帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 59 妻恋ふるさを鹿のねに

2014-02-22 00:02:01 | 古典

    



                帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 59


(四のみこのうせ給へるつとめて風ふくに)

(四の親王が姿を消された翌朝風吹くときに……或る親王が、出家のため・姿を消された翌朝、心に風吹く時に)

 妻恋ふるさを鹿のねにさ夜更けて わが片恋いを明かしかねぬる

 (妻を恋う、さ牡鹿の声にさ夜更けて、わが片恋いを、うち明けられなかった……妻を恋う男の本音に、さ夜更けて、わたしの片恋をうち明けられず、寝てしまった)。

 

言の戯れと言の心

 「風…心に吹く風…はかない、むなしい、くやしい思いの心風」。

 歌「妻…牝鹿…正妻たち」「さ牡鹿…男…親王」「ね…音…声…(親王の)本音…正妻たちとの惜別の思い」「に…のために…により」「片恋…一方的な恋…身分違いの不都合な恋…中途半端な恋」「ぬる…ぬ…てしまう…完了した意を表す…寝る…寝た」。

 


 言わば雲の上の人の愛人として、その人生の転機に出遭った女の思いが詠まれてある。

おそらく、その人は、仁明天皇第四皇子人康親王でしょう。貞観元年(859)出家、山科の禅師といわれた。貞観十四年薨、享年四十二。



 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集 58 心にもかなはざりける

2014-02-21 00:18:06 | 古典

     



                 帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 58


(四のみこのうせ給へるつとめて風ふくに)

(四の親王が姿を消された翌朝風吹くときに……或る親王が、出家のため・姿を消された翌朝風吹く時に)

 心にもかなはざりける世の中を うき身は見しと思ひけるかな

 (心にも叶わなかった、君との・男女の仲を、憂き身は体験したと思ったことよ……心にも叶わなかった、君との・夜の仲を、浮き身は見たと思った、あゝ)。


 言の戯れと言の心

「うせ給へる…失せ給える…なくならてる…失踪される」「風…心に吹く風…飽き風、心も凍る冷たい風、春情の風など」。

歌「かなわざりける…叶わなかった…思い通りにはならなかった」「世の中…女と男の仲…男女の夜の中」「うき身…憂き身…(他の妻並みに)辛い思いをしているわが身…浮かれたわが身」「みし…見た…出遭った…経験した…体験した」「見…覯…媾…まぐあい」「かな…だなあ…あゝ…感嘆・悲嘆・感動を表す」。


 

歌は、「失せられて、叶わなかった貴人の妻の、憂き身を体験したと思ったことよ」と「見すてられて、叶わなかった女の浮身を貴人と見たと気付いたことよ」というような二つの意味が、一つの言葉で表されてある。これが、歌の様(表現様式)である。

 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集57 われが身にきにけるものを

2014-02-20 00:06:25 | 古典

    



                帯とけの小町集



  小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 57


(
四のみこのうせ給へるつとめて風ふくに)

(第四の親王が姿を消された翌朝風吹くときに……或る親王が、出家のため・姿を消された翌朝風吹く時に)

 われが身にきにけるものをうきことは 人の上とも思ひけるかな

(自分の身に来たのに、つらいことは、他の人の身の上のことと、思っている、あゝ……自分の身に来ていたのに、浮きことは、他の御方の上だと思って居たなあ)


 言の戯れと言の心

「うせ給へる…失せ給える…行方不明になられる…(出家するため)姿を消される」。

歌「きにける…来にける…(暗雲などが)立ち込めて来た…(山ばなどが)来た」「ものを…のに…のになあ」「うき…憂き…つらい…いやな…浮き…心浮かれる」「上…身の上…女人の敬称」「かな…感嘆・悲嘆の意を表す」。

 


