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帯とけの新撰和歌集
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (三と四)
春かすみたてるやいづこみよしのの 吉野の山にゆきはふりつつ
(三)
(春霞立ったのは何処なの、みよしのの吉野の山に、雪は降り続いている……春の情かすみ、絶ったのね、出ず子、見好しのの好しのの山ばに白ゆきは降り、つつ)。
言の戯れを知り、貫之のいう「言の心」を心得ましょう。
「春…季節の春…春情」「かすみ…霞…かすみ…薄ぼんやりする」「たてる…立っている…絶っている」「いづこ…何処…出ず子」「子…おとこ」「みよしのの…枕詞…見好しの…身好しの」「見…覯…媾」「吉野…所の名…好しの」「山…山ば」「雪…逝き…白ゆき…おとこ白ゆき」「つつ…続く…筒…空しきおとこ」。
わぎもこが衣のすそをふきかへし うらめづらしきあきの初風
(四)
(愛しい女の衣の裾を吹き返し、我が心を魅了する、秋の初風……愛しい女のころものすそを吹き返し、我が心を魅惑する、飽き満ち足りた初の心風)。
歌の言葉は、俊成の云うように浮言綺語の戯れのようなものと知りましょう。
「衣…ころも…心身を包むもの…心身の換喩…心身」「すそ…裾…すぞ」「す…洲…女」「うらめづらし…心ひかれる…心を魅惑する」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り」「風…心に吹く風」。
歌を字義どおりに聞けば、藤原公任の云う「清げな姿」が見える。
歌言葉の戯れの中に顕れる艶情こそ、公任の云う「心におかしきところ」。
この歌集では、作者の立場や作歌事情は省略してあるので、「深き心」は、あえて考慮しないのでしょう。「清げな姿」の奥の奥に包まれてある艶情の妖艶さの闘いである。
さて、婀娜比べに優劣つけるとすれば、みよしの山ばより白ゆきの逝けに沈む女歌か、すそ吹き返すあき風に魅惑される男歌か、君の判定や如何。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず