はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●目黒美術館「色の博物誌 江戸の色材を観る・読む」

2016-11-19 | Art

 目黒美術館「色の博物誌 江戸の色材を観る・読む」2016.10.22~12.18

http://mmat.jp/exhibition/archives/ex161022

「色の博物誌」シリーズの企画展の6回目とのこと。目黒美術館は色の研究を続けており、今回は色材に焦点を当てた展覧会。

 

第一章は、「国絵図

絨毯みたいにしたに広げられたその大きさに、ほんとに固まってしまった。2畳か2.5畳のラグマットくらいあるのだから。

幕府の命により各藩が総力を挙げて作った国絵図。カラフルな仕上げ。

備前の国(岡山)の国絵図は、慶長、寛永の2点、元禄の4点が展示。それぞれ視覚的に印象が違う。正確な地図ではないけど、山があって、海があって、これくらいな感じの規模の村があって、というイメージは湧く。

なかでも慶長年間の国絵図は、瀬戸内海が透明感のある水色で、パステル系。お役所の仕事なのにかわいいなあ。山は緑青と群青で描かれ、ぽこぽこといい感じ。そこに赤い丸型で村マークが。

 

寛永の「備中国絵図」は、金、孔雀石の緑青など高価な素材の仕上げ。池田のお殿様の手元用とか。

 細かく凡例がついている。赤すじ:道、黒丸:一里山、金泥:郡境など。

淡路島46里、讃岐16里など、瀬戸内の国らしく海路の距離も記載されていた。土佐も67里と。今なら四国に渡ったらあとは陸路輸送なのだろうけど、昔は高知まで海路なのですね。京や大阪、江戸までの距離は記載がなかったと思う。


寛永の「備前の国九郡絵図」は、海の深い藍色がとてもいい色だった。

道の赤い線が印象的。そして船の航路も赤い線でひかれていた。「村上水軍の娘」では、海を車よりも自在に走っていたし、今と違って海路が身近だったんだなと思う。

 

元禄の国絵図も、藍色の海が広い。隣接の藩に何色を使おうかと思ったときに、パステルなオレンジ、水色、ピンクっていう当時の感覚に、目から鱗。

べた塗りの海ではなく、浅瀬が薄く描き分けられている。先に胡粉を塗り、上から海とともに藍をひいたと解説に。

山は薄い線描になっていた。小さなラインダンスみたいに並ぶ松の木がかわいい。

人口も村名とともに書かれ、欄外には石高もリスト書きされていた。取りはぐれない感がマイナンバーみたいな。

 

国絵図だけで時間をとられてしまいました。岡山大学池田文庫には他にも国絵図がたくさんあるらしい。他の藩も検索してみると、山の険しさが際立つ藩、樹が妙に精密な藩など、けっこう面白い。旅先などで地方空港に貼ってあると楽しみが増えそう。

 

第三章「色材」

顔料の材料が一堂に会して、とても興味深いコーナー。鉱物系、植物系、昆虫系とたくさんケースに展示してあったうち、いくつか記憶にあるものを。(鉱物系は元素記号まで記載してあった(!))

辰砂(しんしゃ)は朱の材料の鉱物。

辰砂の産地を「丹生」(にぶ)と言ったということ、そういえばそんな地名の町があるある。

 

ベンガラの赤は、土から。酸化鉄の成分。展示は西表島の上原産のものだったのが嬉しい。そういえばタイ東北部やカンボジアの未舗装の道路がこんな赤い色だった。インドのベンガルから来た言葉だそう。

 

植物性のものでは、ウコンや山形産の紅花など。

 

緑は植物から取ることは困難なので、黄色や青を重ねる。レオ・レオーニの「あおくんときいろちゃん」が混じり合ってみどりいろの子になったあの優しい色を思い出す。


プルシアンブルーは「ベロ藍」と言われ、1704年にベルリンで化学合成で偶然発見されて日本に持ちこまれた。意外とヨーロッパでも新しい色だった。北斎の富嶽三十六景はこのベロ藍。古来の藍や紺じゃなかったのか。71歳でベロ藍に出会った北斎は大喜びして富嶽三十六景に取り掛かったとか。

