帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (三と四)

2012-03-20 06:53:36 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (三と四)


 春かすみたてるやいづこみよしのの 吉野の山にゆきはふりつつ
                                     (三)

(春霞立ったのは何処なの、みよしのの吉野の山に、雪は降り続いている……春の情かすみ、絶ったのね、出ず子、見好しのの好しのの山ばに白ゆきは降り、つつ)。


 言の戯れを知り、貫之のいう「言の心」を心得ましょう。

 「春…季節の春…春情」「かすみ…霞…かすみ…薄ぼんやりする」「たてる…立っている…絶っている」「いづこ…何処…出ず子」「子…おとこ」「みよしのの…枕詞…見好しの…身好しの」「見…覯…媾」「吉野…所の名…好しの」「山…山ば」「雪…逝き…白ゆき…おとこ白ゆき」「つつ…続く…筒…空しきおとこ」。



 わぎもこが衣のすそをふきかへし うらめづらしきあきの初風
                                     (四)

(愛しい女の衣の裾を吹き返し、我が心を魅了する、秋の初風……愛しい女のころものすそを吹き返し、我が心を魅惑する、飽き満ち足りた初の心風)。

 
 歌の言葉は、俊成の云うように浮言綺語の戯れのようなものと知りましょう。

 「衣…ころも…心身を包むもの…心身の換喩…心身」「すそ…裾…すぞ」「す…洲…女」「うらめづらし…心ひかれる…心を魅惑する」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り」「風…心に吹く風」。

 


 歌を字義どおりに聞けば、藤原公任の云う「清げな姿」が見える。

歌言葉の戯れの中に顕れる艶情こそ、公任の云う「心におかしきところ」。

この歌集では、作者の立場や作歌事情は省略してあるので、「深き心」は、あえて考慮しないのでしょう。「清げな姿」の奥の奥に包まれてある艶情の妖艶さの闘いである。

 
 さて、婀娜比べに優劣つけるとすれば、みよしの山ばより白ゆきの逝けに沈む女歌か、すそ吹き返すあき風に魅惑される男歌か、君の判定や如何。



 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (一と二)

2012-03-19 00:03:51 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集

 


 「新撰和歌集」は、紀貫之晩年の秀歌選集である。
漢文の序に、およそ次のようなことが記されてある。

 

醍醐天皇の御時、紀貫之等は、勅撰集の「古今和歌集」一千首の撰進を果たした。後に貫之は、さらに秀れた歌を抽出するように勅命を受け、土佐の守に赴任中、政務の余暇に、ようやく秀歌の選定成ったものの、帝は既に崩御。勅を伝えた中納言の藤原兼輔もまた逝去された。土佐より帰京した日、献上しょうとした「妙辞」は、空しく文箱の中にあり、独り落涙する。(この頃、貫之は六十五歳ぐらいであった)何年か経って、もしも貫之逝去すれば、歌は散逸するだろう。この「絶艶の草」が、またも鄙野の歌に混じってしまうのは恨めしい、故に、来るべき代に伝えようとして公にする。


 撰んだ歌は、「花実相兼」なるもののみで、「玄之又玄」である、唯に春霞や秋月を詠んだ歌にあらず、「漸艶流於言泉(言葉の泉に艶流しみる)」ものである。      

皆これらを以って、天地、神祇を感動させ、人倫を厚くし、孝敬を成し、上は歌でもって下を風化し、下は歌でもって上を風刺するのである。

 

今の人々には、貫之の云う「妙辞」「絶艶の草」「花実相兼」「玄之又玄」「漸艶流於言泉」などという言葉を実感として和歌に感じることはできないでしょう。和歌の解釈が中世、近世、現代にかけて長年に亘って間違った方向に進んでしまったためである。


 この度の伝授は、貫之の撰した四巻三百六十首の歌に顕れる、性愛にかかわる絶妙な色艶を、君にも実感させ、それに感応せしめることにある。そうすれば、貫之の云ってることが実感できるでしょう。また、現代の間違った解釈とその方法を一掃することができるでしょう。

 

各々相闘わせるために、春歌と秋歌を並べて配してあるというので、二首づつ聞いてゆくことにする。


 

紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首 (一と二)

そでひぢてむすびし水のこほれるを 春たつけふのかぜやとくらむ

                              (一)

(袖濡らし手で掬った水が凍っているのを、春立つ今日の風は溶かすであろうか……身のそで濡らし、ちぎり結んだをみなが、心に春を迎えずこほっているのを、春情たつ京の風は、とかすであろうか)。


 言の戯れを知り、貫之のいう「言の心」を心得ましょう。

「そで…袖…端…身のそで」「ひぢて…漬ぢて…浸して…濡らして」「むすぶ…手で掬う…ちぎりを結ぶ」「水…女」「こほる…凍る…未だ心に春を迎えていない…子掘る…まぐあう」「春…季節の春…青春…春の情」「けふ…今日…京…山ばの頂上…感極まったところ」「風…心に吹く風…山ばで吹く風…あらし」「とく…融く…溶く…うち解ける」。

 


 あききぬとめにはさやかに見えねども 風のおとにぞおどろかれぬる                

                                             (二)

(秋が来たと、目には明らかに見えないけれど、風の音にぞ、はっと気づかされる……飽き満ち足りたと、女には、明らかに見えないけれど、心風の声にぞ、気付かされ、濡る)。


 「あき…季節の秋…飽き…飽き満ち足り…山ばの京」「め…目…女…女の様子」「風…心風…山ばに吹く風…あらし」「音…声」「おどろかれ…びっくりさせられ…はっと気付かされ」「ぬる…ぬ…動作や状態の完了の意を表す…してしまった…寝る…濡る…濡れる」。

初春と初秋の歌が、余情の妖艶さで相闘っている。合点できるかな。



 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 


帯とけの枕草子(跋文)この草子

2012-03-13 01:31:16 | 古典

  



                                    帯とけの枕草子(跋文)この草子



 清少納言枕草子(跋文)この草子

 

 この草子、目に見え心に思う事を、人やはみんとする(人々は見ようとするでしょうか、いや見もしないか……女たちは見ようとするでしょうかな)と思って、つれづれなる(することもない退屈な…つくづくと思いに耽る)里居の間に書き集めていたのを、あいにく、他人のために不都合な言い過ごしをしただろう所もあるので、よく隠して置いたと思っていたものを、心外にも漏れ出たのだった。

宮の御前に、内のおとど(その頃、内大臣伊周)が奉られたので、「これになにをかゝまし(この紙に何を書けばいいでしょう)、主上の御前には史記という文を書かせておられる」などと、仰せになられたので、「枕にこそは侍らめ(私ごときには、真暗でございましょう、無知なので……枕でございましょう・枕のみ知る人の思いでしょう)」「さは、えてよ(それならば、この紙を得てね、書きなさい……それならば、少納言の得手よね)」ということで賜されたので、あやしきを(何だか変だけど…妙なことだけど)、これやあれや何だかんだと、尽きることなく多い紙を書き尽くそうとしたのだが、いと物おぼえぬ事(まったく何とも思い出せないこと…なんだかはっきりしないことが)が多くあることよ。

 おおかたこれは、世中(世の中…男女の仲)で趣のあること、人々が「愛でたし」などと思うに違いない名のあるものを選び出して、歌なども、木、草、鳥、虫(の名について)も、言い出したものだけど、「おもふほどよりはわろし、心見えなり(作者が思っている程度よりもわるい、包まれてあるべき心が見えすいている)」と謗られるでしょう。ただ一心に、自ら思うことを戯れに書き付けたので、世間の読物にたち交じり、人並な普通の耳にも聞こえるものだろうかと思ったのに、「はづかしきなんどもぞ(恥ずかしいわ、こんなこと書くなんてなど…気が引けるほど、すばらしいわなど)」と、見る人は評価なさるので、いとあやしうぞあるや(まったく妙なことよ…ほんとうに不思議なものなのかな)。たしかに、それも道理、人が嫌うことがらを良しと言い、ほめることがらを悪いという私のような人は、心の程度が推し量られる。ただ、人に見えけんぞねたき(人にこの草子を見られたことが腹立たしい…人にわが心の内を見られただろうことが残念だ)。