 良岑少将(後の僧正遍照)の出家の場合も、大和物語(168)にあるように、話せば決心が鈍るからであろうか、正妻には事情を話せず、修行のために、ただ姿を消した。

 四の親王の、そのような事情を、妻たちの立場で詠んだ歌である。小町は身分の低いが妻の一人だったかと推測される。


 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集 56今朝よりはかなしき宮の

2014-02-19 00:01:07 | 古典

    



               帯とけの小町集



  小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



小町集 56


 四のみこのうせ給へるつとめて風ふくに、

(第四の親王が姿を消された翌朝風吹くときに……或る親王が、出家のため・姿を消された翌朝風吹くときに)、

 今朝よりはかなしき宮の秋風や またあふこともあらじと思へば

 (今朝よりは、悲しい宮殿の秋風や、また逢うことは、ありはしないと思えば……袈裟よりも、残念な宮様の飽き風よ、また合うこともありはしないと思えば)


 言の戯れと言の心

「うせ給へる…姿を消された…出家入道された…身まかられたのではない」。

歌「四のみこ…第四の親王…仁明天皇の人康親王とすると貞観元年(859)五月出家二十八歳位、山科に住まわれた」「かなしき…哀しき…残念な」「宮…宮殿…お住まい…そこの人」「秋風や…この時五月で夏ながら秋風吹いたか…女達や俗世に厭きた風が心に吹いたか…飽き満ち足りた心風か」「や…疑問を表す」「またあふ…又逢う…股合う」。

 


 同じ詞書きの歌がこれより六首並べられてある。見捨てられた女たちは当然複数いたので、その心の代作もあるだろう。いずれにしても、みまかり給うた哀傷歌ではない。

 

 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集 55 春雨のさはにふるごと

2014-02-18 00:14:03 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 55


    (五月五日さうぶにさして人に)

(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫にさして、男に)、

 春雨のさはにふるごと音もなく 人にしられでぬるゝ袖かな

 (春雨が沢に降る如く、音もなく、人にしられず、君恋しき涙で・濡れる袖だことよ……春のおとこ雨が、わがさはに降るように、他人に知られず、濡れる身の端よ)。


 言の戯れと言の心

「春…季節の春…春情」「雨…天から降る雨…おとこ雨…おとこ涙」「さはに…多く…渓流に(谷川に)…沢に」「沢・渚・汀など、言の心は女」「そで…袖…目の涙に濡れる物…端…身の端…おとこ涙に濡れるもの…潤むもの」。

 

さ突き、何時か?壮夫 (想夫)!として、男に送らた小町の恋歌を十首聞いた。
 小町の歌の、艶、淫らさ、色好みなところを振り返ると、我が身の浮きにおふる(感極まる)・みさへぬるみて(身さえ潤んで)・かたぶきにけり(片吹いたことよ)・ゆめにさへ見えわたるかな(夢にさえ覯つづくことよ)・ぬるるそでかな(濡れる身の端かな)などと言う意味が、清げな意味に包まれてあった。ここに恋歌は極まったのである。これ以上の、男心をつなぎとめ、ひきつける歌はないだろう。


 これらは、古今和歌集の恋歌一~恋歌五に掲載されない。その理由は、仮名序と真名序を読めば明らかである。

仮名序に「今の世の中、色に尽き、人の心、花になりにけるより、あだ(不実・婀娜)なる歌、儚き言のみ出で来れば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめ(真面目・実用的)なるところには、花薄、穂にいだすべきことにも有らずなりにたり」という。小町の歌は、あだなる歌の代表である。また真名序には、「好色之家、これを以って花鳥の使い(恋歌である)と為し、乞食之客(旅の僧・枕草子に出てくるあやしき女法師・門づけ芸人)は、これを以って、活計の謀(生計のための仕事)となし、半ば婦人の右(手助け・乞い歌の類)となる」とある。小町の歌には、その片鱗がある。


 古今集は、このような歌からの脱却を目指したのである。理想としたのは、人麻呂、赤人の歌であった。


 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。