緑青も、大きい粒だと緑青、細かく磨ると白緑になる。エンジは「臙脂」と書く。身近なことでも知らないことが多く、新鮮だった。

 

第二章「浮世絵」

浮世絵の衰退とともに、絵の具の製法もわからなくなったという解説文。たしかに惜しまれることだと思う。

この復刻に取り組んだのが、立原位貫さん。昨年亡くなられた(1951~2016)。

原本と、立原さんが色を再現した浮世絵が、並べて展示されている。当時の色の成分の分析と再現はたいへんな労力だったでしょう。それに加えて、立原さんの多色刷りの技術にも感嘆。

鳥文斎栄之 「青楼美人六歌仙 角玉屋小紫」の再現作、当時はこんなにビビッドな赤だったのか。原本と比べて、顔映りもよく、肌まできれいに見える。江戸人が見ていたのはこんなに鮮やかな浮世絵だったんだなあ。

喜多川歌麿「金太郎と山姥 煙草の煙」は、ウコンの黄色と金太郎の桃色が鮮やかに再現されていました。金太郎の元気いっぱいムチムチ感も取り戻され、山姥の吐くけむりもふわりとしてきた。感じる部分が違ってくる。

これはパネルで再現工程を展示していました。吉田博でもなければ通常は浮世絵は分業ですが、立原さんは全て一人で行う。バレンの良し悪しで色の発色がきまるのだそう。バレン自体も大変に緻密な工程で作られているそうです。小学校のお向かいの文房具屋さんで売られていたものとはモノがちがうのでしょうね。

 

紙も大切な要素。渓斎英泉「今様美人十二景 おてんばそう 」の再現では、美濃の職人の井上源次さんに紙を特別にすいてもらったそう。繊維に多くの空間があり、厚みのある柔らかい紙。発色は紙でずいぶん違ってくる。確かに、薄い水色のかんざし、ノーズシャドウのような微妙な鼻の濃淡まで、薄い色が薄くきれいに出ている。

 

忠実な再現でなく、立原さんの解釈で変更を加えて再現したものも。

歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝を救う図」はよく見る作だけど、からす天狗は原本よりも薄墨を用いたとか。確かに透明感があった。ワニざめの鱗もはっきりして見えて、国芳がこだわった部分なんだなと感じる。これもベロ藍。

 

「浮世絵の青」のコーナーでは、渓斎英泉が数点集められていた。

渓斎英泉「仮宅の遊女」はプルシアンブルー一色。

夜の暗い中に目が慣れたら見えてくるような感覚。それとも海の底の竜宮城とも思える。遊女の顔だけが白く。ベロ藍は濃淡が出せるのが利点とのこと。たしかにベロ藍が数段階に調整されています。

これと同じ版木で多色刷りにした「姿海老屋楼上之図」も。同じ版木とは思えないほど。バックを室内の様子に。同じ構図で二つの世界がシンクロして、トーマス・ルフ的な根底がゆらぐ感じ。

北斎に先駆けて、初めてベロ藍を使いだしたのは英泉だとか。自分で女郎屋も開業していたらしく、さすがというか異色というか、英泉の遊女は艶やかでプロな感じ。

 

五章「画法書」では、北斎の「画本彩色通」が面白かった。

イカ、花、瀑布、鷲などの図解と描き方のコツから、絵の具の混色のレシピ?まで、びっしり。これはほかのページも見てみたかった。

 

平賀源内「物類品」は、ものの紹介の一部に、顔料の原料の記載がある。

土佐光起「本朝画法大伝」は、漢字がびっしり。読む気力は起こらなかったけれど、朝廷の命による最初の画法書だとか。

 

画集を買えばよかったかなと後から後悔。楽しい時間でした。