はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●2018年を振り返り

2018-12-30 | Art

あまり書き残せなかったけれど、
今年は美術展については自分史上まれに見る幸運な一年。

池大雅展、高山辰雄展、小倉遊亀展、田中一村展、横山崋山展、加藤晋展、石井林響展と、

ずっと個展があるといいないいなと思っていた展覧会が、一挙に実現してしまったのだから。

これでもう思い残すこともなくなってしまった。

いやいや
思いは叶うのかもということで調子にのって、つぶやいておこう。
長谷川等伯展、小林永濯展、エミール・ノルデ展、ガブリエレ・ミュンター展、ほかドイツ絵画展、渡辺華山展、アイヌ文化展、小林古径展、前田青邨展、もう一度バーネット・ニューマン展、、、
いつか開催されますように。

アイヌの文化については、北海道では展示があちこちであるようなのだけど、東京で大きく開催されることが大事だと思うのだけど。

部外者の勝手な思いなのだけど、前の二風谷資料館で見た、生活用品や衣服類に亡き萱野茂さんがひとつひとつつけた、「これを使っていた○○さんは、漁の時に、、」というたくさんの解説カードが忘れられない。アイヌの世界観、縄文時代からの変遷や北方地域のつながりも興味あるし、現在も生活の端々にまだ失われてしまってはいない文化だと思うし、博物としてではなく生きた説明をつけられるひとがまだまだいるうちに、ぜひ。


それから、ムンク展やフェルメール展、ブリューゲル展、フィリップスコレクション展、縄文展なども心に残っているけれど、
それとはまた別に、 今年意義深い展覧会だったと思うのは、板橋区立美術館の「池袋モンパルナスとニシムイ文化村」展、サントリー美術館「琉球展」、足立区郷土博物館「大千住展」の、地域特化?型展覧会。


「池袋モンパルナスとニシムイ文化村」展では、会場の半分ほどを使って、池袋界隈で暮らした沖縄の画家たちの、戦前と戦後の沖縄での画をすくい上げていた。

琉球展では、変幻する螺鈿の輝きに息をのんだ。螺鈿の調度品を見る機会は時折あるけれど、あれほどの輝きのものはなかった。さすが琉球王。 そして、南の海洋交易があんなに豊かに広がっていたとは。

さらに今年は、沖縄の書道会の方々の書を見る機会に恵まれた。これはすばらしかった。実は拝見するまで、トロピカルな沖縄と書道が結びつかなかったのだけど、無知っておそろしい。中国文化の影響も受けてきたせいなのか、沖縄の書道文化の厚さ深さ。圧倒される迫真の書だった。

地方に栄える文化を感じた年だった。
その意味では、全国を網羅した千葉市美術館「百花繚乱」も貴重だったのだ。 江戸時代の絵師たちのゆるやかなつながりが興味深かった。

そうすると、東京の街もいち地域としては、同じなのかもしれない。
「大千住展」は、足立区の千住の商家や豪農たちが日頃のつきあいから育んだ地元文化を感じられる企画だった。昔からご近所の絵師にお仕事を頼む機会がなにかとあるのだなあ。

そういえば、今年一度、北朝鮮の現代の絵を数枚見る機会もあった。中国風の、墨に着色した山水画のような絵だった。中国人のかたの所蔵品だそうだけど、北朝鮮には仕事として描く部署があるのだそうな。拝見した絵も、輸出用として描かれたのだろうか。

来年は「東博で初詣」で、イノシシ画を見るのが最初になりそう。

皆さま一年ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。


●山種美術館「皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画家」

2018-12-28 | Art

山種美術館「皇室ゆかりの美術―宮殿を彩った日本画家」

201811.1720191.20

 

陛下のご退位をまえに、今年は皇室関係の展覧会が続く。皇室所蔵の絵や工芸品は、その作家の熱の入れようが素人目にもわかるほどなので、拝見できる機会があるとうれしい。

大嘗祭のために使われる「悠紀・主基地方風俗図屏風」は、平成天皇の即位の折は、東山魁夷と高山辰雄が手掛けた。三の丸尚蔵館で見たとき、大分の風景や工場を織り込んで描いた高山辰雄の「主基地方風俗図屏風」が特に印象に残っている。

昭和天皇の時は川合玉堂、山本春挙

大正天皇の時は、野口小蘋、竹内栖鳳

来たる大嘗祭のための屏風は誰が描いているのだろう?。

 

今回の山種美術館の展示品のいくつかは、創立者・山崎種二が、1968年に造営された皇居宮殿のための絵画を見て感銘を受け、手掛けた画家たちに同様の作を依頼したもの。皇居の為に制作した作品をもう一度描くモチベーションがわくのだろうかと思うけれど、そこは種ニさんの頼みということかな。

 

そして、帝室技芸員を仰せつかった34名の作品が並ぶ。

日本画や工芸だけでなく、洋画家も帝室技芸員に任じられていたことを初めて知った。黒田清輝、和田英作、梅原龍三郎、安井曾太郎の作品が展示されており、ちらっと検索すると他にも、藤島武二、岡田三郎助、金山平三(ほお)、中沢弘光、南薫造がいる。

一番のお目当ては、前田青邨

報道で陛下の後ろに青邨の獅子を拝見するけれど、今回の「唐獅子」1935の大屏風も三の丸尚蔵館から。

昭和天皇の即位の際に、岩崎家が5人の画家(鏑木清方、橋本関雪、前田青邨、川端龍子、堂本印象)に依頼して献上した5双のうちのひとつ。

青邨は古今の彫刻や絵を研究し、動物園のライオンを観察して、獅子の構想を練ったと解説にある。

子獅子は、岩崎家所蔵の「三彩獅子」(静嘉堂文庫)に倣ったと思われるらしい。

宗達のようなたらしこみの入った線は、幅2センチくらいもある。線自体が普遍的。線の中にさらに世界が広がっている。

ユーモアと神秘が一体になったおおらかさに、ただただうっとり。

 

もう一点は、うって変わって張り詰めた空気。武将姿の秀吉。

前田青邨「豊公」昭和14

 たらしこみに宗達のような幅のある線。蛇のようなするどい眼と鎧の墨の黒さに、この男の 

底知れぬ恐ろしさを感じてしまった。目線の先の余白に刺すような緊張が張っている。

 

 *

さてこの日、入ってすぐの壁で迎えてくれたのは、西村五雲「松鶴」1933 京都市大礼奉祝会より久爾宮家に献上された作品。大型鳥類の肉感と重量感にほれぼれ。表情もこんな顔をしているのかと、まじまじ見てしまった。二羽+一羽の織り成すラインの豊かなこと。そしてトータルとしてたいへん優美な作品だった。

 第一章:皇室と美術ー近世から現代まで

宮家に伝わる品々と、慶事の折に、官公庁や財閥から献上された作品。

今なら官公庁から献上されるなんてないだろうけれど、三の丸尚蔵館でも、地方の県庁から献上されたものを何回か拝見したことがある。集まりすぎて大変ではなかったのかな。

「高松宮家伝来禁裏本」のガラスケースが興味深かった。土佐光信「うたたね草子絵巻」16世紀と、海北友松の息子・友雪と伝えられる「太平記絵巻」17世紀

「太平記絵巻」は、葉室麟「墨龍賦」の冒頭に、春日局に取り立てられて、友雪がようやく日の目を見るというシーンがあったけれど、そのあとの作品だろうか。友雪は後水尾天皇はじめ宮中の御用をすることがしばしばあったとのこと。人物が細やかに動きに満ちていて、大道具小道具もぬかりのないドラマをみているようだった。

cc

女官に抱かれた義満は活発そうで、犬に手を伸ばしている。食事を運ぶ者受け取る者、トラネコを

追い払う者と、なにげない暮らしのひとこま。襖絵の芭蕉や、お庭で飼われている鶴もいいなあ。

 

 

まずは野口小蘋「箱根真景図」1907。今年は野口小蘋を見る機会に多く恵まれた。澄んだ空気と、奥ゆかしい佇まいにほっとする。湖も、右隻ではかすむ春の水面、左隻は澄んだ秋の青だった。

春の右隻は、ゆうゆうとした山々が穏やかな緑の空気を広げている。浮かぶ小舟を見れば、

今度はそこからの景色に視点が移り、急に山々が立ち上ってくる感じ。

左隻の秋景の中の洋館は、明治19年築の箱根離宮。

 

 下村観山「老松白藤」1921明治神宮造営局により、総裁であった伏見宮家に献上されたもの。

これを見るたびに、官能的とまではいかないのだけれど、なんというか恋愛のみたてのように感じてしまう。光琳の紅白梅図を男女の絵と見るむきもあるようようなので、琳派を学んだ観山も、そんな意図を隠し込めてはいなかったんだろうか。

豪胆に力強く腕を広げる松、そこへ細く白い腕をそっと絡ませるような白い藤。藤の花は囁きか吐息のよう。

 

それから、慶事の際に下賜されるボンボニエールはやっぱり興味津々。思いのほか小さくて、とてもかわいい。犬張り子型、ウサギ型もかわいいけど、貰えるなら、水玉の「丸型草花文ボンボニエール」1910がいいなあ(もらえないから)。

 

 

 

第二章:宮殿と日本画

1881年完成の明治宮殿では、狩野派や四条円山派といった伝統的な流派の画家たちが襖や杉戸をて掛けた。

次の大規模な宮殿建設は、1909年の東宮御所。ネオバロック様式の現迎賓館。(昨年は迎賓館の見学に行ってきて、いやもう恐れ入りました。壁も床も天井も、カーテンのドレープまでも、見逃すことができないほどデコレイトされている。なんだか自分がお城の舞踏会に迷い込んだ灰かぶり姫になったような、夢心地でしたよ。)

その次は、昭和。1968年の現在の皇居。山口蓬春、上村松篁、東山魁夷などの日本画が架けられているそう。

 

三の丸尚蔵館や東博から、実際の造営の際に使用された下絵類が展示されている。

赤坂離宮では、「赤坂離宮下絵 花鳥図画帳」渡辺省亭の下絵(七宝、並河靖之)が数点。数年前に東博で見て感動し、初めて渡辺省亭という人を知ったのだけれど、花鳥の間の壁に実物を見た時も、衝撃だった。花鳥の間で、本当に窓から、外に広がる景色を見ているようだったのだから。手を伸ばしたら、楕円の枠の向こうにすっと抜けて行ってしまいそう。植物と取り合わせて組んだ構図のせいか、色のせいか、それとも鳥の目線や飛ぶ方向のせいか。小さな楕円の枠の奥には、深く広く自然の空間が広がっているような。

 

 

「皇居造営下絵」(明治~大正)の数点は、青山御所の御寝殿の襖や杉戸江の下絵。建物は消失したらしい。竹内栖鳳「柳に燕」と川合玉堂「紅葉に啄木鳥」、大家ふたりが、よくこんなに息の合う作品が手掛けられるもの。

風がやさしい。燕の向きといいかわいいなあ。

柔らかな午後の陽ざし。

栖鳳では、のんびりしたウサギ「薄に兎」や、ころんころんの犬の「土筆に犬」の襖絵も。玉堂も栖鳳も寝殿のための心安らぐ画。心ほぐしてしまうプロの仕事に感嘆。

 

 

 

現在の皇居を飾る画では、上村松篁の「日本の花・日本の鳥」1970、山口蓬春「新宮殿杉戸楓杉板習作」、安田靫彦の「万葉の和歌」と、改めて、日本の四季や色彩がこんなに美しかったことを認識。大家の苦労ぶりも紹介されている。

上村松篁「日本の花・日本の鳥」1970


縦の構図、横や斜めの構図。赤い菊の扇がお気に入り。牡丹の白の美しかったこと。雉と黄色い葉の織り成す会話も楽しい。

 

山口蓬春 

橋本明治の桜と対の、正殿松の間の障壁画の1/4下絵。

大形の楓の葉を探して各地を遍歴し、福島の吾妻で発見したそう。

 

安田靫彦の「千草の間 万葉集歌額」は10枚の紙だけれど、展示は5枚にしたもの。書体もそれぞれ違う。

漢字は王義之、欧陽詢など、仮名は定家臨模の土佐日記、道長の日記、高野切乙種の

源兼務行の筆跡を参考にしたとのこと。

 

第3章:帝室技芸員ー日本美術の奨励

帝室技芸員の手掛けた作品が並ぶ中で、山種美術館の所蔵品で好きなものに再会できてうれしい。

ひとつめは、柴田是真のかえる。漆絵の「墨林筆哥」18903つのうちの一つで、他に馬と瓢箪、雁の画もあった。漆の粘性のつやと濃淡が印象的。

杉の木のギザギザ、交錯する山と雁の軌跡のラインがおもしろく。

 

2つ目は、小林古径の鶴。座った姿がやさしい。仏像ならば、座像にはなんともいえないゆったりとした癒しがあるのと重なる。と勝手に思っている。いつまでも一緒に座っていたくなる。

 すーっとした枝も匂いたつような気。二本の方向は、それぞれ鶴の身体と首のラインと呼応しているような。

 

3つ目は、下村観山「寿老」1920鹿の表情がなんとも。ご主人様に対する絶対的な情と信頼。もはや愛では。そこは上記の「老松白藤」に通じるかもしれない。

 