 左中将(源経房)、いまだ伊勢守と申されていたとき、里にいらっしゃったので、端の方の敷物を差し出したところが、この草子が乗って出たのだった。とまどい取り入れたけれど、そのまま持っていらっしゃって、たいそう久しくあって返ったのだった。それより独り歩きはじめた。とぞほんに(と原本に)。    

 
 言の戯れと言の心

 「人やはみむ…反語の意を表す…人は見るだろうか、いや見ないだろう…疑問の意を表す…女たちは見るだろうかな」「つれづれ…することもなく退屈なさま…独り物思いに耽るさま」「まくら…真暗…まことの無明…まったく無知…枕言の枕…枕のみ知る人の思いそのもの…人に知られたくない溜息や歓喜の涙など沁み込んだ枕」「えてよ…得なさいよ…受け取りなさい…得手よね…得意よね」「心見え…裏の心が見え透いている…奥ゆかしさが無い」「恥ずかしき…顔が赤らむほど恥ずかしい…気がひけるほどすばらしい」。

 

 
 「まくら」という言葉には、多様な意味がある。「枕草子」の「枕」の言の心を、他人には知られたくない人の諸々の思いそのものであると心得て、古今和歌集の歌を聞きましょう。

 恋歌一

 涙河枕ながるゝうき寝には 夢もさだかに見えずぞありける 
 恋歌二

 しきたへの枕の下にうみはあれど 人をみるめはおひずぞありける

 恋歌三

 枕より又しる人もなき恋を 涙せきあへず漏らしつるかな

 知るといえば枕だにせで寝しものを ちりならぬ名のそらにたつらむ


 「うみ…海…涙の海…憂み」「みるめ…海藻…見る女」「見…覯…媾」「おひ…生え…感極まる」「な…名…噂…汝…もの」「そら…空…むなし」と「枕」などの「言の心」を心得て聞けば、いまひと塩、歌の味わいが違うでしょう。「言の心」は、歌によって育まれ共有されていた。

 


 源経房は、姉が道長室であるけれども、清少納言を「思い人」と冗談にせよ言った人。伊勢権守になったのは長徳元年(995)、殿(藤原道隆)が亡くなられた年。道長がのぼりはじめた年。これより数年、宮(定子)にとって悲惨なことが続いた頃。道長への恨みつらみも恥ずかしいことも、経房によって流布することになった。をかしきことは、広まらないと甲斐がない。これで、ほんとに読ませたい人々にも読まれるでしょう。諷刺は危険だけれど相手に刺さらないと面白くない。

経房はもとより道長を快く思っていなかったようで、後年、道長は我が子息にとって最も危険な人物と察知したのでしょうか。権中納言源経房は、治安三年(1023)、太宰権帥として任地にて亡くなられた。享年五十五。菅原道真のことを思い出す。


 
伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺二十九)女房のまいりまかでには

2012-03-12 00:07:31 | 古典

  



                      帯とけの枕草子(拾遺二十九)女房のまいりまかでには



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺二十九)女房のまゐりまかでには

 
女房の参上退出には、他人の車を借りるおりもあるが、とっても快く言って貸したのに、牛飼童が、いつもの叱(しっと追う掛け声)

も、叱よりも強く言って(牛を)ひどく打つのも、あゝ普通ではないなあと思えるのに、車副いの男どもが、むつかしそうな気色して、「早くやれ、夜が更けないさきに」などというのこそ、主人の心が推しはかられて、再び(貸してなどと)言って、この事に触れようとも思わない。
 なりとをのあそんの車のみや、夜中あかつきわかず、人ののるに、いさゝかさる事なかりけれ。ようこそをしへならはしけれ。それに、みちにあひたりける女車の、ふかき所におとしいれて、えひきあげで、牛かひのはらだちければ、ずさしてうたせさへしければ、ましていましめをきたるこそ(業遠の朝臣の車だけかな、夜中暁を分かたず、他人が乗るのに、いささかもそのような事はなかった。よくまあ使用人を教え習わしたことよ。それに、道で出会った女車が深い所に車輪を落とし入れて、引き上げられずに、牛飼が腹立てていたので、従者して、牛に鞭打たせたりもしたので、まして自らの牛飼は日ごろから戒めているのだ……業遠の朝臣のものだけかな、夜中あかつき分かたず、人がのるときに、いささかも、そのような急ぐことはなかった。よくまあ、ものに教え馴らしたことよ。それに、山ばへの道すがら、合った女の来る間が、深い所に落ち入って山の頂に上げられず、憂し貝が腹立てたので、従者して、子の君を鞭打たせさえしたので、女は増して井間締めて、起きた、子ぞ)


