帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 49 人しれぬわれが思ひに

2014-02-11 00:07:46 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 49


    (五月五日さうぶにさして人に)、

(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫にさして、男に)、

 人しれぬわれが思ひにあはぬ夜は みさへぬるみて思ほゆるかな

 (他人に知れないわが思いの火に、逢わない夜は、身さえ温るんで、君を思っていることよ……君知らぬ、わが思い火に、合わない夜は、身さえ濡るみて、もの思うことよ)。


 言の戯れと言の心

「さつき…五月…さ突き」「つき…月…月人壮士…をとこ…突き」「さうぶ…菖蒲…壮夫…盛んな若者」。

歌「思ひ…思火…情念の炎」「あはぬ…逢わぬ…合わぬ…和合できぬ」「ぬるみて…温るみて…火照って…ほかほかとして…濡るみて…濡れて…潤んで」「かな…感嘆、感動、詠嘆の意を表す」。



「恋歌」で清げな姿をしている。同時に「浮詞」に顕れるのは、淫ら、色好み、といえる乞い歌。




 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。


 上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集 48 露の命はかなきものを

2014-02-08 00:11:17 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 48


    (五月五日さうぶにさして人に)、

(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫に挿して男に)、

 露の命はかなきものを朝夕に いきたるかぎりあひみてしがな

 (露の命のようにはかないものだから、朝夕に、生きている限り逢い、お目にかかっていたい……おとこ白つゆが、はかないものなので、朝夕に、逝き尽く限り、合い見ていたいの)。


 言の戯れと言の心

「つゆ…露…はかなきもの…おとこ白つゆ」「ものを…のに…のだから」「たる…たり…存続、継続の意を表す」「かぎり…限界…限度…極致…あるだけ全て」「あひみてしがな…相見ていたい…合い見ていたい」「合…合体…和合」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「がな…自己の願望を表す」。

 

この歌は、まさに恋歌であり乞い歌である。

 

このような歌と同じ文脈に在る清少納言は、次のようなことを『枕草子』(7)に記した。

正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は、くもりくらしたる。

 (正月一日、三月三日は、とっても麗らかな天候である。五月五日は、一日中曇り暮らす・梅雨である。……むつきついたち、やよひみかは、いと麗らかなる。さつきいつかは、くもり暮らしたる・四月十日、道隆薨、宮の内に暗雲立ち込めたか。……睦つきつい立ち、や好い身かは、とってもうららかな心地である。さ尽き、何時かは、苦盛り暮らす。)


 節句の日の天候の備忘録だろうと、この程度に読み過ごすのは、あまりにも単純明快すぎる。作者も読者も和歌の言葉で育まれているので、そのような一義な文ではありえない。清少納言は「をかし」と思えることなどを、「清げな姿」にして記している。その言語観は、枕草子(3)にある。

同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。

(同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉である)



  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


帯とけの小町集 47 こぬ人をまつとながめて

2014-02-07 00:04:14 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 47


(五月五日さうぶにさして人に)、

(五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫に挿して男に)、

 こぬ人をまつとながめてわが宿の などてこの暮れ悲しかるらむ

 (来ない人を待とうと、もの思いに沈んでいると、我家が、どうして、五月五日の夕暮れ、哀しいのでしょうか……来ぬ人を、待とうと、もの思いに耽っていて、わがや門が、どうして、この君の果て、いとほしいのでしょうか)。


 言の戯れと言の心

 「人を…男を…人のお…おとこ」「ながめ…もの思いに沈んでぼんやり見やること」「やど…宿…家…女…屋門…をんな」「この暮れ…この日の夕暮れ…このものの果て方」「かなし…悲し…哀し…愛しい」「らむ…どうしてだろう…原因の推量する意を表す」。

 

「さつき、いつか? 壮夫!」。「わたしは哀しい、君がいとおしくて」という恋歌。淫らな「乞い歌」でもある。余情に顕れる小町のエロスに誘惑されない男はいないでしょう。


 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

上のような言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と「清げな姿」と憶測による歌の心の解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。


帯とけの小町集 46 あやめ草人にねたゆと

2014-02-06 00:11:18 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 46


      五月五日さうぶにさして人に、
     (五月五日、菖蒲に挿して人に……さつき何時か、壮夫に挿して男に)
 あやめ草人にねたゆと思ひしは わが身のうきにおふるなりけり

 (あやめ草、人により、根絶えると思ったよ、それが、わが身の泥土に生えていたことよ……綺麗な女、君のために、声絶えると思ったのは、わが身の浮き泥沼に、感極まったのだったよ)。