4つ目は、山元春挙「火口の水」大正14下から見上げると、そびえる高さにときめきすら覚えてしまう。洋画のようでありつつ、岩肌は伝統的な水墨のよう。山水画によくあるように、白い月も見える。澄んだ水べに、小さく描かれた鹿が水を飲みに来ている。

 

他に印象的だったもの

小蘋「芙蓉夏鴨」1900  上記の屏風とはまた違って、線のはりと勢い、淡彩といい、渡辺崋山を思い出すような作品。

 

 

 荒木寛畝「雉竹長春」1885  洋画家でもある寛畝らしい羽根の着色。洋画で皇太后を描く名誉に預かったそう。ばら、竹、水、葉なども細部まで迫力。

 

 小堀鞆音「伊勢観龍門滝図」大正~昭和 

 

松林桂月「春雪」 墨に胡粉、色を少し。微かな光が透過している。

 

眼福眼福の展覧会でした

 


●東博常設2:久隅守景、住吉広尚、春木南溟

2018-12-15 | Art

1の続きです

8室:暮らしの調度―安土桃山・江戸 

湯島聖堂の釈奠器の一式にため息。上杉齊憲献納 1844

幕府により孔子を祭るために設けらた湯島聖堂の、釈奠(せきてん)の儀式に用いられたもの。釈奠器には中国様式が多いが、文具や飲食器には日本式のものもあるとのこと。

 

 


 

 

火事と喧嘩は江戸の華といいますが、火事場装束の美にため息。

火消しの陣羽織の裏側。木綿に刺し子は、水分をよく吸収するため。ど派手な模様は、消火のあとに裏返して活躍を誇示するためとか。

火事羽織 紺木綿地雷神模様刺子 19世紀

 

大奥の女性たちの火事装束は、非常時に必要ある?ってくらいに豪華。

火事装束 紅繻子地波模様

アンリ―夫人の寄贈。他にも歌舞伎の衣装など何点も寄贈している。どのような人なのかな?明治に夫と共に来た女性だろうか?

8室:書画の展開 安土桃山~江戸

お目当ての久隅守景。8曲一双の大屏風。これを横に広げられる部屋があるって、大名家旧蔵?。

鷹狩図屏風 17世紀 東京・日東紡績株式会社蔵

悠々と広がる山野に田畑。権威の象徴・鷹狩りの光景だけれど、そこは守景、庶民も子供たちもしっかりと描いている。家来たちも右往左往する動きと表情がとても人間臭い。その細やかさ。守景の動物も見もの。設定が細かくて見どころ満載。

吉祥の象徴の鶴も、白鳥までも狩りの対象とは。。(合掌)。タンチョウヅル、マナヅルもしっかり描き分け。

守景の人物は印象が力強い。

家来たちはたいへん…

ちょっとさぼったり

なにしているのかな?

この人の描く人物は、どうしてか腕や脚の力強さに目がいってしまう。

皆も動物もとにかく動き回っているので、一通り見るだけでエア運動した感。豪華で雄大な屏風だった。

発注主は誰なんだろう?。探幽門下にいた時か、それとも金沢に行ってからなのか?。

この人物などは、ちょっと探幽の画(いつか見た大工さん)を思い出したけれども。

 


鷹狩りのもう一作は、住吉派の緻密で雅びな画。住吉派に比べるにつけ、守景はやっぱり土のにおいがする。

住吉広尚筆「鷹狩図」 19世紀

着色がきれいで緻密。飛び立った雉すら美しかった。

雪の積もる木々、墨のにじむ雲もきれい。

右幅は静だけれど、左幅は荒々しい風雨。

顔を覆う人物の周りには、風で散った雪の粒も描かれていた。


これは板谷家伝来資料の下絵と同じ構図とのこと。板谷家の初代・板谷桂舟(~1797)は、住吉門下で学び、奥絵師に任じられた。子孫は桂舟、桂意を交互に受け継いだ。

板谷桂舟弘延(1820~59)はその5代目。39歳で亡くなっている。

板谷桂舟弘延「草花図」

青い背景に、レンゲやすみれの小さな草花たち。

最近は奇想系を見ることが多かったので、こういった楚々としたやまと絵系の作品が新鮮に感じられたりする。春になったら、「土佐、住吉、板谷の系譜」展なんてあったら和みそう。

 

今回のもうひとつの興味深かったグループは、伊勢長島藩主・増山雪斎とその周辺

増山雪斎は千葉市美術館「百花繚乱」で恐れ入りましたが、その子、雪園も、さすが親子。そして雪斎に仕えた春木南湖とその子南溟

お殿様親子の博物と写生への熱意の敬服‥

増山雪斎「虫豸帖 」秋

 

雪園の画帖も、父に負けじ。南蘋風で細密。

増山雪園「四季花鳥画帖 梅花雪 」1840

南蘋派の鳥は鋭い

鹿は抒情的

なのに、南蘋ネコはどうしてこうなっちゃうんだろう??でもかわいい

 

こういう絵を見ると、御用絵師の南湖が、雪斎の命で長崎に勉強に出されたというのも納得。南湖の交流も興味深い。木村蒹葭堂浦上玉堂司馬江漢とも交流を持ち、4歳下の谷文晁にも学んだ

春木南湖「秋涛奇観図」1826  

銭とう江で旧暦8月15日に起こる逆潮現象を描いている。見物人のびっくりぶりがおもしろい。

 

その子、春木南溟(1795~1878)の南画は、特にお気に入り。どこかで聞いたようなそうでもないようなと思っていたら、川村清雄の師であったのだった。山内容堂にも愛されたとのこと。

春木南溟「前後赤壁図 」1868

 

よくある山水だけれど、心に残った二幅。悠々とした遊覧に、鶴も飛んでいた。二幅とも、岸辺の佇まいが特に心に残ったところ。やわらかく光が当たり、墨の濃淡が繊細。

 

南溟は、少し検索すると他の絵もひかれるものが。特に「虫合戦」はおもしろそう。増山家に仕えただけのことはある(wikipedia)。他のも、古典的な画題でも、なんというか古臭くなく、清新な感じ。着色の画は丁寧で色鮮やか。そういえば上の水墨の画も、まるで色を感じるような。

幕末狩野の当主たちが自ら改革していたように、多くの大名や旗本に愛された春木親子も、あぐらを描かず新取の風を取り込んでいたんだろうか?。他の絵も見てみないことにはなにもわからないけれど、当面個展はなさそうかな‥

 

 


●東博の常設1:下村観山「白狐」、荒井寛方、与謝蕪村など

2018-12-14 | Art

カレーの市民たちの周りもイチョウが色づく、12月のある日。

 