 言の戯れと言の心

 「車…しゃ…者…もの…おとこ…くるま…来る間…山ばなど来る間」「牛…うし…憂し…つれない」「かひ…飼い…貝…女」「まして…増して」「いましめ…戒め…井間しめ」「井間…おんな」「しめ…絞め…締め」「こそ…強調する意を表す…子そ」「こ…子の君…おとこ」。



 中関白家の衰退が決定的になれば、関係者に対する冷ややな世の風は、牛飼童の態度や言葉にも表れる。その頃、宮の母上(高階貴子)と、その父高階成忠が相次いで亡くなった。高階業遠は、高内侍(宮の母上)のいとこで、今やただ一筋の味方。

 業遠の物を愛でるのは、余りの情、心におかしきところ。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺二十八)初瀬にまうでて

2012-03-10 02:00:08 | 古典

  



                                 帯とけの枕草子(拾遺二十八)初瀬にまうでて



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺二十八)はつせにまうでて

 
初瀬(長谷寺)に詣でて、局に居たところ、あやしきげらうども(あやしい修行の浅い僧たち…何れの御方のとも知れぬ下臈女房たち)が衣の後ろを、そのままうちやって居並んでいるのこそ、ねたかりしか(気にくわない思いがしたことよ)。たいそうな心を起こして参ったのに、川のをとなどおそろし(川の音としか聞こえない読経など不気味である…臈女房どもの女の声など遠ざけたい)。

長い階段を上る間など、普通ではなく息苦しさこうじて、いつになったら仏の御前をとくと拝み奉れるのだろうかと思うときに、しろぎぬきたるほうしみのむしなど(白い衣着た法師、蓑虫のような者たち…しらけたほ伏し、身の虫のようなおとこども)集まって、立ったり座ったり額突くなどして、少しの通る場所も空けない様子なのは、ほんとに、ねたくおぼえて(憎らしく思えて)、押し倒しでもしてしまいそうな心地がした。何処でもそれはこのようではある。

高貴な人が参っておられる御局などの前あたりは人払いする。よろしきは(まあまあの身分の人は…我のような前宮廷女房ごときは)、(何事も)制止しずらいでしょう。そうと知りながらも、やはりさし当たって、そのような折々、いとねたし(ひどく腹立たしい)。

 はらいえたるくし(掃除のできた櫛…祓いのできた具肢)、あかにおとしいれたるもねたし(垢の中に落し入れたのもいまいましい…吾が中におとして入れたのも腹立たしい)。


 言の戯れと言の心

 「げらう…下臈…修行の浅い僧…下臈女房…身分の低い宮廷女房」「川の音…女の声」「川…言の心は女」「おそろし…穴師川、初瀬川など、それにそそぐ山川は幾重にも連なった岩石の上を流れ落ちる。近くで聞くその水音は、ごうごうとして恐ろしい…遠ざけたい思いがする」「はらひ…祓ひ…穢れを祓い…掃ひ…汚れを落とし」「くし…櫛…ぐし…具肢…おんな…おとこ」「あか…垢…汚れ…心の穢れ…情欲など…吾が…我が」「おとし…落とし…男とし」。



 宮仕えを退いた後に、道長方の女房ご一行と偶然に接近遭遇したと思えば、それとなく「ねたし」を連発するわけがわかるでしょう。

せっかく詣でたのに、あやしき下臈どもや男どもとに出遭った感じ。清めたものがまた汚れたものに交わってしまった嫌悪感。平らげた「お」がぬけぬけと再び「お」として入れて来た感じなどは、添えてある余りの情。


 
伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。