 言の戯れと言の心

「さつき…五月…さ月…さ突き」「さ…接頭語…美称」「月…月人壮士…壮士…青年男子」「いつか…五日…何時か…(待ち遠しくて)いつになったら」「さうぶ…菖蒲…草の名…名は戯れる、壮夫、壮士、青年男子」。

歌「あやめ草…綾め草…彩め草…綺麗な女」「草…女」「ねたゆ…根絶える…寝絶える…音絶える…声絶える…歓喜の声絶える」「うき…泥土…情欲の沼の泥土…浮き…浮かれた心地」「おふる…生ふる…追ふる…老ふる…極まる…感極まる」「なりけり…だったのだ…だったことよ」。


 同じ詞書で十首並べられてある。歌の
送り方が「さつき、いつ? 壮夫!」という意味を孕んでいる、恋歌(乞歌)。歌の内容は、前の時のことを愛で讃えている。

 

近代人は、草を「女」、菖蒲を「壮夫」などと聞く耳を持たなくなった。歌の言葉の戯れの意味が、鎌倉時代に秘伝となって埋もれて、文脈が異なってしまった為である。

聞き耳異なるもの、――女の言葉(聞く耳によって『意味の』異なるもの、女の言葉)」という清少納言は、枕草子(63)に次のようなことを書いた。

 草は、さうふ、こも、あうひ、いとをかし。

(草は、菖蒲、菰、葵、とっても趣がある……女は、壮夫、来も、合う日とっても趣があってかわいい)。


 「も…意味を強める…(来る)だけでも」「をかし…趣きがある…すばらしい…かわいらしい…可笑しい(笑ってしまう)」。

枕草子は、小町の歌と同じ文脈にある。


 

 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。


 


帯とけの小町集 45 こぎきぬや天の風間も

2014-02-05 00:03:10 | 古典

    



               帯とけの小町集



 小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。



 小町集 45


(
とあるかへし)

 こぎきぬや天の風間も待たずして にくさびかける海人の釣り船

「貴女のそでに溜まらない白玉は、合い見ても飽き足りることのない、をんなの涙だったのだなあ」などと言われた返し、

(漕いで来ないかな、天の風間も待たないで、波除け掛けた海人の釣舟……こいでこないかな、あまの心風の吹く間も待たずに、にくさびかける・合わせて離れないわ、吾間の吊りふ根)


 言の戯れと言の心

「こぎ…漕ぐ…押し分け入り進む」「や…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「あま…天…海人…女…吾間…をんな」「風間…風の止む間…心風が次吹く間」「にくさび…波を除ける藁製の物の名という…名は戯れる。荷楔、二つのものをつなぎとめる物、離れない、離さないもの、肉楔」「かける…掛ける…(鍵など)懸ける」「あまのつりふね…海人の釣舟…吾間の吊り夫根…をんなの吊り下がった突起物…肉くさびの別の言い方…このような戯れの意味で用いられるのは、古今和歌集の小野篁の歌、及び伊勢物語70の業平作と思われる歌にも有る」。


 小町の歌は「貪欲」を反省などしないで謳歌している。
 


 同じ言葉が用いられてある小野篁朝臣の歌を聞きましょう。古今集 羇旅歌

壱岐国に流されける時に、船に乗りて出で立つとて、京なる人のもとに遣はしける、   

 わたの原やそしまかけて漕ぎでぬと 人にはつげよ海人の釣り舟

 (海原、八十島めざして漕ぎ出たと、流罪に追いやった・京の人に告げよ、海人の釣舟よ……腸の腹、八十のし間かけて、こぎ出たと、女人には告げよ、あ間の吊り夫根よ)。


 言の戯れと言の心

「わたのはら…海原…腸の腹…腹腸」「八十島…(瀬戸内の)多数の島々…多数の肢間…やそ股間」「間…女」「かけて…めざして…かけもちで」「こぎ…こぐ…漕ぐ…分け入りおし進む」「人…人々…あの男たち…女…吊りふねの女主人」「あまのつりふね…海人の釣舟…あ間の吊り夫根…をんなの吊り下がった突起物」。


 この歌を字義通りに聞く「清げな姿」からは、心にしみじみと感じるような内容が伝わらない。

藤原俊成の言うように、歌の言葉は「浮言綺語の戯れに似ている」ものとして、そこに顕れる趣旨を聞けば、流罪に追いやった京の男どもに、自らの腹腸を投げつけたような、絶望した男の最後の歌と聞くことができる。


 

  『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。



 以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 古今集真名序には「彼の時、澆漓(薄ぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

上のような言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と「清げな姿」と憶測による歌の心の解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に間違っている。