18室の近代絵画:

観山の白狐に再会。

下村観山「白狐」1914 41歳

ボストン美術館にいた天心が執筆したオペラ「The White fox」と関連付けられるかもしれない、と解説に。天心はこのオペラをインドの女性詩人プリアンバダ・デヴィ・パネルジーに献じた。インドのタゴール邸に滞在中に出会った、タゴールの親戚の女性。天心とプリアンバダが海を超えてやり取りしたラブレターは、五浦美術館で見たことがある。天心がもう少し長生きしていたら、もう一度会えることがあったのかな。

森の様子は亡き春草を思い出す。

薄墨に金が入れられた目。観山は人間だけでなく、動物の顔も含蓄が深い。

ふわふわの純白の狐の視線の先に大きな余白。だからよけいにもの寂しくなってしまう。

琳派風の金があちこちに。秋の森、葉も金、ススキの線も金。秋の色を金で現している。もし民家のほの暗い灯りやろうそくの灯りのなかで見たら、さらに幻想的に見えるかもしれない。

 

観山は「修羅道絵巻」1900 も展示。旅姿の僧から始まるところが、無常感。以前にも見たことがあるせいか、この日はあいだのよはくの幅、つなぎのところ、背景に目がいく。

不穏で物寂し気な風を感じつつ、進行方向の左へといざなう萩。

不穏な墨。兵士の目線の先の、樹から飛ばされる枯葉の先に・・・。劇的な戦いの場面へと展開する。

 

 

その観山の「弱法師」の複製を、来日中のタゴールの求めに応じて、制作したのが、荒井寛方(1878~1945)

寛方は水野年方、瀧和亭に師事、紅児会にも参加、原三渓の支援を受ける。タゴールが滞在していた原三渓邸で、1ヶ月かけて弱法師を模写し、インドに送った。タゴールは原邸でその様子を見まもり、寛方をインドに美術教師として招待。

荒井寛方(1878~1945)「乳糜供養屏風 」1915 

しかしこれは、まだインドに行く前の作品。大観や春草は1903年にインドのタゴール邸に滞在し、インドの女性を描いている。

スジャータが釈迦におかゆをささげる。皆右を向いて、そこに描かれない釈迦がいる。大正時代らしいパステル系の色彩だけれど、インドの熱い空気のなかにあるように、牛も女性もなまめかしい。

他の作品をおそらく見たことがないと思うのだけれど、インド滞在後は劇的に画風が変わるらしい。アジャンタの石窟寺院の模写はたいへんな苦労だったそう。震災で焼けてしまったのが残念。(「タゴール、ノンドラル・ボ、シュと荒井寛方」稲賀繁美 2011 から。とても興味深い論文。)

 

狩野芳崖(1828~88)「山水」1887 目の粗い麻布に描かれている。

今年は「芳崖と四天王展」など、芳崖を見る機会に恵まれた。これは亡くなる前年の作、「年六十 芳崖」と落款。60歳を迎え、気持ちを新たにした決意の作だろうか。

これが芳崖そのひとなんだと、心打たれる作だった。雪舟のような筆致で、激しく強い。とがった岩に切られそう。ここまでくると頭でどうこうより、体が自然に描いている。悲母観音など彩色の絵も描きつつも、つねに原点とともにある。画家として激しいものを内在させ、激しいまま死んでいった人なんだろうか。

 

熊谷直彦(1828~1913)「雨中雨山図」1912

馬に目がいく。先日のぶら美で、五郎さんが上手い画家は馬が上手いと言っていたので。これは黒目のかわいい顔をした馬だった。澄んだ山のぼかしもきれい。

これも亡くなる前年の作。なにか意図があるのかな?。芳崖と熊谷直彦、同世代の、江戸と京の絵師。狩野と四条派。二人ととも原点に返った感じ。

 

土田麦僊「明粧」、鶴沢探真「王昭君」は、装う女性を描いている。

なかでも鶴沢探真の「王昭君」がちょっと気になる。美しいけれど、菱田春風の「王昭君」のはかなげなイメージと違い、鏡の前でどっしりと立っている。指のごつさも気になる。年齢は、顔はお化粧で隠せても、手はごまかせないといいますが、まさかそれを意識したってことはないでしょうけれど。それとも、王昭君の覚悟の絵なのかな?。

 

しばらく展示してあった、川村清雄「虫干し」も この日でとうぶん見納めかも。何度見てもつかまる絵。

現在と過去、現実と非現実、和と洋が入り混じる。この日はとくに、直垂の純白とその後ろの赤、絨毯に散った野菊が目に入る。清雄の、水墨のような筆致が、潔くてかっこいい。

 

ほかには橋本静水「一休」など。

 

途中で地下に降りて行ったら、暗い部屋からトーハク君が叫んでいましたよ。

 *

3室:

「真言八祖像 恵果 」・「真言八祖像 空海」1314 真言密教をインド中国日本に伝えた、八祖を描いたうちの二幅

この絵仏師の描く目に引き込まれる。空海は全身から強さ、激しさが伝わる。恵果の後ろの童子には、安田靫彦を思い出した。

 

「東北院職人歌合絵巻 」14世紀 10名の職人を左右に置き、月と恋の歌を詠み競わせた職人歌合絵巻の現存最古のもの。

職人がいろいろ当時らしくてツボ。脇の道具類も興味深い。医師、陰陽師、鍛冶(服が火の色っぽい)、番匠(Carpenter)、刀磨(わきに砥石が)、鋳物師、巫女(なんかちょっとイメージが・・)、博打(職業なのか?)、海女、買人、経師(中国語:写経師。英語:Sutra maker)。

 

狩野元信の墨だけの四季花鳥図(個人蔵、撮影不可)は、やはり惚れ惚れ。まさに鳥の楽園。木からひょいと顔を出す鳥、動きがシンクロする二羽、寒さに膨らんだ雀たちなど、どの鳥もしぐさがかわいい。母の後ろをついて歩くひな鶴を振り返る母鶴は、まるで人間の親子のよう。母鶴は目がパッチリの美人さんだった。叭々鳥はキッとしたつり目で好きなタイプ。両隻の間の空間のふわりとした薄墨の美しいこと。

 *

7室

呉春「山水図屏風」

樹々はさまざまなバリエーションの点や線で、リズミカルに反復していて、心地よい。奥行きある山は応挙風。

右隻のなだらかで量感ある山に対し、左隻では、急峻にそびえる。その山並みは、しつこいくらいに奥行きを強調している。

雄大な屏風だった。

 

そして楽しみにしていた 与謝蕪村「蘭亭曲水図屏風 」1766 

木陰がここちよい。岩の線もやわらかく、ほろ酔いのおじさんたちもゆるくいいモード。

蕪村の人物は顔がかわいいの

樹がとてもよくて、さまざまな葉は全体を通して飽きない。自然の気を満喫できる屏風。

点描はもはや印象派。木漏れ日がなんてきれいなんだろう。

最後の扇の青い茶碗が余剰をのこして流れていく。

光がやわらかい。さほど多くの色を使っているわけではないのに、全体を通して、やさしい色彩が流れていた。

いいもの見たなあ。

 

続きはまた次回に。 

 

 


●野間記念館「近代日本の花鳥画」

2018-12-14 | Art

野間記念館「近代日本の花鳥画

2018.10.27 ~12.16

好きな作品の備忘録

安田靫彦の花鳥が、どれも心に残った。歴史画とはまた違う繊細さ。花を愛でる目に、なにも修正することない素の靫彦が表れているよう。

「春雨」1923 39歳

靫彦の他の大正時代の作品のような色の付け方だけど、この暗さはどうしたんだろう。首ごと落ちた椿。しんしんと落ちる雨。靫彦の花の絵といえば、意外にも色が明るく美しくまさに「馥郁たる香り」の印象だったのだけど、それは戦後のことらしい。解説には、大正時代に花の絵を描いた作品は大変珍しいとのこと。盟友今村紫紅を亡くし、日本美術院の中枢として歴史画を描き続けることで、院の社会的地位の上昇を勝ち取らねばならなかった時期とある。

プレッシャーの中でじっとゼンマイの根元を見つけていた靫彦。でも暗いと一言で片付く心情でもなさそう。影をまといつつも、色は冴え冴えと、ゼンマイの先端はくるんと水分を受けている。花の前では、幾重にもおりかさなる様様な気持ちがそのまま吐露されてしまうのかも。戦後に靫彦の花の絵が心に残るのも、同じ事なのかも。

そのとなりに展示されている靫彦の「水仙」1932 は、それから9年後。昭和らしくずいぶんすっきり。掛け軸の下半分のみに描かれた水仙はあまりに美しくて、水仙の葉の流れに入ってしまう。冬のひだまり、まさに馥郁たる香り。小さく添えられたたらしこみの南天は、「黄瀬川陣」で義経のわきに添えられていたものを思い出した。

靫彦では別室の「新樹」1933 もとても好きな作品。靫彦に、こんなにほんわかとした柔らかい部分があるのかと思った。ごく薄い墨で、さらさらと描いている。鳥は薄く乾いた墨で描いて少し黄色を乗せ、さっと尾羽をはらっている。

 

速水御舟の二点も、凄みがあった。

速水御舟「朱華琉璃鳥」1933 この緊張感。葉の一枚、枝の一本に至るまで、深淵。

 

速水御舟「梅花馥郁」1932 どこにもゆるみがない。この厳しさ。突き詰めた先の、ぎりぎりの近郊の中にある紅白の枝。

常に斬新な御舟。

 

一方、ともに研鑽した小茂田青樹は、ポエティック。「四季花鳥」の4幅はどれもすてきだった。

春の紅白のシロツメクサ、へびイチゴの点々がかわいいなあ。夏の芭蕉の葉に、かえる。さわやかな緑の雨を満喫して吸い込んでいる姿がとにかくかわいい。笹の葉の先の小さなひとしずくには、やられてしまった。

秋のイチョウにはまだ緑色の葉も残っている。冬に舞う雪と鳥はうっとり。

一時は似た絵を描いていた御舟と青樹だけれど、全く違う空気感を持っている

 

今尾景年「花鳥図」もすばらしかった。

柔らかな色彩の岩と薔薇。と思ったら、にらみをきかす挑戦的な雄鶏。おもわずすいませんっと謝ってしまう感じ。

左幅の鳥も、輪郭もなく、よくこんなにふわっとリアルに描けるもの。

薄墨、たらしこみと薄い着色でささっと描いている風。渡辺省亭に通じるかもしれない。花も葉もささっと、その筆の素早さ、勢い。さらに繊細で緻密な視線。小さな菊3輪のそれぞれちがう開き具合など、まるでひらいてゆくさまと精気を動画で見ているようだった。景年、すごい。伝統的な画題なのに、現代的な感じすらする。

 

徳岡神泉「鶉図」 雪に光がふりそそいでいる。トクサの色も映えている。なにかにハッとするウズラ。単純な背景に、ウズラの羽の宇宙的な美しさ。多くの画家がこの羽を細密に描くのもわかる気がする。

 

西山翠璋「金波玉兎」1926 は英語題はRabbit in the moon。でも月は描かれず、波を照らす光で気が付く。それとも丸いフォルムのウサギ自体が月なんだろうか。

 

堂本印象「清泉」、福田平八郎「双鶴」、富田渓仙「牡丹」も印象的。

 *

野間記念館でいつも見ものなのは、十二ケ月シリーズ。

山口蓬春の「十二ヶ月図」が、12枚どれもがぱっと印象に焼きつく作。きれいだった。鳥では、1月は鶴、2月は鵜。墨の濃淡がきれい。5月は山並みと葦の淡い緑、墨でちょいちょいと描かれた鵜。夕暮れの光に浮かぶようで情感そそられる。 6月は、薄黒雲に夕立、空の半分はうっすら青空。赤い鳥居、点のような黒い鳥、白い帆と、点のように小さなパーツが絶妙な間合い。(例によって変なメモ。)

花は、一本をシンプルに大胆に。置く位置がかっこいい。7月の紫陽花は右半分に一本、左半分は余白。少し寂し気な淡い水色の紫陽花。8月の芥子は、下半分。その上にちょんと虫を。「極小」と「中」のバランスが楽しい。色も冴えてて、白い花びらにふちが赤、葉は墨、そこへ虫の緑の点。9月の茄子は好きな画題。墨とうす紫だけで。茄子って神秘的・・。12月はほっこり。墨だけで、月に吠えるイヌ。

12枚どれも、色がキレイ。余白と構成が明確で、シンプル。だけどポップではない。抒情ポケットにすとんと落とされてしまう。

 

木島桜谷の十二ヶ月図は、動物シリーズ。馬、犬、牛、ウサギ、キツネ、ヤギ、ネコ、虎、狸、猿、鹿、猪。小さな色紙でも動物の世界観がすごい。特にキツネ、狸は、夜に行動する、その気配にぞくっとするほど。猪の体躯のリアリティ。そんななか、葡萄棚の下の囲いの中のヤギのおとぼけ感ときたら。動物も家畜になると、すっかり野生を忘れている。気になるのは、玉蜀黍ごしに見えるやせたネコ。ちょっとシュールで不思議な感じ。

 

森百甫は、ほっこり系。10月の地面に落ちている栗だけでも、しみじみと物語が膨らみ、情感わかされてしまう。鳥好きにもたまらない12ヶ月でしょう。6月のかわせみと水草、7月のカエルと白い蓮、8月の夕顔、12月の烏瓜を見るウソなどがとくに好きな作。線もとてもきれいだった。同じく葉を一枚描いても、会話が聞こえたり、こんなに物語になってしまうのは、他の画家とどこが違うんだろう?

 

望月春江は、にぎやかな十二ヶ月。さわがしい二羽のスズメは、口やかましい奥さんと、ん?と聞いているかいないかわからない旦那さんのよう。8月の川エビ、11月のどんぐりがいいなあ。

 

 

山口華楊は、とてもシンプル。構図は、縦、横、斜めと狙って、一枚一枚が印象的。4月の4本だけの青麦、7月のカワセミと3本だけの葦など、どれも無駄なものがなにもなく、しかもかわいらしい。そして厳選して描いたそれはとても緻密。鳥の毛、紫陽花の葉の葉脈など見入ってしまった。このシンプルな美しさ・かわいさを支えているのは、この緻密さなのかと。

 

堂本印象は、墨で現した光に驚き。一枚一枚の印象が強い。

 

福田平八郎は、色がぱっと印象に飛び込んでくる。トリミングされていて、ますます間近に感じてしまう。単純化された形も明度のある色もたのしい。

矢車草がきれいだなあ

茄子と玉蜀黍がすき・・

 

それにしても来るたびに違う十二ヶ月図が展示されている。約500タイトル、計6000枚の12ヶ月色紙が所蔵されているとか。

来年、1月12日からは「十二ヶ月図展」が始まる。


12月の森

2018-12-08 | 日記

雨の翌日の森歩き。

森の入り口は、東南アジアの山岳地帯みたいな竹と芭蕉。芭蕉の葉の破れ具合がいい感じ。

その先に山茶花(←椿から訂正)

 黄色いもみじ、赤いもみじ

もみじの折重なる橋を渡り、

 

 ~竜田川 からくれないに 水くくるとは~ 上の句はなんだったかな

鳥の鳴き声しか聞こえない

先日はるばる川口まで行ってみてきた、浅見貴子さんの木の作品が時折重なる。すばらしい展覧会だったなあ。(川口市立アートギャラリーアトリア 浅見貴子「樹々あそぶ庭」12月9日まで)

 

 

雨の次の日だったから、しずくが。

ススキが輝いていた

まだまだがんばるアザミ

玉つゆ

 

もっと奥へ。

小径のまんなかに、一輪だけの椿。入るものを上から見ているような、不思議な気配。

 

入りますよと思いながら通り抜けた先は、紅葉源郷。

西日を受けて輝く、最高の時間に着ついた幸運。

 

樹齢何年くらいなのか、太い幹。両手を大きく広げるような枝。

 

自分が踏んだ枝のバキッという音に、どきっとする。もみじの乗る橋を渡ってから、だれにも会っていない。しんとした音に、軽い戦慄。

さかさづりになったひとのような・・

お、メタセコイヤだ

むかし実家にもメタセコイアの大木があった。父がこどもの頃どこだったかかから小さいのを抜いてきて植えたら、こんなに大きくなってしまったんだと言っていた。私にとっては生まれた時からあり、ネコと登って遊んでいたのに、当の父が増築する時に業者に切らせてしまった。せめて切り株くらい置いといてイスとかにしよーよーと言ってみたのだけど、しろありとか来るからムリと。。

 

虎カラーでなかなかおしゃれに変色。

つつじ?

タンポポ

よくわからない季節になっている。

 

 

もくれん?

山茶花が満開

 

小枝の先端には、ぽつっと赤い芽。

樹の穴、ヤマネとかいるとうれしいんだけど。

とのんきなことを考えていると、行き止まり、戻り、方向を見失い。そこにいちまつの心地よさ。クマやイノシシが出るわけでもないので。

これはなにかな。点々と小さな花がついている

実も。

 

 

枯れた蓮の影が映って、幾何学的な。

晩年の若冲が、こんな枯れた蓮を描いていた。1788年の天明の大火で焼け出されたあと、墨の「蓮池図」襖絵(1790年)

 

荒涼としたなかに、若冲は小さくてもしっかりとしたつぼみと、折れそうになりつつ首を保った種を描いていた。

 さすがに12月ではつぼみは発見できなかったけど。

 

終始emotionalな森歩きだった。

 

森の外に出てきたら、絵にかいたような菊に妙に感動。この自然な感じ。

 

帰宅すると服にたくさんついていた草の実

●浅見貴子作品展〈日々の樹―生々を描く庭〉

2018-12-07 | Art

浅見貴子作品展〈日々の樹―生々を描く庭〉
会期:10月27日(土)~12月9日(日)
会場:川口市立アートギャラリー・アトリア 

 

初めて降りる川口駅。そごうが健在なのと、よくわからないけど大きなライオンが屋根にのっているのが印象的。

浅見さんの作品は、日経日本画大賞展(日記)と、代官山アートフロントギャラリー(日記)で拝見して以来。

今回は外に向かって開かれた空間にゆったりと展示されており、すばらしかった。

作品を見ながら、外の木や陽の翳り、通行人や公園で遊ぶ子供たちの動きが視界に入る。でもそれが邪魔ではない。外の空気もふわりと抱擁するような絵だったせいかもしれない。

 

墨が美しい樹々は、似ているけれど一本一本違う。

もしかしたら同じ樹を描いている絵もあるのだけれど、時間、その季節の葉の茂り方、風の強さなどが少しづつ違う。

点や線は確かに樹と連絡していて、風の揺らぎ、木漏れ日、樹の中の巡り、樹の動きといったものが広がっている。

前も思ったのだけど、今回も、見ているとだんだん心地よく整っていくような作品だった。

10点ほどの展示だしと思っていたら結局3時間。帰りに寄ろうと思っていた隣駅の河鍋暁斎記念美術館はいけなくなってしまった。

再会した《桜木影向図》

余白のところがとても好き。樹の枝の先端から感じられるものが、ひろい余白にかすかにささやくように広がっていく。

近づくと木の幹の線が見える。裏から墨を含んだ筆を押し当ててひいた墨跡が、もう美しすぎる。枝の先の動き、風の痕跡、光のゆらぎに見える。

 

この部屋には2015年と2018年の桜の木の作品。同じ樹なんだろうか。

 

「桜の木1501」(2015年)

これはなにか強い動きの印象。枝葉がからみ、踊り、光が交錯し。葉の多い季節なのかもしれない。

 

浅見さんにとって、スケッチというのは、そのまま、その樹を自分の体内に入れる、ともに巡る、時に身をまかせる、長い時間を過ごす、そういうことなのだろうか。

揺れ動く枝。以前に(シムラブロスのインスタレーションで見た)森山未來さん(日記)が思い出されて、この樹のままに踊ってほしいと思う。

きっと作品ごとに全く違った踊りになるのだろう。森山未来さんはあのしなやかな体のなかに、それぞれの作品をどう入れるんだろうと、脱線して妄想する。

 

「桜木 2018」 

枝がかなりはっきり見える。スケッチの線も見え、この樹の全体像が感じられるけれども、たぶん多くを勝手に想像で補っている。

胸の中に樹を思い描くことは、かなり心地よい。浅見さんの絵をみていると帰りによい気持になってるのは、このせいかも知れない。

短い間隔の点々は、どくんどくんとした心流のよう。枝の先端に芽がでている。かわいいなあ。

細い枝の先端まで、生きているのを見つめている。

 

もうひとつの屏風?「桜の木1801」

 点々がより明確になっているかも。刻まれるリズミカルな振動が入ってくる。こちらの心臓も同じく波打ちそう。

それにしても、裏から押し当てた墨がきれい。ほとんど夢幻。

水分のしたたりを感じるような潤い。水を紙に落とし込んでいく。しみわたる。乾いた紙の地にひとつひとつと樹が落とし込まれていく、長い時間の軌跡。こちらもしっとりした気持ちになる。

点々は、枝の流れと繊細に連絡している。樹の精は、木の中だけに閉じ込められず外へとつながり、樹とその周囲の空気や風、光のなかに伝わっていき、そこでなにかこちらにも喜ばしいような感情が満ちてくるのだった。

滞留していたものが、再び流れ出すような感じでもある。

 

「蘇芳 2018」は小さめの作品。青色がきれい。作品もすばらしいのだけれど、この作品のかかった壁面まで一体にきれいに見えてきて。

 

廊下にはスケッチが展示されている。こんなに綿密にスケッチをされていたとは。

青い線、赤い線でさらに描き加えられ、それはスケッチした時間の違いであったり、または奥の線手前の線と分けられていたり、なんとなくルールがあるのだそう。

秩父のご自宅のお庭にある木々を、長い時間、日々折々につれ見ていたとある。展覧会のタイトルの「日々の樹―生々を描く庭」の意味がちょっとわかる。描く対象というよりは、もっと近しい、暮らしの中にともにある存在なんだろうか。

それでもスケッチはとてもストイックに対峙し、厳しい。不思議な感じがする。

 

気が付けば、最近の作品の部屋から見始めてしまい、過去の作品の部屋へと逆まわりで見てしまった。

でも良かったかもしれない。 ああ20年前のここからもう萌芽があったのかと思う。

1998年から2018年まで、描き方は変わってきているのだけど、変わらないものがある。

「精Ⅳ 1998」、「脈2002.1 2002」、「柿の木、夜 2012」は、3作品とも柿の木を描いている。「精Ⅳ」が点からひいた線とで初めて樹を描いた作品だそう。

「精」と「脈」、桜の木の絵にも感じたふたつが、すでにあった。

 

10年たった「柿の木、夜 2012」は本当に夜の色だった。

しんとした暗さの中で、浅見さんが柿の木を見ている。木が生きているのを感じている。闇の中でもこんなに圧倒的な精気にどきどきしてしまった。これだけの樹を感じ取り描くのは、描くほうも相当なエネルギーがいりそう。

 

「Matsu7 2003」は、硬くてうねるような大木を想像。幹の線は見えないけれど、離れるとなんとなく木の動きが見える。

20年でずいぶん描き方が変わってきたんだと思う。

初期の柿や松の木は、木の脈や精気、木そのもののエネルギーをストレートに受けるような感じだった。

それから最近の桜の木の作品では、それらをなにか昇華しているような。直接的だった木のエネルギーは、神的な気配をまとうようなやわらかさへと。

あらためて桜木影向図は、来迎図のようだなと思う。

「変容 2017」は、影向図と重なるようななにか。

樹の実感はあるのに、そこを超えたなにか。

枝の先端の先に、さらさらと指の間からすりおちていくようないちまつの寂しさ、でもそれが輪廻の輪の中にあるのだと、がらにもなく仏教的なことが浮かんだり。

 

浅見さんが小学校で指導された子供たちの作品も展示されていた。それもすばらしかった。

パネルと映像でその授業の様子が紹介されている。夢中で、自由に、紙に墨で描きつける子供たちの姿には、心動かされてしまった。

そうやってできた作品は、これにはなにも勝てないと思うほど、心を動かす作品だった。

浅見さんが授業で繰り返しおっしゃられたのは、「失敗なんてない」と。

しみた。。。

それがどんなに難しいか。

大人向けのワークショップこそあったらと思う。

  


●永青文庫 江戸絵画の美ー白隠、仙崖から狩野派まで

2018-12-02 | Art

永青文庫 江戸絵画の美ー白隠、仙崖から狩野派まで

2018.10.13~12.5(11月13日から一部展示替え有り)

会期ぎりぎりに行ってきました。

別館に、昨年同様、この時期に熊本から送られてくるという《肥後菊》がありました。

肥後菊は、花単体としてだけでなく、花壇全体としても鑑賞するのだと、スタッフさんが教えてくれました。武士の園芸として、いろいろ決まった形式があり、大輪の菊は一本に7輪と決められているとか。

華美ではなく、ほっそり楚々とした感じ。↑は、「初雪」。↓は、「千代の寿」

「旭光」

熊本名菓「加勢以多」。かりんのジャムが楚々とおいしい♪。(別館は茶菓つきで200円)

こんなことをしているあいだに、展示が16時半閉館ということを忘れて、あまり時間がなくなってしまった。

肥後54万石、700年続く細川家に伝わる文物の中から、今回は江戸絵画の展示。

狩野派、森派、谷文晁などのほか、初めて名前を知る肥後藩の御用絵師がみもの。

また、細川家の歴代お殿様が自ら描いた絵も、ちゃんと?上手い。そもそも自ら絵を描きたがるところがアート好きな一族。

大観はじめ数多くの画家のパトロンであった細川護立(1883~1970)の収集品から、白隠や仙厓が多く展示されている。

博物図譜系の展示も多く、江戸のマニア趣味をけん引したのは、一番は大名たちであったかもしれない。その熱中ぶりがほうふつとされました。

 

◆狩野派の絵画 

細川家所蔵の狩野派絵画。

桃山時代の西王母・琴高仙人図屏風(狩野派)6曲一双は、奇抜でなく格式あるな描きぶり。人物の目が大きめで、この絵師の描く顔、いいなあ。

右隻の西王母の上品でふっくらとしたほほが印象的。

左隻の琴高仙人は好きな画題。下界の高士たちのびっくりした顔が(笑)。鯉の周りの雲の墨がいい感じ。

しかし、別にいいのだけど人物が10等身、いや12等身くらいあるのに目がいってしまう。教会の受胎告知は見上げる視線を計算しているのの逆で屏風の見下ろす分を計算しているわけではないと思うのだけれど??

 

今回のお目当ては、狩野常信。常信は、1692年頃に細川家から俸禄をもらっていた記録が残っているとのこと安信叔父に冷遇されていた感じがするけれど、細川家は彼の画を認めていたのだろうか。

常信「寿老人・山水図」は三幅対。図柄も探幽様式とのこと。でも探幽よりも丁寧で端正な感じ。山水のしっとりしたにじみが美しかった。中幅の寿老人の足元には蓑亀が。

常信「七十二候図」は、5日を1クールとして、1年365日を72枚、気候を描いたもの。そんなに描き分けられるとは(!)。《地始凍》、《水始氷》などのタイトルになるほど。枯れた柳、氷のひび割れなど、日本の季節を細やかにとりだしていた。

常信「八景図」はとてもきれいだった。水面に降りたもやがいいなあ。

 

先日静岡県立美術館でたっぷり見た狩野栄信、養信親子も。

狩野栄信「百鳥図」。70種101羽いるとのこと(!)

明清絵画の接しゅに努めた栄信。百鳥図は明で流行しており、この画も中国絵画を踏襲したものとのこと。それにしても鳥密度Maxで、もはやシュールなほどだけど、鳥の顔がとてもかわいい。各鳥のしっぽも見どころポイントだったりもする。つがいだったり、父母+ヒナ二羽のファミリーだったりと、幸福感を押し出している。鳳凰など実際に見たわけでもないのに、よくこんなに動きがあって描けるもの。 

 

息子の養信の「胡蝶遊覧図」 も大名家の所蔵らしく、鮮やかな絵具をふんだんに使って描かれた、復古やまと絵。

画面に散る花びらが美しい。舟に遊ぶ貴族たちも、男性とは思えないふっくら雅びな顔立ち。梅を愛でていたり、しっかり気持ちの向きが読み取れる。鳥たちの隊列や、散り方さえきれいで、ぬかりがない。

 

◆細川家に仕えた絵師たち

まずは森徹山、奥文鳴と、応挙の弟子が並ぶ。奥文鳴「西王母・紅白桃図」の三幅対 は、とくに印象深く。右幅の下から上がってくる城桃、左幅の画面上から下りてくる紅桃との上下の力強いリズムが、目にぱっと飛び込んでくる。金も使って華やか、さすが細川家。

 

矢野派という初めて聞く流派は、細川家が熊本に転封されたときに付き従ってきて、熊本に根付いた。在家の武士や商家の注文もこなしながら、藩の御用も請け負った一派。「領内名勝図巻」18世紀 は、御用絵師の矢野派の嫡男良勝とその相弟子の衛藤良行が藩主の命で肥後領内を歩き、二年半かかって、名勝地を絵巻400メートル、14巻にわたって描いたもの。展示では滝のシーンだったのだけど、参考展示の現地写真とそっくり。雪舟の筆致を踏襲して描かれて、滝のしぶきなどたいへんな迫力だった。

これを描かせた藩主・10代目斉しげのもとで熊本では絵画文化が栄え、永青文庫に伝わる明清絵画はこの藩主のもとで集められたものだとか。

杉谷行直も矢野派。「富士登山図巻」はとても面白かった。参勤交代の途中で実際に富士山頂まで登山したもので、苦労した臨場感がある。一列に杖をついてジグザグ道を登っていく一行。茶屋も描かれている。3合目では花も咲いているけど、7合目8合目になると岩のみ。石を屋根に乗せた山小屋がいくつも連なっている。山頂は雲がかかっている。絵師もたいへん。。

その子、杉谷雪樵「小嵐山図」19世紀 嵐山に似せて造った、ここ目白の庭を描かせたもの。広っ。今も残る細川庭園の面影がある。

杉谷雪樵の時代で明治維新を迎える。維新後は上京し、宮内庁の御用や引き続き細川家の御用を受け、さほど困窮した様子もないらしい。芳崖のように御用絵師皆が困窮したわけではないようだ。

 

細川護立(1883~1970)が収集した白隠や仙厓では、人柄が偲ばれるようなほのぼの楽しい作ばかり。

特に白隠の「拝牛図」「鼠師槌子図」などがお気に入り。「拝牛図」は十牛図のひとつ。荒牛をようやく飼いならした場面。つい今まで荒れていた牛は、まだ少しファイティングモード。それをよしよしとなだめる男性がかわいい。

仙厓では「臨済図」。厳しいので有名な臨済だけど、今ならパワハラ。片手で弟子を殴り、もう片手は周囲に止められている。目の周りの薄墨が怖い。 

 

◆博物図譜

鳥、獣、虫、花などを細密に描写させ、お殿様(8代目細川重賢)自ら本に編纂している参勤交代の道中でいろいろ動植物を採集させたらしい。「珍禽図」では、むささび、モモンガがぺろんと大きく画面を占めたページが楽しい。「遊禽図」1755は、高松藩の松平家から借りたものの模写。この松平家も博物図譜系の展示のたびになにかと出てくる。以前静岡県立美術館で見た、松平家所蔵の魚や椿の図譜があまりにすばらしく(ついにはおもしろく)衝撃だった。細川のお殿様と松平のお殿様はプライベートでもなかよしだったのかな?。お殿様ネットワークに興味がわく。

 

◆お殿様の絵

細川忠興、絵も上手いのね。狩野派の手本によるものらしい。

 

斉しげのネコは、徽宗皇帝風の微妙さ。。ネコがペロリと手をなめている。毛描きに頑張った感があるけれど、ちょっと化け猫入っている感じ。

 

ひとつ気にかかっているのが、細川有孝(1676~1733)の「諸獣図」。ムササビといいジャコウネコといい、大好きな、でも不詳の狩野宗信(17世紀生没年不詳)の画に似ている(化物絵巻の日記)(根津美術館の日記)(!)。お殿様は狩野の粉本から描いたものらしいけれど、元絵はどのようになっているのだろう。

すっかり暗く。

 

坂を下りて、関口芭蕉庵の芭蕉を見て帰りました。もうしまっていたので、外から。

まだまだ青々した葉が健在。紅葉とふしぎな組み合わせにて。