頭の言葉の意味がよみがえるでしょう。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


 


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五と六)

2012-03-21 06:07:22 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (五と六)


 春ごとにかぞへこしまにひとともに おひぞしにける峰のわか松 
                                     (五)

 (春毎に数え来た間に、日と共に、老いたことだなあ、峰の若松……春情毎に、思火添え来た間に、火と共に、感極まったことよなあ、山ばの頂のわか妻)。

 言の戯れを知り、貫之のいう「言の心」を心得ましょう。

 「春…季節の春…春情…張る」「かぞへ…数え…香添え…火添え」「ひ…日…火…思火…情熱の火」「おひ…老い…おい…極まり」「峰…山ばの頂上…感の極み」「わかまつ…若松…若まつ…我がまつ」「まつ…松…待つ…女…妻」。


 

 きのふこそ早苗とりしがいつのまに 稲葉そよぎて秋風ぞふく 
                                     (六)
 (昨日だよ、早苗とり植えたの、いつの間に、稲葉そよいで秋風吹くの……起の夫こそ、さ汝枝とりいれたのよ、いつの間に、い根端ゆらいで、飽風ふいているの)。


 歌語に限らず言葉はすべて戯れる。清少納言の云うように「聞耳異なるもの、男の言葉、女の言葉」、即ち、我々の言葉は聞く耳によって意味の異なるほどのものであると知って、歌を聞きましょう。

「きのふ…昨日…起の夫…生の夫」「さなへ…早苗…さ汝枝」「さ…小…美称」「な…汝…親しいもの」「枝…身の枝…おとこ」「ば…葉…端…身の端…おとこ」「とりし…採った…握りしめた…とり入れた」「か…が…けれども…のに」「いなば…稲葉…いな端」「いな…稲…い根…おとこ」「そよぎて…そよそよとして…揺らいで」「あきかぜ…秋風…飽風…厭き風」「風…心に吹く風」。

 


 春の思火に感極まるわか妻の艶情、対するは、満ち足りぬ間にあき風吹くのを嘆く女の艶情。これらを、相闘うように両方ならべて書き記すのは、歌の艶情を際立たせるためで、編者としての紀貫之の思惑でしょう。

 


 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず